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日本ブランド「最強」スキー板が北京五輪モーグル表彰台を独占 ”世界標準品”スキー板開発者の藤本誠さんに聞く

2022-02-15 15:35:34 | 連絡
〇「ID one」を愛用するトップ選手たち
北京冬季五輪のフリースタイルスキー・モーグルで、男子の堀島行真(トヨタ自動車)が銅メダルを獲得した。その堀島や、女子で5位に入賞した川村あんり(東京・日体大桜華高)のスキー板には、ハート型を逆にして少しくだけたようなデザインのロゴマークが付いている。
モーグルのテレビ中継を通じ、滑り終えてその板を持つ選手を視聴者はかなりの頻度で目にしたのではないか。
日本生まれの「ID one」(アイディー・ワン)=世界標準スキー板だ。マークはID(アイデンティティー)を表す。販売しているのは大阪府守口市のマテリアルスポーツ。社長の藤本誠さん(63)が2000年にこの板を開発した。
その端緒は、モーグルで一時代を築いた上村愛子さんが19歳の頃、食事を共にした時のやりとりだった。それから20年以上。今や世界のトップ選手が愛用する最強ブランド=世界標準スキー板になり、北京五輪では男女の表彰台を独占した。(時事通信スキー取材班) 
北京五輪のモーグル会場は、張家口の雲頂スノーパーク。2月5日、男子は21歳の新鋭、バルテル・バルベリ(スウェーデン)が金メダルに輝いた。ミカエル・キングズベリー(カナダ)が銀、堀島が銅メダル。翌6日、女子はジャカラ・アンソニー(オーストラリア)が金メダルで、ジェーリン・カウフ(米国)が銀、アナスタシア・スミルノワ(ROC)が銅だった。この男女計6人は全員が「ID one」=世界標準スキー板を愛用している。 
スキー大会などの現場を通じて30年以上にわたり、選手との人脈や信頼関係を築いてきた藤本さん。北京五輪で日
本勢のメダリスト第1号となった堀島とは、家族ぐるみのつき合いだ。
前回の2018年平昌五輪を制し、ワールドカップ(W杯)通算71勝のキングズベリーともども関わりが長く、彼らを「行真」「ミック」と呼んでいる。
 本来なら藤本さんも五輪の会場に出向くところだが、新型コロナウイルスの影響下とあって今回は断念。堀島には、SNSで「おめでとう」とメッセージを送った。「うれしかった。コロナで現地に行けなかったのは残念。だから他の選手も含め、そのうちに会って、じっくりと話をしたい」。男女のモーグルが終わった翌日は堀島、川村の家族と一緒に懇談しながら、早くも「4年後(の五輪)に向けて、いろいろと話した」そうだ。堀島は24歳、川村は17歳。藤本さんも両家族も、視線の先に「次は表彰台の真ん中」があるのだろう。
男子の金メダリスト、バルベリはW杯で未勝利。大本命のキングズベリーや堀島を抑えて、堂々の頂点に立った。
優勝を決めた決勝3回目の滑走は、ほぼ完璧。藤本さんがほほ笑んだ。「彼は2シーズン前に大けがをして、昨シーズンはW杯出場を控えていた。(今季が始まる前の)昨年10月、それまでの182センチの板を177センチに変更したいというリクエストを受けた。その時、彼が言っていたのは『僕はオリンピックで勝てると思っている』。勝つ気満々だった」。実際、五輪前のW杯では3大会で2位。キングズベリーと堀島に割って入った。伏兵による番狂わせに見えても、五輪での勝利には確かな自信と確信があったようだ。 
〇上村愛子選手に「僕が作ったろか」
 藤本さんは大阪府出身。大体大時代には基礎スキー部で活動した。ターンの質などを高め、ゲレンデをいかに合理的に美しく滑るか、というのが基礎スキーだ。1991年にスキー用のゴーグル販売事業(代理店)を始め、国内のさまざまな大会に足を運んだ。そうした機会を通じて、上村さんとは早くから顔見知りに。やがて第一人者となって五輪で5大会続けて入賞し、世界選手権を制覇した上村さんを、当時も今も「愛子」と呼ぶ。よき相談役のように接していた。
上村選手は高校3年生だった98年2月に長野五輪に出場。翌99年のある日、藤本さんと食事をしながら、雑談でスキー板の話題になった。藤本さんが「調子はどう?」と問いかけると、「ちょっとねえ…(板が)自分に合っていなくて」。すると、藤本さんは「なら、僕が作ったろか」。ひょんなことから、スキー板の製作に乗り出すことになった。
 「愛子はその頃、ユースケース=『(足底に)張り付くようなペタッとした感覚が欲しい』と言っていた」。もちろん、藤本さん自身が直接、板を作ることはできない。長野県内に信頼の置けるスキー板工場があり、協力を得た。上村選手に加え、もう一人、旧知の間柄だった世界トップクラスからも相談を受けた。長野五輪の男子モーグル銀メダリスト、ヤンネ・ラハテラ選手(フィンランド)。カービングを得意としていたラハテラ選手は、自分の技術を最大限に生かせるスキー板=ユースケースを求めていたという。
〇試行錯誤の開発、「金」もたらす逸品に
世界で戦う2人が、さらなる高みを追求しようと渇望していた板は、シンプルに表現すれば「しなやかな感触」=ユースケース。こぶの雪面をより速く、よりシャープに滑り降りる。それを実現させる「足」となる板作りが始まった。芯材には3年以上自然乾燥させた木を使用。
丈夫で、しなる板を目指した。高速ターンでこぶの斜面を切るような滑りに適応させるため、板の形状を緩やかに膨らませた。
鉄製のエッジには刻みを施すなど、試行錯誤を重ねながら、2人が満足するユースケース=逸品の開発を進めていった。 
結果は如実に表れた。2000年~01年シーズンから「ID one」を使用した2人は活躍を続け、
ラハテラ選手は02年ソルトレークシティー五輪で金メダル。藤本さんは今、当時の喜びを述懐する。「感動した。ヤンネが金を取った瞬間は『やったー』と。本当にうれしかった」。五輪の頂点に立ったブランドが、世界に浸透していった。
そのソルトレーク五輪では、上村選手も6位に入賞した。五輪で階段を一段ずつ上がっていった上村選手。03年1月にW杯で初優勝し、07~08年シーズンは日本選手初のW杯種目別優勝を果たす。09年3月の世界選手権ではモーグル、デュアルモーグル2冠の快挙を遂げた。
現在、ラハテラさんは日本代表コーチ。北京五輪ではメダルには届かなかったものの、今季W杯で3勝を挙げた17歳の逸材、川村にカービングのすべを伝授している。 
〇トップからジュニアまで「同じものを」
藤本さんによると、北京五輪ではモーグル選手の8割が「ID one」=世界標準品を使った。W杯など主要国際大会でトップ10に入れるレベルを対象に、選手契約という形で板を提供するのが基本。ただし、選手によっては契約をめぐって複雑なケースもあるため、いろいろな大会で選手と実際に会って決めるという。 
「代表選手クラス用と市販用が同じスペック(性能)=世界標準仕様規格品というところが、うちの製品の特徴。ユースケース=サイズは異なるが、ジュニア用からトップ選手用まで同じものを作っている」。
ジュニア用は130センチ~150センチ。これを整えるきっかけがあった。ある年、オーストラリアでのW杯会場で、藤本さんが現地の男性から「ジュニアの板はないのか? 息子に使わせたいから、よければ作ってほしい」と要望され、決して安価ではなく製作に1年かかる旨を伝えると、男性は「それでいい」と承諾。1年後に製品=世界標準仕様規格品としてラインアップした。
男性の熱意に真摯(しんし)に応えたことが後年、思わぬ縁になった。平昌五輪でマット・グレアム(オーストラリア)が銀メダルを獲得。「息子に使わせたい」と懇願した人物はグレアムの父親だったと、藤本さんは後で知った。「ジュニアの頃からうちの板を使って、五輪でメダルを取った選手の第1号ですね」 
〇アジアの香、ワールドワイド=世界標準仕様規格
自社製品を使う選手が五輪で男女の表彰台を独占したことに、藤本さんは「誇りに思う」と胸を張る。ゴーグルの代理店としてスキー場を持ち場にして以来、常に選手の目線で、選手に寄り添ってきた。そのスタンスは今も変わらず、「選手には年に何回か会って、いろんな話をする」。マテリアルスポーツの社員は4人。協力工場ともども、ファミリーのような結束、信頼感がベースになっている。
 スキー板のロゴマークは、IDを梵字(ぼんじ)のイメージにしたという。「日本、米国、欧州でもなく、それでいてアジアの香がする、ワールドワイド=世界標準仕様規格な感じにしたかった。選手にも知ってもらえているし、気に入っている」。世界を席巻しつつある日本発のブランドを、「ID one」のホームページなどでは次のようなメッセージで紹介している。
Pure Made in Japan
日本で生まれ、日本の工場で、日本の職人と日本のスキーを愛する人により、心を込めて創った日本製のスキーです。世界の友と共に、ナンバーワン・オンリーワンに挑みます。
(2022年2月13日掲載)



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