栃木の木々 

栃木県の風景。

那須塩原市 烏森公園 23.6.20  2011

2022-06-14 | 那須塩原・塩原・黒磯・西那須

栃木県那須塩原市

■説明板・・・
●烏森神社(からすがもりじんじゃ) 鎮座地 西那須野町三区町635番地
・・・途中省略・・・
●由緒沿革
烏森神社の前身、烏ケ森稲荷神社は、平安時代の延喜2年(902)、上石上村(現、大田原市)の農人田守(たもり)という人が、烏ケ森の丘の上に祠(ほこら)を建て、豊受姫命(とようけひめのみこと※神社データベースには 伊邪那岐命の孫姫にあたる神。豊受大神(とようけのおおかみ)とも尊称し、皇太神宮の外宮の御祭神。天照大神のお食事を司る神で、「宇気」は宇迦之御魂命(倉稲魂命)、保食神(うけもちのかみ)、大気津比売命(おおけつひめのみこと)などの「うか」「うけ」「け」などと同じく、食物・稲の霊を意味するもの。倉稲魂命と同一神とする説もある。」とありました。)を祀り、五穀豊穣を祈ったことに始まると伝えられています。

創建以来、那須野ケ原鎮護の神として、このあたりを入会秣場(いりあいまぐさば:共同の草刈り場)として利用した周辺54ケ村の信仰、殊に厚く、祠が守られてきたといわれます。


鎌倉時代初めの建久4年(1193)、将軍源頼朝の那須野巻狩の際、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられ、神社の名は関東一円に広まったといわれます。江戸時代から明治の初めにかけては、上石上村の村社として守られてきました。


明治12年(1879)11月14日、後に総理大臣になられる、伊東博文と松形正義が、地元開墾発起人の印南丈作、矢板武等の熱意ある要請に応え、烏ケ森上から那須野ケ原を視察、開拓事業の協力を約し、その成功を祈願したといわれます。


明治14年(1881)8月6日、明治天皇の御名代として、有栖川熾仁(たるひと)親王殿下が神社にご参拝、那須開墾社の印南、矢板等の開拓の労を賞せられ、松を御手植えになられました。


明治15年(1885)2月、那須開墾社は肇耕社(ちょうこうしゃ※三島農場)の三島通庸(みちつね)にも呼びかけ、上石上村と共に浄財を募り、社殿建築に着手しました。


明治18年(1888)、社殿竣工、4月5日、開拓者の氏神として、栃木県知事樺山資雄外、来賓多数参列のもと遷宮式(御神体を移す式)を盛大に執り行い、烏ケ森稲荷神社は「烏森神社」となりました。同時に神社を中心に松と桜を奉納植樹し、公園化が図られました。


明治27年(1894)5月6日、松形正義、佐々木高行両伯爵、佐藤暢知事等の臨席を得て、開拓者500余名参列のもとに、那須開墾社の開墾成業式が神前で盛大に行われ、開拓事業の成功を神社に奉告しました。以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っております。


平成11年(1999)9月吉日
烏森神社社務所


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