〇キャリア
青春映画の端役を演じた後、『卒業白書』
の瑞々しい演技で注目され、若手スター候補生(ブラット・パック)のひとりに数えられる。1986年『トップガン』
の世界的大ヒットによりトップスターの仲間入りを果たし、次々ヒット作に出演。以前は主にヒューマンドラマや社会派作品、作家性の強いアート系作品などに出演しておりアクションのイメージが無かったが、2019年5月現在では『ミッションインポッシブル』シリーズをベースにその大半がアクション映画への出演となっており、実質的にはアクション俳優ともいえる。
『7月4日に生まれて』(1989年)と、『ザ・エージェント』(1996年)でアカデミー賞主演男優賞に、『マグノリア』 (1999) では助演男優賞にノミネートされ、名実ともに一流俳優として、不動の地位を手に入れた。1992年、長年のビジネスパートナー、ポーラ・ワグナーとともにパラマウント映画内に「クルーズ/ワグナー・プロダクションズ」を設立し、1996年の映画『ミッション:インポッシブル』で初めて映画プロデューサー業にも進出。この作品で主演を務めたことで彼のキャリアの中で転換期を迎え、以降はアクション映画にも多数出演するようになった。この作品の公開以前は彼をアクション俳優と認識する者はほとんどいなかった[7]。
2004年に映画のプロモーションのため来日し、西武ドームで行われた日本シリーズ・西武ライオンズ対中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。またアテネオリンピックの聖火ランナーを務めた。
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