小田貴月
2020/01/15 12:00
高倉健さんの養女・小田貴月(たか)さんは、17年もの間、自分の存在を世間に知られぬよう暮らしてきました。孤高の俳優をひたすら支える日々は、いったいどのようなものだったのでしょうか。そして、小田さんだけが知る高倉さんの遺志とは――(構成=福永妙子 撮影=本社写真部)
大きな課題を終えても名誉を守る使命は続く
亡くなる2年くらい前のこと。高倉が「自分のほうが早く亡くなるだろう。そうしたら、僕のこと書き残してね」と言うのです。「僕のこと、いちばん知っているのは貴だから」と。ああ、これは私への宿題なのだと思いました。
高倉が逝ったあと、法的手続きに追われ、58年間の俳優人生で残した倉庫いっぱいの資料の整理にも、膨大な時間がかかりました。
それをこなしながら、高倉が言い残した宿題にも全力で取り組む。書くのは夜。空気が澄んで落ち着いてくると、高倉の声を拾いやすくなるのです。いつも会話をしているようで、寂しさは和らぎました。そうして『高倉健、その愛。』を書き上げたのです。
ひとつ、大きな課題を終えました。時代の風雪に耐え、“高倉健”を貫いた美しい姿、その名誉を守り続けるという使命は一生続きます。今後、私の人生がどうなるのか、自分でもわかりません。けれど、高倉が17年間、チャレンジ精神を鍛えてくれたので、いただいたご縁を紡ぎながら、自分が最良と思った行動に、最善を尽くします。
「負けるなよ」という高倉の声とともに、その光が灯された道を歩んでいきます
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