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80年代トップアイドル!南野陽子さん2022.07.16徳光和夫 石川 みゆき

2022-07-16 16:19:41 | 連絡
今回のゲストは、80年代トップアイドルとして活動後、映画『寒椿』や『半沢直樹』の出演など今でも幅広いジャンルで活躍中の南野陽子さん
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80年代後半に最も活躍した女性アイドル4人(南野、中山美穂、浅香唯、工藤静香)は当時アイドル四天王と呼ばれていた[6]。
別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上は年間ベスト50位以内に限っても232.2万枚と当時の女性アイドル中6位。年間ベスト50位以内ランクイン曲数も10曲と当時の女性アイドル中3位であった[7]。
1990年:ウィーン・オーパンバルでデビュタントとして、社交界デビュー。
1992年:歌手活動休止。女優業に専念。
映画『寒椿』、映画『私を抱いてそしてキスして』主演。日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。
2005年:歌手デビュー20周年で、ソニー・ミュージックエンタテインメントより6月22日全アルバムを収納したCD-BOX『南野陽子 ナンノ・ボックス』9月28日『ナンノ・DVDボックス』、ポニーキャニオンより7月27日
「はいからさんが通る/吐息でネット」をセルフカバー・マキシシングルとして発売。
2006年10月2日:ニッポン放送のラジオ番組『南野陽子 今日はナンノ日っ!』がスタート。十数年のブランクを経てラジオ番組のパーソナリティを5年間にわたり務めた。 
2011年3月:知人を介して焼肉店で知り合っていた4歳年下の会社経営者の男性と結婚。
 2015年12月9日: 歌手デビュー30周年記念盤として、『ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary』をリリース[10]
2018年:NHK大河ドラマ『西郷どん』に出演。
2020年:TBS『半沢直樹』に出演。
日本テレビ系『歌のトップテン』に出演した際、南野をモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで、番組にゲストとして呼ばれた男子高校生と握手する時、衣装の長い右手袋をわざわざ取って、直に握手したというエピソードが残っている。1988年11月放送。
仕事などから帰宅してすぐに、必ず5分は、自宅の清掃を行うという[14]。
これは、オンとオフを切り替えるための儀式のようなものであるという[14]。
美肌女優の評判がある南野[14] ではあるが、今でも、仕事時のメイクの9割以上は自分でこなしているという[14]。
マイクロキャビンのアクションロールプレイングゲーム『サーク』に、南野演じる南条円そっくりの看護師が出てくる。
主人公ラトクに「熱っぽいの?」と聞くと、ラトクは「ナンノこれしき!」と答える。
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にお越しいただきました。
久々に会う徳光さんも「最初に会ったときと変わらない!あの時はテレビ局のスタッフも南野さんのあまりの綺麗さにざわついた」と登場時から賞賛でした。
関西出身だった南野さん、街で見かけるのも芸人さんが多く、間近でアイドルを目にすることもなく芸能界を遠い世界の存在と考えていました。
ただスカウトされデビューを経てテレビ局などに行くにつれ気持ちの変化があり、トップアイドルへの道を駆け上がることになります。
上品な感じや、母親譲りの京都よりの関西弁だった南野さんは当時、芸能界では珍しい存在で徳光さんもすぐ辞めると思っていました。
ただ「このままやめたら(色々言って来た人に)言い訳できなくなるし、お嫁に行ってから辞めるものだと思ってました」とデビュー当時も振り返りました。
かつて歌番組で南野陽子さんと共演した徳光さん、南野陽子さんがファンと握手する機会がありわざわざ衣装の手袋を外し、素手で握手する姿に「いい人柄だなぁ、この人の心を見たなぁ」と感銘を受けたエピソードも飛び出しました。
その他、コロナ渦でなかなか会うことの出来なかったお父様のお話や、かつてニッポン放送でパーソナリティーを務めていた番組「南野陽子  ナンノこれしきっ!」の最終回音源が流れ当時のアイドル絶頂期を振り返った場面など詳細はタイムフリーでお聴きください。

 


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