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本田美奈子.の「アメイジング・グレイス」
本田 美奈子.(ほんだ みなこ、1967年(昭和42年)7月31日 - 2005年(平成17年)11月6日、38歳没白血病)は、日本の歌手、女優、声楽家、80年代アイドル[1]。
本名、工藤 美奈子(くどう みなこ)。 身長:162 cm、体重:43 kg、B:74 cm、W:56 cm、H:76 cm。血液型はO型。1985年、シングル「殺意のバカンス」で歌手としてデビュー。1980年代はアイドル歌手として、1990年代以降は主にミュージカルで活動した。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦する。なお、姓名判断により名前の後に「.」をつけ改名したのは2004年11月からである[3][註 1]
死去
2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた[5]。そんな中11月には地元・朝霞市でのコンサートや、12月23日には新宿文化センター大ホールでのクリスマスコンサート、暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった翌2005年1月30日テレビ朝日系放送の「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。 翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表された[5]。 その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解は得られなかった[5]。急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクでドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月、臍帯血移植を受けた[5]。同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月8日に再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を受けた[5]。翌月には再度一時退院、その間には白血病患者支援のためのNPO法人『Live for Life』が設立されたが、同月末には再入院となった[5]。その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で家族に看取られながら息を引き取った[2]。38歳没[1]。
法名は、長らく『釋 優聲(しゃく ゆうしょう)』であったが、納骨されている寺の住職の厚意によって2011年より位が上がり、現在は『澄光院(ちょうこういん) 釋 優聲』となっている。
大相撲の白鵬はファンからプレゼントされた本田のアルバム『アメイジング・グレイス』を愛聴している[40]。このことを知った本田の所属事務所は2006年(平成18年)の夏場所中に宮城野部屋を訪れて、この年の4月に朝霞市で行われた追悼展のグッズをプレゼントして激励した[41]。
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