源造のウキ浮き釣り日記

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お葬式

2022年08月21日 16時44分00秒 | バス釣り
SNSにはちょっと書いたのですが。

父親が亡くなりました。

こんなタイトルでブログに書いて良いのかと思いますが、父親に確認はもう出来ないのでバカな息子だとあっちで言っていることと思います。

4月の下旬に実家から連絡ありまして、それまで元気だった父親が自力で立つことが困難になり、病院で診てもらったところ悪性リンパ腫と診断され検査入院することになったと。

入院する前に一度会いに行ったのですが思ったよりは元気でした。

5月に入り、予定通り検査入院したのですがそこで倒れ、熱を出し、退院出来なくなりました。

コロナ禍なので直接の面会ではなくリモート面会なので今ひとつ気が乗らず、病院からの連絡を待っていました。

6月に入りリモート面会しようかと予約を入れた頃、朝イチに実家からの父親危篤の連絡。

病院に掛けあって、今すぐ来れば会わせてくれるというので母親と直行。
久しぶりに会う父親は痩せて、私たちの呼びかけになんとか反応するのみでした。

看護士さんの今日が山場かもしれないと言う言葉。
私も初めての経験でとても動揺しました。



その後、なんとか持ち直して安定し慢性期の病院へ転院。


ここで何回かリモート面会をしたのですが、もともと父と息子ですからそんなに会話するわけでもありません。
10分と言われたけどそんなにもたないこともしばしばでした。


7月中旬
病院から体調が落ちてきているとの連絡。
差し入れにメロンを持って行ってみましたが食べることは出来ませんでした。


それまでは釣りも近め短めを中心にしてたんですが息子なんて冷たいもので、この頃には父親の入院にも慣れてきて、釣りにも普通に行くようになっていました。

そして8月
病院からリモート面会をするなら早めにと言う連絡がありました。
兄夫婦と母親と共にリモート面会。
とても痩せた父親が居ました。


そして8月8日、午後1時
永眠しました。


家族が駆けつけたときには遅かった。
コロナ禍だからどちらにしてもそばには居られなかったのかもしれませんが。

その時に病院に居られなかったのは少し、残念でした。


入院した当初から、あまり生きる気力が無かったようです。
なんでそう思ったのか聞くことはできませんでした。
入院していた父が何を見て、何を思っていたのか、今となっては知るよしもありません。

それがわかるのは私が死の床にある時なのかもしれませんね。




と、ここまで書いて、続きが書けなくなりました。
書いては消して、書いては消して。


頭の中をまとめようかと思いましたが、うまくまとまらないや。


自分なりに生きていくことが一番の供養なのかも。
なんて締めるのが今の精一杯です。


お疲れ様でした、親父。


コメント (2)
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