世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

ザ人物伝  情熱と波乱に満ちた人生 アンジェリーナ・ジョリー 愛すべきファミリー 慈善活動

2021-01-23 12:17:12 | 連絡
アンジェリーナ・ジョリーは、24歳のときに『17歳のカルテ』(1999年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞。2000年からはUNHCRの親善大使として、難民問題にも注力している。プライベートでは、2度の離婚を経験。最も長く続いたブラッド・ピットとは、現在離婚調停中。実子、養子合わせて6人の子どもの母親でもある。
アンジェリーナ・ジョリーのプロフィール 
1975年6月4日、アカデミー賞俳優の父ジョン・ヴォイトとフランス人女優マルシェリーヌ・ベルトランの長女として、アメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれる。身長は173cm。父親の仕事の関係で幼いころから芸能界に入り、父親の主演作『大狂乱』(1982)で映画デビュー。『17歳のカルテ』(1999)でアカデミー賞助演女優賞を受賞し、実力派女優としての知名度をあげた。
 アンジェリーナが1歳のとき、父親のジョンが他の女性に走り、両親は離婚。母親の苦労を見て育ったアンジェリーナは、父親を嫌っており、長年「犬猿の仲」として有名であった。しかし、2007年に母親マルシェリーヌが他界すると、父ジョンが「娘との和解に向けて努力していく」と宣言。アンジェリーナの当時のパートナー、ブラッド・ピットの尽力もあり、2009年、ふたりが和解したことが報じられた。 
■アンジェリーナ・ジョリーのキャリア 
父親のジョン主演作『大狂乱』(1982)で映画デビュー。ジョンとともにメディアに登場し、セレブキッズとして注目を集める。10代前半でモデルを目指すも、身長不足や痩せすぎなどの理由からオーディションで落とされ挫折を経験。16歳から本格的に女優を目指し始め、1993年に『サイボーグ2』に出演すると、そのセクシーな魅力とカリスマ性が注目を集め、その後次々と話題作に出演。
1998年、『ジョージ・ウォレス アラバマの反逆者』(1997)でゴールデングローブ賞助演女優賞(シリーズ・ミニシリーズ・テレビ映画部門)を獲得。『ジア 裸のスーパーモデル』(1998)では、主人公の実在したスーパーモデル、ジア・キャランジを熱演。1999年のゴールデングローブ賞で助演女優賞(シリーズ・ミニシリーズ・テレビ映画部門)、全米映画俳優組合賞を受賞した。
2000年、24歳にして『17歳のカルテ』(1999)でアカデミー賞助演女優賞を受賞し、父娘でオスカー俳優に。2001年には、主演したアドベンチャー・アクション映画『トゥームレイダー』が大ヒットを記録し、スター女優の仲間入りを果たした。2011年には、初の長編監督作となる映画『最愛の大地』が公開に。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で敵同士となった恋人たちを描いた。 
2013年11月、映画業界の発展に功績を残した人物に贈られる、アカデミー特別賞のジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。人道支援活動を通じた映画界への貢献が認められての受賞となった。
ディズニー映画『眠れる森の美女』(1959)に登場するヴィラン(悪役)を主人公にした『マレフィセント』(2014)で、邪悪な妖精マレフィセントを熱演。全米の子どもたちの投票で決まるキッズ・チョイス・アワード2015では、好きな悪役賞を受賞した。
■アンジェリーナ・ジョリーの年収
米経済誌『フォーブス』が発表する「世界で最も稼いだ女優ランキング」のトップ10位以内に度々ランクインしている。2018年8月に発表された同ランキングでは、推定年収2800万ドルを稼ぎ出し2位にランクイン。3年ぶりにトップ10に返り咲いた。収入の大半は、2020年公開予定の映画『マレフィセント2』出演料とみられる。
■アンジェリーナ・ジョリーの恋愛遍歴
1995年、映画『サイバーネット』で共演したイギリス人俳優ジョニー・リー・ミラーと交際に発展。1996年、アンジェリーナが20歳のときに結婚。しかしながら結婚生活は長くは続かず、1999年に離婚した
映画『狂っちゃいないぜ』(1999)で共演した20歳年上の俳優ビリー・ボブ・ソーントンと2000年に結婚。結婚当時、アンジェリーナは、左腕にビリーの名前のタトゥーを入れたり、互いの血液の入ったカプセルを身に着けたりとワイルドな行動が話題になったが、結婚生活はわずか3年で終わりを迎えた。 
005年に公開された映画『Mr. & Mrs. スミス』で共演したブラッド・ピットとは、映画の撮影時から「ブラッドがアンジェリーナや息子のマドックスくんと親密になっている」と度々メディアで報じられていた。2005年3月に当時の妻、ジェニファー・アニストンがブラッドとの離婚を申請し、同年10月に離婚が成立。同年12月にはブラッドが、アンジェリーナが迎えた養子、マドックスくんとザハラちゃんの養父となる手続きをし、子どもたちの姓が「ジョリー=ピット」になった。 
2006年1月、米エンタメ誌『ピープル』で、アンジェリーナは初めてブラッドとの関係を公に認め、彼の子どもを妊娠していることを明かした。2006年、ブラッドとの間に長女シャイロ・ヌーベルちゃんを出産。シャイロちゃんの初公開写真の掲載権利を『ピープル』誌に410万ドルで、英『ハロー!』誌に350万ドルで売り、同年設立したチャリティ組織「ジョリー・ピット基金」を通じて慈善事業へ全額寄付した。 
2007年3月にベトナム人のパックスくんと養子縁組し、翌2008年7月には、仏ニースで男児ノックス・レオンくんと女児ヴィヴィアン・マーシェリンちゃんの双子を出産。このときも、契約金を慈善事業へ寄付することを条件に『ピープル』誌と『ハロー!』誌に双子の写真を提供。このときの契約金は、1100万ドルから1400万ドルと推定されている。
その後、2014年8月、約2年間の婚約期間を経て南仏プロヴァンスにふたりが所有するシャトー・ミラヴァル敷地内の教会で、親戚のみ約20名ほどを招待したプライベートな結婚式を挙げた。
挙式から約2年後の2016年9月、アンジェリーナが離婚を申請していることが発覚。単独親権を求めるアンジェリーナと、共同親権を求めるブラッドの間で、泥沼の離婚バトルが勃発していると報じられた。2018年12月、6人の子どもの親権は、ふたりが共同でもつことで決着。さらに2019年4月、ふたりは離婚の成立を待たずに、法的にシングルになることを裁判所に申請。それが認められ、アンジェリーナは苗字からピットを外し、独身時代の名前であるアンジェリーナ・ジョリーに戻した。
■アンジェリーナ・ジョリーの子どもたち 
アンジェリーナには、養子と実子を合わせて6人の子どもがいる。
2002年、当時7カ月だったカンボジア人のマドックスくんを養子として迎え入れる。
2005年には、二人目の養子、生後6か月のエチオピア人のザハラちゃんを引き取った。2006年、実子シャイロ・ヌーベルちゃんを出産し、
翌2007年に当時3歳だったベトナム人のパックスくんを引き取った。そして、2008年には実子ノックス・レオンくんとヴィヴィアン・マーシェリンちゃんの双子を出産し、実子・養子合わせて6人の子どもの母親となった。

アンジェリーナ・ジョリーの慈善活動
2001年に公開された映画『トゥームレイダー』の撮影で訪れたカンボジアでは大自然と住民たちの優しさに触れ感動したというアンジェリーナ。しかし、それと同時に、現在も地雷が残る危険と隣り合わせの環境のなか、子どもたちが暮らしているという事実に衝撃を受け、帰国後UNHCRに自ら連絡し、慈善活動を開始した。
2001年にはUNHCRの親善大使に任命され、世界各地を自ら視察。現地の人々と触れ合った経験を自らの日記に残し、本として出版。売り上げのすべてをUNHCRに寄付している。
また、親善大使としての活動のほか、寄付という形でも難民問題に貢献。2001年からこれまでの間に、UNHCRに総額500万ドルを寄付している(2019年7月現在)。

https://spur.hpplus.jp/tag/angelina_jolie/





最新の画像もっと見る

コメントを投稿