前回からの続きです。
救急車のサイレンが聞こえてきて、自宅の前で止まりました。
(主人が外に出ていて救急隊員を誘導)
3名の救急隊員がきて、その中に女性の救急隊員がいました。
その方が私の傍にきて、母の状態を見ながら私に倒れた時の様子を聞きました。
そして、「右手が動きませんので、脳のダメージの可能性があるかもしれません」と説明しました。
そして男の救急隊員の方が、
「患者さんを包むような、毛布かタオルケットがありますか?それと患者さんの保険証を準備できますか?」
と、言われたので慌てて準備しました。
タオルケットは、孫たちが来るのですぐ使えるように1階の和室の押し入れに入れておいたのをだして、
保険証は、母が大切な書類をまとめて入れある箱の中から見つけました。
この経験から、後日主人に保険証の場所を教えてもらい、私も自分の保険証の場所を主人に言いました。
救急隊員の方々はとても親切でした。特に女性隊員の顔を見たときは、ホッとした気持ちになりました。
動転している私を落ち着かせるようにやさしく話してくださいました。
そして「患者さんのことがわかる方一緒に来ていただきたいのですが・・」
と言われ、私が救急車に同乗することになったのですが、何を持っていくのか?
とりあえず、財布・スマホ・ハンカチ・それとマスクを3枚慌てて持ちました。
パニック状態というのは、こういう時の事でしょうね。⇒
救急車は以前にも何回かは呼んだことがあります。
一番記憶に残っているのはのは、音文連音楽祭で演奏した後、生徒の一人が楽屋で心不全を起こして倒れてしまった時です。
8団体の出演グループがまだ演奏会をしている途中でした。
生徒は苦しんでいたので、まず救急車を手配しなけれと思いましたが地下なので携帯が通じません。
すべて私の責任で判断しなければならないので、まず1階に行って救急車に連絡しました。
まだ演奏会が続いていて、来場者が800名ぐらいいましたので、
会場近くに来たら、サイレンを鳴らさないように頼みました。
そして案内人が楽屋口に2人いることを告げました。
控え室で待っていたら、10分程で案内の生徒が救急隊員を連れてきてくれました。
待っている時の長かったことは今でも覚えています。
私はまだ会場を離れることが出来なかったので、生徒1人に救急車に乗ってもらって、
後から連絡するように伝えました。
救急車が患者さんをどこに運ぶか私達にはわかりませんので、連絡だけはお願いしました。
私は演奏会の全体の責任者にこのことを話して、控室の跡片付けなどして待っていました。。
しばらくしてから救急車に同乗した生徒から連絡が入って駆け付けましたが、
すべて間に合わず、その生徒さんは天国に旅立たれました(合掌)。
⇒母の事に戻りますが、救急車に乗ってから「患者さんのマスクはありますか?」と尋ねられ、
持ってきたマスクを渡しました。(良かった、マスク入れておいて)
「最初、何処に連絡した方がいいですか」と言われたので、近くの病院を言いましたが、
担当の医師が不在で受け入れが出来ないということなので、隊員の方は「他の病院に連絡します」と電話してくださいました。
「此処は脳専門の医師がまだ居るそうなのでそちらに行きます」
と言ってサイレンを鳴らして出発しました。その病院までは救急車で行けばノンストップなので
3分ほどで到着しました。病院に着いたのが、6時27分頃。
すごく長く感じたけれど、救急車がきて病院に到着するまで15分位でした。
病院に到着したら、すでに看護師たちがいてICUに連れて行きました。
次回また書きます。