スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)こと、スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の起業家、実業家、工業デザイナー。アップル社の共同設立者の一人。アメリカ国家技術賞を受賞している。
1976年、ジョブズは友人のスティーブ・ウォズニアックが自作したマイクロコンピュータ「Apple I」を販売するために起業することを決意し、同年4月1日にウォズニアックおよびロナルド・ウェイン(英語版)と共同で「アップルコンピュータ・カンパニー」を創業した[5][6][7]。アップルコンピュータ(以下アップル)が1977年に発売した「Apple II」は商業的な大成功を収め[8][9]、パーソナルコンピュータという概念を世間一般に浸透させた[10]。
アップルはシリコンバレーを代表する企業に急成長を遂げ、ジョブズは1980年12月のアップルIPO時に2億5,600万ドルもの個人資産を手にし[11]、1982年2月には『タイム』誌の表紙を飾るなど若くして著名な起業家となった[12]。
その後、ジョブズは先進的なGUIやマウスを持つコンピュータ「Macintosh(マッキントッシュ)」の開発を主導した[13][14]。1984年に発表されたMacintoshはマスコミから絶賛され当初は売れ行きも良く、ジョブズの名声を高めたが、数カ月後には深刻な販売不振に陥り、アップル社内でのジョブズの地位を危ういものにした[15][16]。1985年5月、ジョブズはCEOのジョン・スカリーによって全ての業務から解任されて閑職へと追いやられ、同年9月にはアップルを去った[17][16]。
アップル退職後、ジョブズはルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立した。また、自ら創立したNeXT Computerで、NeXTワークステーション(NeXTcube, NeXTstation)とオペレーティングシステム(OS)NEXTSTEPを開発した。
1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却すると同時に復帰、1997年には、i CEO(暫定CEO、Interim CEOの略)となる。同年には、不倶戴天のライバルとさえされていたマイクロソフトとの提携と、同社からの支援を得ることに成功し、また社内ではリストラを進めてアップル社の業績を向上させた。
2000年、正式にCEOに就任。2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える。
その後はiPod・iPhone・iPad、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。
一方で、2003年には膵臓がんと診断された[18]。
CEOに就任して以来、基本給与として年1米ドルしか受け取っていなかったことで有名であり[19](実質的には無給与であるが、この1ドルという額は、居住地のカリフォルニア州法により、社会保障番号を受けるために給与証明が必要なことによる)、このため「世界でもっとも給与の安い最高経営責任者」と呼ばれた。しかし、無報酬ではなくアップルから莫大なストックオプションやビジネスジェット機などを得ている[20]。
2006年にピクサーをディズニーが買収したことにより、ディズニーの個人筆頭株主となり同社の役員に就任したが、ディズニーからの役員報酬は辞退していた。
2011年10月5日、アップルはジョブズが死去したと発表した[21]。
死因は膵臓がんに伴う呼吸停止[22]と報道されている[23]。56歳没。
2012年2月11日、第54回グラミー賞で、特別功労賞の一つ「トラスティーズ賞」が授与された[24]。
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