朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

痛みはわかりますか?

2021-08-11 06:29:16 | 日記
手元の手帳をみると5月の終わりごろから何の気なしに始めたゆるい筋トレが
まだ続いています。

なぜ始めようとしたのか
自分でも思い出されません(笑)

スポーツは中学生時代より社会人なってから5年程は続いていましたが、
20代終わりに両肩鎖関節の脱臼の手術、足首の骨折、筋断裂等々怪我のデパート?(笑)となり当時勤めていた社の
社長に最後通告(クビ)を出されて
ガチガチの運動はやめました。

私はマチズモではありません。
ですが、スポーツ(主にラグビーですが)を通じて教えられたことは
人の痛みを知るということが1番に
大きかったと思います。

ハードワークからくる痛み、怪我の痛み、不意打ちにみぞおちに喰らったタックルの痛み、こめかみに膝を入れられ一瞬で気絶したことetc…
これらは自分で経験しないと
体感できません。

また痛みを知っているからこそ、
限界まで自分を追い込むところもあるかもしれません。

そして他人様の限界点や痛みは
自分では感じることはできないです。
唯一知る方法なのかよくわかりませんが
自分が体感してきた
「痛み」を思い出すことかもしれません。

それを思い出すと極端ですが、
殴られた「痛み」も理解できると思っています。

お陰様で高校2年からいっさい人様を
殴ったことはございません。(笑)

もう一度申し上げますが
私はマチズモでもスポーツ礼讃でも
ございません。

強いて言えば、大袈裟ですが
どんな経験も無駄にはならないということでしょうか

読んで頂きどうもありがとうございます。

朱禪記す



変な時間に起きてふと頭に浮かんだこと

2021-08-10 05:21:02 | 日記
わかったようでわからないのが
人生なのでしょうか
未だ木鶏とならず
不惑
はあまりにも有名な言葉です

人生の折り返しを過ぎて
わからないことが益々あり
もしかして先人の遺した言葉は
結果を表すのではなく
日々、自分と向き合い 何に意識を
向けてその時どういう感情が起こり
どういった行動になったのか
見つめ続けよと言っているのかも
知れない…

私はスピリチュアルとは無縁と思って
いますが
「魂魄を留めん」という言葉には
否定的にはなりません。

おそらく20代30代の頃でも
否定的にはならかったと思います。
ですが、この頃は体力というか
地力でしょうか…肉体的な勢いがある
ので(あったので)言葉に対して
否定的にならないだけで
魂魄(魂と言ってよいと思います)
がなんであるかなどとは考える視点が
なかったように思います。

魂を大切にするというのは
どういうことなのでしょうね

日々できることを淡々と積み重ねて
修正、振り返り、できたこと
できなかったことを見つめる事しか
思い浮かびません(笑)
それも生き様なのでしょうか?

読んで頂きどうもありがとうございます。

朱禪記す


良かったです

2021-08-09 19:09:19 | 日記
チームエンライト様から
朗報がありました。
直近のお仲間のご不幸もあり
もしや存続しないのではないかと
勝手ながら危惧していました。

別アカウントで存続していくという
報せを受けてホッとしています。

エンライト様も美雨様も
そしてチームエンライト様も
その記事を読み込むと一貫した姿勢は
極端に走らない、良い点悪い点を
しっかりと検証した上での内容にあると
思っております。
(マナー違反に対しても十分な検証
をされていると思っております)

また、排他や手放しの礼讃ではなく
至ってノーマルであり、物事を
多角的、複合的、或いは俯瞰し
その客観的な視点からのブログ主観
となっていると思っております。

そして、強制や依存ではなく
物事を自発的に思考し、行動に移す
勇気があるのですよと
そっと囁いてくれるブログです。

様々な葛藤を経てのご決断に
感謝申し上げます。

どうもありがとうございます。
チームエンライト様どうぞお身体
お気をつけください。

gogo_3535改め朱禪


崩れるについて

2021-08-09 00:23:42 | 日記
独白となります
黒電話でのマンツーマンの回線は
今や画面越しの向こうにいらっしゃる
様々な方との繋がり持っています
(今さらですが)

今思うのは、回線は不可欠であり
(これをタイプしているのも)
どうやら生活の一部となっているん
ですね。

ですが、余程の事がない限り
生身の肉声はきけませんね

太古 もし言葉を持たない人々は
どのように意思疎通を行っていたのでしょう

表情、うなずき、動作、行動
面と向き合った音のない
音だったのでしょうか
それは心と表すのでしょうか

心の伴った行動が欠けていたなと
感じる一日でした