【ドイツは核を持ち込まれてしまっているので、「いつ撃つのか、どこに撃つのか、俺にもやらせろ」という議論になっているのです。日本は完全にお任せなので、むしろ「持って来るな」という議論を一生懸命やっていたわけです。「持ち込んだ、持ち込んでいない」という議論を一生懸命やっていて、「その核をどう使うのか」、「その核で本当に安全なのか」、また「まさか撃たれたときに撃ち返さないとは言わないよね」という議論をやっていないし、総理大臣も核の議論に突っ込んだことは1度もありません。】
★『昭和のノーベル賞 非核三原則・沖縄返還などで日本人初の平和賞 佐藤栄作氏(1974年)【映像記録 news archive】
佐藤栄作総理: 我々は核兵器の絶滅を念願し、自らもあえてこれを保有せず、その持ち込みも許さない決意であります。 我々は当面、核兵器核拡散防止に関する公正な条約の早期締結に務め、さらに国際間の交渉による核軍縮の達成に全力を傾けねばなりません。 そして核保有国が核兵器で威嚇したり、これを使用したりすることを不可能とする国際世論を喚起し、人類の理性が核兵器を支配する正常な国際関係を作らねばなりません。 1968年1月27日の佐藤栄作総理の施政方針演説です。 この6年後の1974年10月、すでに引退して長髪になっていた佐藤前総理は満面の笑み。 ノルウェーのノーベル委員会により、ノーベル平和賞に選ばれたのです。 寛子夫人と撮影に応じます。 受賞理由は、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の いわゆる非核三原則を表明して、 日本が1970年にNPT=核不拡散条約に署名したこと、そして 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦争は終わらない」として 1972年に沖縄返還を成し遂げ、太平洋地域の安定に貢献したことです。
』佐藤元首相のノーベル平和賞授与と引き換えに「いまの核兵器がどうなっているのか、どうやって自分の安全を守るのかという議論」2021年ー1974=47年間を封印続けたか>
★岸田内閣主要閣僚(注1)は、核兵器安全保障や憲法改正国会論議を加速することを
佐藤元首相 の墓前に報告し、次期国政選挙の公約とするか>
:::::
By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2021-11-29 更新:2021-11-29
日本に必要な「突っ込んだ」核論議 ~核禁会議に被爆2世代表団派遣検討
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(11月29日放送)に元内閣官房副長官補・同志社大学特別客員教授の兼原信克が出演。被爆2世でつくる「全国被爆二世団体連絡協議会」が、核兵器禁止条約の締約国会議に代表団の派遣を検討しているというニュースについて解説した。
〇核兵器禁止条約の締約国会議 ~被爆2世の団体が代表団派遣を検討
被爆2世でつくる「全国被爆二世団体連絡協議会」は11月28日、長崎市で全国交流会を開き、2022年3月にオーストリア・ウィーンで開催される核兵器禁止条約の締約国会議に代表団の派遣を検討することを確認した。被爆2世を条約の支援対象に含めるよう求める方針だ。
飯田)1月に発効された核兵器禁止条約。第1回の締約国会議が来年(2022年)の3月にウィーンで開かれる予定です。被爆2世の方々が、「我々も含めるように」ということを訴える方針のようです。日本国内でもさまざまな議論があると思いますが。
〇「足元の核抑止の話はどうするのか」と言う議論が抜け落ちている日本 ~世界で最も核兵器の脅威に晒されている
兼原)核の廃絶が理想だというのはその通りです。被爆者の方がおられるので、発信力は強いですから、そこは頑張っていただきたいと思います。しかし日本は、「足元の核抑止の話はどうするのか」という議論が完全に抜け落ちているのです。
飯田)足元の。
兼原)他の国では、核廃絶の理想の議論と安全保障の議論、両方をやるのです。中国が現在200発ある核弾頭を10年で800発くらいにすると、ペンタゴンが最近言い始めていますし、最近はロシアも核兵器を小型化していて、国が広過ぎるため、先に使うと公言しているのです。北朝鮮も核を持っていて、現在、世界のなかで最も核兵器の脅威に晒されているのは、日本なのです。
飯田)そうですね。
兼原)日本の核抑止や安全をどうするのかという話と、民主的な理想の話、両方やらなければいけません。ドイツは両方やります。NATO
の一員で核の傘を被り、「核をどうするか」という話をするわけでしょう。
〇「核兵器からどうやって自分たちを守るのか」を考えて来たドイツ ~理想論だけで来てしまった日本
飯田)ドイツが締約国会議にオブザーバーで参加するということで、「アメリカの核の傘で守ってもらっているドイツも参加するのに、なぜ日本は参加しないのか」という議論もありますが。
兼原)ドイツは独立した時点からイギリスとフランスが核兵器を持ち、自分だけが持っていないので、自分がやられると思うわけです。ソ連に反撃できませんから。だから、核の傘についてもアイゼンハワーの時代から必死なのです。NATO核というものができて、NATO独自の核を管理しているのですが、これも一言で言うとドイツ問題だったのです。
飯田)NATO核は。
兼原)戦後76年間、一貫して「核兵器からどうやって自分たちを守るのか」ということを考えて来た人たちなのです。日本はまったくやっていません。現実の核抑止についての議論をやりつつ、「長期的に核をどうコントロールするか」について考えようという話になってから、軍縮や軍備管理の話になって行くのです。
飯田)日本はやって来なかった。
兼原)いまの核兵器がどうなっているのか、どうやって自分の安全を守るのかという議論を飛ばしてしまうと、理想で止まってしまうのです。いまの現実論と理想論を両方合わせないと、政策論にはなりません。日本はこれができないのです。
飯田)どちらかになってしまうということですか?
兼原)どちらかになってしまうということです。
冷戦時代の名残で、東側に足を突っ込むと、何でも反対になってしまうし、西側に足を突っ込むと「必要ではないか」という話になってしまうのです。全然交わらないので、日本は特殊です。
〇突っ込んだ核の議論をするべき
飯田)冷戦期の言論環境のようなものが、そのまま引き継がれている。
兼原)冷戦が終わって、もう30年ですからね。そろそろ真面目に考えないといけないのですが、昭和年鑑のような感じで昔の名前が出ています。ずっと同じことを言っているので、そろそろ政治家の方も真面目に考えて欲しいです。
飯田)いままではアメリカが持っている核で、日本は手出しができないけれども、暗黙のなかで守ってもらっている感じだった。冷戦期はそれでよかったけれど、主権国家としてそれでいいのかという話になるわけですか?
兼原)ドイツは核を持ち込まれてしまっているので、「いつ撃つのか、どこに撃つのか、俺にもやらせろ」という議論になっているのです。日本は完全にお任せなので、むしろ「持って来るな」という議論を一生懸命やっていたわけです。「持ち込んだ、持ち込んでいない」という議論を一生懸命やっていて、「その核をどう使うのか」、「その核で本当に安全なのか」、また「まさか撃たれたときに撃ち返さないとは言わないよね」という議論をやっていないし、総理大臣も核の議論に突っ込んだことは1度もありません。