
手塚治虫による高田馬場駅前の壁画

日暮里駅前の山吹娘(2019年完成)
ある日、太田道灌が部下と狩りに出かけたところ、突然の雨に見舞われ農家で蓑(みの)の借用を申し出た。
応対に出た若い娘はうつむいたまま、山吹の一枝を差し出すのみ。
応対に出た若い娘はうつむいたまま、山吹の一枝を差し出すのみ。
事情が分からない道灌は
「自分は山吹を所望したのではない。蓑を借りたいのだ」
と声を荒げるが、娘は押し黙るのみ。
「自分は山吹を所望したのではない。蓑を借りたいのだ」
と声を荒げるが、娘は押し黙るのみ。
しびれを切らした道灌はずぶ濡れになって城に帰り、古老にその話をした。
すると、古老は
すると、古老は
「それは平安時代の古歌に
“七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき”
という歌があり『蓑』と『実の』を懸けています。
貧しい家で蓑一つも無いことを山吹に例えたのです。
貧しい家で蓑一つも無いことを山吹に例えたのです。
「それは平安時代の古歌に
“七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき”
という歌があり『蓑』と『実の』を懸けています。
貧しい家で蓑一つも無いことを山吹に例えたのです。
貧しい家で蓑一つも無いことを山吹に例えたのです。
これは戦前の教科書に載っており、年配者には知られた話である。
実話かどうか不明だが、
実話かどうか不明だが、
江戸中期の儒学者・湯浅常山が書いた「常山紀談」に載っており、庶民は好んでこの話を講談や落語で取り上げた。
現在、山吹の里を自称する町は関東に十数ヶ所あり、新宿区にも「山吹町」と言う地名がある。
因みに植物学的に言えば八重山吹は実をつけずに株分けでしか増えないが、普通の山吹は実をつける。
因みに植物学的に言えば八重山吹は実をつけずに株分けでしか増えないが、普通の山吹は実をつける。
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