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〇映画監督として
テレビマンユニオン在籍中の1995年に『幻の光』で映画監督デビューすると、第52回ヴェネチア映画祭で金のオゼッラ賞を受賞[2]。
続く2作目の『ワンダフルライフ』ではナント三大陸映画祭でグランプリを受賞、世界30ヶ国、全米200館で上映されインディペンデント映画ながら国際的にも異例のヒットとなった[5]。
相米慎二とタッグを組んでいた安田匡裕が『ワンダフルライフ』からプロデューサーとなり、亡くなる2009年まで是枝作品をサポートし続けた[17]。
2001年、『DISTANCE』でカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に初出品[2]。2004年、『誰も知らない』で柳楽優弥が第57回カンヌ国際映画祭において史上最年少・日本人初にして最優秀男優賞を受賞すると日本国内でも大きなニュースとなる[2]。
この作品は巣鴨子供置き去り事件を題材に是枝が20代の頃から脚本を書き15年かけて映画化に至った作品で数々の作品賞も受賞[17]。
まだネグレクトという言葉が知られていない時代に育児放棄された子どもたちが生きる姿を映し世間に衝撃を与えた[22]。
2008年、『歩いても 歩いても』では亡くなった自身の母を反映させた普通の家族のとある日常を描き出すが、海外のエージェントには「ローカル過ぎて理解されないだろう」と言われてしまう[23]。
さらに30館スタートの小規模上映のうえに、配給会社のシネカノンが倒産してしまい収益も回収ゼロに見舞われるが[24]、公開された各国で「あれは自分の母親だ」と評され、国境を越えて多くの映画ファンから高い支持を受ける作品となった[23]。
オリジナル作品を作り続けてきたが、業田良家の漫画『ゴーダ哲学堂 空気人形』を見て、主人公の空気人形に吹き込まれる「息」をメタファーにした官能的な世界を描き出したいと映画化を熱望し、2009年に『空気人形』を制作[25]。
初めて原作漫画を映画化しファンタジーに挑戦した[26]。釜山国際映画祭でポン・ジュノ監督に会った際に、韓国女優のペ・ドゥナの起用を相談し助言を受け、実際に主人公の空気人形役にペ・ドゥナを起用した[27]。
2010年4月にBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員に就任。
同期の委員として重松清、立花隆、香山リカがいた。
2013年には『そして父になる』では新生児取り違え問題を題材に家族の在り方を描き、第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。
その功績により2013年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞[28]。
〇独立
2011年、過去の是枝作品のスタッフでもあった映画監督の西川美和、砂田麻美らと共にオリジナル作品の企画制作を行う制作者集団「分福」を立ち上げ[29]、テレビマンユニオンから独立後、2014年に株式会社化[30]。
テレビマンユニオンの創設者の一人である村木良彦がかつて述べた「組織が創造するのではなく創造が中心にあり、そこに人が集まり組織になる」という考えが受け継がれている[29]。
監督と対等な立場で意見を出し合う監督助手というポジションを設け、若手監督の育成も行っている[31]。
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