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夢枕獏から届いた緊急メッセージ〜【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】

2020年08月29日 | 日々雑感 #茨木市議会議員
 昨日バタバタだったこともあり、今日は原稿の準備でほとんど自宅でした。住んでいる住宅の育成会が、毎年の夏祭り「平田台カーニバル」が無くなって寂しいだろうと子どもたちの企画を管理事務所前で実施。子どもも多く集まっていました。

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下記に紹介の【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】を読んで

できる限り、正直に生きたい。そう思わせてくれる、いい文章。きっちりと分析されていて「ほんとにそうですね」と心の中で相槌を打っていました。

 政治は結果だ。 
 結果が全てだ。
 コロナ問題もそうだ。
 感染症と闘うことができるのは、医療と政治しかない。
 その政治が、今、何をやっているのか。
 政治家として、きちんと闘っている人間は、わずかだ。
 何故、多くの政治家が沈黙しているのか。
 細かいことは、ここでは書かないよ。
 今後、コロナのことで死ぬ人が出てくれば、それは政治のせいであると思う。


 政治と関わっているものとして、厳しく受け止めたいと思います。

皆がコロナと闘う今、夢枕獏から届いた緊急メッセージ〜【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】


【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】〜夢枕獏

 心の中に湧きあがってくるものがあるのである。
 原稿を書いていても、窓から外を眺めていても、それは湧きあがってきて、消えない。怒りと言えば怒りなのであるが、その半分は哀しみのようなものだ。 
 それは、うまく表現できないのだが、
「馬鹿だなぁ、人間は……」
 という思いのようでもある。
「愚かだなぁ、人類は……」
 というあきらめのようでもある。
 もちろん、この“馬鹿”と“愚か”の中には、ぼく自身も入っている。
 人は馬鹿で、愚かで、つい保身に走りたくなる。自分が可愛い、そういうものでできている。だから、できるだけ、人の愚かさを愛そうと努めてきた。許そうと努めてきた。当然ここには下心もある。
 だから、ぼくの馬鹿や愚かも許してねという下心である。けっこういやらしい。
 こういうことや、これから書くようなことは、あまり声高に発言するものではないとも、ずっと考えてきた。小説の中に書くことはあっても、このような文章で書くというのは、うまく言葉にならないということがわかっているし、誤解も生みやすく、うまく伝える自信もなく、これまでためらいがあったのである。
 しかし、この湧きあがってくる思いがなかなか消えない。 
 小説を書くことや、日常生活の中に、夾雑物のように入り込んできて、消えない。なんだか苦しい。
 書いてしまえば、多少は楽になるかもしれないと考えて、原稿用紙のマス目に、下手な丸っぽい字を埋めながら、今、この文章を書きはじめたところなのだ。

 ぼくは、かつて、何度か国家と戦ったことがある。
 正確に書いておけば、戦っている人たちの端っこの方に混ぜてもらって、ささやかな発言をしてきたくらいなのだが、たとえば、意味のないダム建設に反対する運動などを、何度かお手伝いしたことがあるのだ。
 具体的に言えば、長良川の河口堰建設に反対したことであり、川辺川ダムの建設に反対したことであり、四国の吉野川の河口堰建設に反対したことである。その他いくつか。
 こういう運動は、時間と精神とエネルギーをとられるだけで、得られる果実はあまりに少ない。
 このような運動は、そもそも選挙の票をどれだけ持っているかどうか。一国の政治をひっくり返すだけの票を、その運動が持っているのかいないのか。そういう力を持たない運動は、無力に近い。
 一票は重いと言ったのは誰だ。一票はあまりに軽い。その軽い一票に、かなしいことに我々はすがらねばならない。すがるしかない。これまで、どれほどの無力感にさいなまれようと、この軽い一票を投じ続けてきた。

 原発についてもそうだ。
 原発はいかがなものかと、昔も今も思っている。なら、ダムでいいのか。化石燃料でいいのか。太陽光発電、風力発電でよいのかというところで、いまだぼくは答を持っていないのだ。その理由や細かいことを書けばきりがないのだが。原発のことでいえば、どれだけ理屈や理論で大丈夫と説明されても、一番不安なのは、それを管理するものが人間だからである。
 人間が不完全だからだ。

 資本主義は、お金を神にした一神教となりはてているし、共産主義だって、似たようなものだろう。これはもう、資本主義がいかん、共産主義がいかんという話ではなく、それを運用するのが人間だからいかんのじゃ、というミもフタもない結論になるしかない。

 人間は愚かである。
 自分の身は守りたい。
 言いわけ大好き。
 このぼくもそう。
 当然政治家もそう。 
 答えがない。

 これはもう、ただただ仕事をして、釣りをすることを、自分の善として生きてゆくしかないんじゃないの。
 どうなのよ。
 ぼくにはわからない。
 六十九歳になったが、今もわかんない。
 世の中のことのおおかたは、答えがない。正解もない。そのくらいはわかる歳にはなったが、自覚できたのは、自分の愚かさのみである。
 ああ──
 ひたすら小説だけを書いていきたいのだが、今回ばかりは、しみじみと何ものかがこみあげてきて、こんなクソな言いわけをしつつ、この文章を書き出したのである。

 コロナウイルスのことだ。 

 紀元前555年から548年にかけて、古代中国の斉せいという国に荘公光そうこうこうという王がいたのである。
 宰相が崔杼さいちょというやり手の政治家だ。
 この崔杼が、荘公光を殺して、自分の言いなりになる荘公光の息子を新しい王とした。
 これを太史たいしが、
「崔杼、荘公を 弑しいす」
 と書いた。
 太史というのは、簡単に言ってしまえば国家の記録がかりである。歴史官といってもいい。
「弑す」
 というのは、目下の者が目上の者を──つまり、臣下が王を殺すという意味の言葉だ。
 すると崔杼は怒って、
「書きなおせ」
 と命じたが、太史は、
「できません」
 顔をあげてこう答えたのである。 
 それで、崔杼はこの太史を殺してしまった。 
 次の太史となったのは、殺された太史の弟である。この弟もまた、
「崔杼、荘公を弑す」
 と書いた。
 それで崔杼はまた、この弟も殺してしまった。次の太史となったのは、一番下の弟である。この一番下の弟もまた、
「崔杼、荘公を弑す」
 と書いた。 
 これで、ようやく、崔杼はあきらめたというのである。
 このこと、司馬遷の『史記』にも書かれている。
 もとネタは、さらに昔に書かれた『春秋左氏伝』に記されている。
 かつて、中国においては、これほどに『公文書』というものは重いものだったのである。
 なんのことか、わかるよな。

「がんばっている」
「よくやっている」
 は、子どもにかけてやる言葉だ。
 がんばったことで、許され、称讃されることは、もちろんある。
 格闘技であれ、スポーツであれ、敗者にかけられる言葉は、まず、ない。
 それでも、我々は、言う。
 泣きながら言う。
「よくがんばった」
「よくやった」
 これは、しかたがない。
 周囲は本当にそう思っているのだ。
 誰かを応援するということは、その誰かに自分の人生の一部をあずけることである。だから、応援している者が敗れると、深い喪失感を味わうのである。

 しかし、しかし、しかし──
 政治は違う。
 政治は別ものだ。
「よくがんばっている」
「よくやっている」
 でも戦争になってしまいました、はない。
 政治は結果だ。 
 結果が全てだ。
 コロナ問題もそうだ。
 感染症と闘うことができるのは、医療と政治しかない。
 その政治が、今、何をやっているのか。
 政治家として、きちんと闘っている人間は、わずかだ。
 何故、多くの政治家が沈黙しているのか。
 細かいことは、ここでは書かないよ。
 今後、コロナのことで死ぬ人が出てくれば、それは政治のせいであると思う。
 その政治や、政治家を作ったのは、我々だ。
 このぼくだ。

 ぼくは、今、六十九歳、高齢者である。
 高血圧、糖尿病だ。
 身体はよれよれだ。
 感染すれば、命があやうい。
 ぼくは、仕事と、釣りと、友人と、そして家族によって生かされている。
 困った時は、仕事と釣りにすがって生きてきた。 
 今のところは、無事だ。
 書くべき仕事、書きたいものは、山のようにある。
 もう一回、虫に生まれかわっても書いてゆきたい。

 今の感触で言えば、書くことで原稿料をいただくようになって、四十数年、やっとこの歳になって、スタートラインに立ったような気がしている。これまでの人生はこれのための準備期間だったとわかる。
 これから、やっと、書ける。
 ようやく、考えていたこと、やろうとしていたことに手をつけられる。 
 そう思えるようになった時には、もう七十歳が目の前だよ。
 人生なんて、そんなもんだ。
 志村さんも、そうだったろう。
 どれほど無念であったろう。

 いいか、書いておくぞ。
 ちゃんと見ているからな。
 誰が何を発言したか、どんな目つきをしていたか、忘れないからな。必ず覚えておくからな。
 もしも、この命ながらえたら、次の選挙の時、おぼえてろよ。

 二〇二〇年四月十二日


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