アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

三界の夢 そのⅥ 外伝② 風林火山

2017-02-06 22:19:58 | 物語
そのⅥ 外伝② 風林火山

 謙信の居城、春日山城は名の如く山が如き堅城であった。
 どのように腕の立つ乱破でも、忍び込む事は不可能とされていた。

 春の宵、謙信は毘沙門堂に籠もって、一人書見をしていた。
 一人といっても、この時代では武者隠しの部屋が隣接していて、屈強の強者
達が詰めていた。
 謙信は書見をしながら、左手で杯を傾けていた。
 謙信は無類の酒好だったのです。肴はあまり食べません、この夜はあぶった
烏賊だけでした。
 謙信は倹約家として知られており、家臣達はご馳走や酒がふんだんに振る舞
われた時は出陣と心得ていました。

 燭台がかすかに揺れて、背後で人の気配がしましたが、謙信はかまわず杯の
酒を飲み干しました。 
 空の杯に、スーッと女の手が伸びて酒が満たされました。
 女の手を、謙信が掴もうとすると、忽然と手は消え、三間も先で若い女が手
をついていました。
「あやしきおなご、ゆるす。表を挙げよ」
 静かに顔を上げる女。
 謙信は、その女の美しさに眼を見張った。
 謙信が聞き耳を立てると、武者隠しから鼾が聞こえて来ました。
「女、一服盛ったのか?」
「怖れながら、そのように」
 女は怪しくも美しい微笑みを浮かべた。
「越後の猛者達も、存外だらしがない」
「お責めなさるな、お屋形様」
「これ、乱破。それとも、くノ一、或いは歩き巫女と呼べば良いのか?」
「お屋形様のお好きなように」
「そなたに取って、お屋形様と呼ぶべきは信玄公ただ一人のはず」
「しらぬ振りを決めても無駄で御座います」
「そうか、隠しておるものを敢えて暴くことも有るまいが、言い直す。勝頼の
小童だけであろう」
「小童の阿呆は、見限りました」
「武田を抜けていかがいたす」
「お屋形様にお仕えて差し上げまする」
「法螺をふくな女、そなた一人を召し抱えても役にたちまい」
「わたくしは三十人の甲斐の山猿を束ねておりまする。一声かければ三百人の
屈強な武田の騎馬武者も駆け集まりまする」
「女、生憎越後はそれ程裕福でもなく、わしも吝嗇でな、ろくな扶持米を払え
ぬぞ」
「ご心配には及びませぬ。わたくしは幼き時より甲斐の山々を駈け巡って育ち
ました。甲斐の山の隅々まで、滝壺や洞穴の全てを知っています」
「ほーう、信玄公の埋蔵金は有るのか?」
「さあ・・・」
 女は意味ありげに微笑んでいる。
「これ女、杯が空になっておる」
「失礼いたしました」と、女は謙信公に膝を進めて、杯を満たした。
 謙信がまた女の腕を掴んだ。
 今度はされるままにしている女は謙信の顔をまじまじと見詰めた。
「おんなでは風情が無い、名を申せ」
「くノ一に名など御座いません。が、風とでもお呼び下さいませ」
「かぜ?」
 謙信はその名に覚えが有った。武田のくノ一に、風、林、火と呼ばれて怖れ
られているくノ一の噂を思い出した。
「かって、わしは風は老婆だと思うていた」
「女は化けまする」
 風は謙信の顔を、前にも増してじっと見詰めていた。
「わたくしの顔に見覚えは?」
 風はそう言うと、微かに頬を赤らめた。
 謙信は、女の言葉で思い出した。幼女では無く、くノ一の風の事である。

 数年前、僅かな供を従えただけで上洛した。将軍足利義昭に呼ばれたから
だ。
 烏丸通りを御所に向かって歩いてると、向こうから十人程の侍がやってき
た。謀反の達人、松永弾正の手の者に違いない、横柄な様子で近づいてくる。
 その者達は数間先で立ち止まった。
「どちらの家中のものじゃ。この京都では武装してはならぬ。刀槍を渡せ」
「刀と槍を渡せば武士ではなくなるではないか」と、謙信が答えた。
「田舎侍が何をほざくか」
「お前らこそ吠えるでない。うるさい犬共を黙らせよ」
 謙信が、供の侍に命じると、忽ちの内に五人の松永侍は投げ飛ばされ、二人
が築地塀に押しつけられて身動きを封じられていた。
 騎馬の三人がその場から遁走した。
 何時の間にか、烏丸通は野次馬で溢れていた。
 行脚の沙弥達、物売りや大工風の男達、野党らしき男達まで現れていた。
 謙信は、通りの向かい側の築地塀を見た。風変わりな忍び衣装で塀の上に立
ち憚る三人の女がいたからである。
 くノ一達は相当に歌舞いていた。忍び衣装というのは、目立たぬように黒が常
識であった。が、一人は鮮やかな青、一人は萌葱色、一人は紅に燃える装束で
身を固め、首には風にはためくそれぞれの色の長い領巾を巻き、装束の中の鎖帷子は
漆塗りの黄金で輝いていた。
 謙信と青のくノ一の目が合った。
 三人のくノ一は一様に謙信を見詰めていた。
 青のくノ一が笑った、謙信も笑顔で応えた。

 くノ一達はトンボを切って地上に降り立つと、脱兎の如く、逃げ去った騎馬侍
を追った。「徒で騎馬に追いつくつもりであるか。加勢など幾らでも呼ばせれ
ば良いものを」
 謙信はそう思いながら、三人を見やったが、なんと速いこと、速いこと、あ
きれる程の速さで、人間業とは思えなかった。
 何時の間にか、謙信の周りはそれぞれに扮装した、五十人程の越後衆で固め
られていた。
 謙信は側で跪いている虚無僧に声をかけた。
「景綱、苦労である。国元は安穏か?」
「万全の備えを施しましたから、まずは安心かと」
「景綱、あの者達をどう見る」
 謙信がくノ一が走った先を見たが、もう姿が消えていた。
「甲斐の忍びかと?」
「甲斐の忍びがなぜわしを襲わず、松永侍を追う?」
「あの輩は人で有りながら、常の人では御座いませぬ。何を考え、何を致すか
それがしの頭では考えが及びません」
「まあよいわ、それではぼちぼち将軍の顔でも見に行くか」
 謙信は悠然と歩き出した。
 従うのは数人だけで、景綱を初め、越後衆は築地米の影に隠れた。

 謙信の顔を見詰めた風がこう言った。
「やっと、思い出して呉れましたのね」
「ああ、あの後、松永侍をどうしたのだ?」
「可哀相でしたが、お命を頂戴いたしました」
「ほーう、では礼を言わねばならぬな」
「わたしたちは余計な事をしただけでした。随分と怪しげな輩が徘徊しており
ましたから、松永勢と合戦となったとて、越後衆の勝利は間違いありませんし?
・・・」
「その後はなんと言おうとしているのじゃ?」
「松永勢が、お屋形様の名を知れば、合戦になどなりませぬ」
「ハハハ、面白いことを言う女子じゃ、また酒の供をせよ、信長の話など聞か
せて呉れればなお良し」
「畏まりました。早速調べ挙げ、参上仕ります」
 そう言った時には、風の姿は闇に掻き消えていました。

 春日山を駆け下り乍ら、懐の守り袋を握りしめる風、どうせ思い出すなら、
くノ一風で無く幼き時の姿の方が嬉しかった。
   2017年2月6日   Gorou


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