栃木県矢板市
矢板市野仏10選
■説明板・・・
●大石地蔵(おおいしじぞう)
宝暦(ほうれき)9年(1759)8月に平野村で死者14人もだす疫病(えきびょう)が猛威をふるいました。そこで、宝暦11年に村中の人達が、寒念仏(かんねんぶつ:念仏の寒行)を行い、病気で亡くなった人々の3回忌の供養と治った人々の全快の感謝の心を込め、地蔵彫りの名人、信州(長野県)の石工平嶋六右衛門(ひらしまろくえもん)に依頼し、石地蔵を建立しました。石材は、地元産出の「平野石」で、慈愛にあふれたその温顔は、人々の祈りと願いが込められているようで思わず合掌してしまうほどです。
※林道寺山線は寺山観音寺からさらに山に向かう。
※お地蔵様はちょっと高いところにあり、登りやすいようにロープが結んであります。
栃木県矢板市
■説明板・・・
●寺山観音寺
神亀(じんき)元年(724)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が剣ケ峰のふもとに法楽寺(ほうらくじ)を建立し、千手観音と両脇侍(りょうわきじ)を安置したのが興りといわれています。延暦(えんりゃく)22年(803)雷火により寺は焼失しましたが、観音堂は安泰でした。現在地に移転したのは、大同(だいどう)元年(806)と伝えられ、徳一上人(とくいちしょうにん)が七堂伽藍(しちどうがらん)を建て、尊像(そんぞう)と御堂(みどう)も移したといわれています。
その後、塩谷氏代々(しおのやしだいだい)の祈願寺(きがんじ)として知行地(ちぎょうち)一千石(いっせんごく)を寄進、塩谷氏滅亡後は宇都宮城主代々の祈願寺となりました。住職は毎年正月15日に拾万石格式の駕籠(かご)に乗って祝賀に登城するのが恒例でした。
本尊の千手観音は秘仏で、60年に一回だけ開帳されます。
文化財・・・国・県・市指定文化財多数・・・省略
栃木県矢板市
■説明板には
●牛石(うしいし)
高原山剣ケ峰のふもとに建っていた観音寺は延暦22年(803)雷火による火事で焼けてしまいましたが、大悲閣観音堂と尊像は焼失を免れました。そこで、寺を里山に近いところへ移転することになり、観音堂を解体して牛の背中に積んで運ぶことになりました。牛はゆったりと坂を降りてきましたが、現在の寺山に差し掛かるとピタリと止まって動かなくなりました。そこで現在の場所に観音寺を建てることになりました。大同元年(806)のことでした。
観音様は、牛の苦労をほめたたえましたが、牛は観音様のそばを離れようとはしませんでした。そこで観音様はいつまでも近くにいて仕えるようにと、牛を石に変えてやりました。白と黒のまだら色は、牛の毛色が残ったものと伝えられています。これが、牛石の伝説です。