この小説は良い価値観の追求もテーマの一つになっている。つまり「いのち」がよりよく生きるにはということであろう。昔は、仏教とか儒教とか老荘の思想とか神道とか、西欧でいえば、キリスト教とか、哲学とかがあって、人々の生活、そして生きることに指針を与えていた。
ところが、昔の伝統ある優れた価値観が、現代になって大きく崩れてきた。
武士なら、禅とか、儒教とか、武士道とかそういうものがあった。今は大雑把に言えばサラリーマンの社会、そんな武士の価値観なんか無くなったのは、当然。そして金銭至上主義の世の中になった。今、問題になっている、パワハラ、汚職、詐欺、毎日のようにニュースを賑やかにしている。
人間関係の絆はうすれ、教養【知識ではない】のない人ほど、悪口、嫌がらせを平気でやるようになった。それが子供にまで波及したのだろうか、いじめで自殺するという痛ましいことまでおきる。
勿論、ボランテェア活動に見られるように、希望に向かって、皆を良い方向にむける人もいる。
仕事に頑張っている人も多い。その仕事場に過労死とか、パワハラとか問題のあるところも少なからずある。子供を虐待するところまで、追い詰められている人もいる。助ける人はいないのか。
こういう風に見ていくと、優れた価値観を皆で作っていくことが、今ほど要求されている時はないのではないのか。
優れた価値観がないから、オウムのような事件が起こり、本来リーダーであるような一部の官僚が世間を驚かすような不祥事に手を染めてしまうことが起きるのではないか。国家の損失でもある。
最近の西欧のニュースでは、沢山の教会が、空き家になり、安い値段で売りに出されているというのがあった。
勿論これは、地方の過疎化ということもあるのかもしれないが、キリスト教の衰退を目にする思いがした、
科学が幅をきかすのは、いいが、いのちの秘密は分っていない。それなのに、その秘密はいずれ分かるとでもいうように、パスカルがパンセの中で書いてあるように、取り合えずどうでもよいことに、夢中になったり悩まされたりする場合がある。
数年前の話だと思うが、アメリカの優れた脳神経科医が重病になり、殆ど死んだと思われた瞬間、生き返り臨死体験を話し、死後の世界があると断言した。死後の世界の状況証拠は大変な量になるようだ。しかし、正統派の科学者はそれは脳が見る幻覚だという。
このいのちの秘密を私達自身生きているわけだ。この人生運転をよりよくするために、文学もあるのだろうと思う。
今回の物語の直しには、このいのちの秘密を応用した剣術の「新陰流」を入れてみた。そこの所は、文字を赤くしてあります。
二人の間には いのちの秘密がある。
良寛の詩にこんなのがあります。
【静かな庭にはたくさんの花が咲きそろい、あふれる香りがこの座敷にまで漂ってくる。あなたと向かい合っているが、この趣に心を奪われて語ることもなく過ごしていると、そのまま春の夜はふけてゆき、いつしか真夜中になろうとしている。 】(松本市壽氏訳 )
間庭(かんてい)百花発(ひら)き
餘香(よこう)この堂に入る
相対して共に語る無く
春夜夜将になかばならんとす。
7 庭の蛍
村長の所に案内してくれた少年が、今度は宿屋まで案内してくれるということだった。
「伯爵さまは立派な方だろうな」と白熊族の大男スタンタが丸い目を大きくして優しい声で少年に声をかけた。伯爵の評判を聞きたかったのかもしれないと、吾輩は思った。
「伯爵さまは僕らのような若い者にはよく声をかけてくれます。よく座禅と剣をみがけとおっしゃります」と鹿族のすらりとした少年ははきはきした声で答えた。
「ほお、伯爵さまから直接聞いたのか」
「そうです。伯爵さまは時々、馬に乗って町と村を巡回することがあるのです。僕はその時、偶然、出会い、お言葉をたまわりました」
「他には、何か言われなかったか」と大男は言った。
「あります。これからは剣の時代じや。銃はいらん。銃で勝つ者は銃で滅びる。サムライ精神を世界に広げることだ。卑怯なことはしない、悪口は言わない、愛語を大切にするという簡単なことが出来れば、百姓でも、サムライになることは出来るとおっしゃつていました」
宿屋の入口に向かって歩いている時、大男はハルリラに言った。
「少し変わった殿様だな」
「俺は気に入った。早く仕官したい」
「隣の国のユーカリでは新式の銃を集めているという噂があるぜ。剣で勝てるのかな」
「戦争する気があるか疑問だな。ユーカリ国は文化的に優れた伝統を持つ国だ。文化を尊重し、特にわが伯爵の絵画の保護政策には大変興味を持っている。万一、戦争の場合でも、負けない方法はある。
正面から戦えば、信長と武田の長篠の戦いみたいに銃の方が有利に決まっている。」
「それじゃ、どうやって」
「そこを考えるのじや」
「まさか、魔法を使うのでは」
「魔法、魔法とおっしゃるが、一人で千人を相手にできるというような無茶なことは出来んのは分かっておるだろうな。宇宙には法というものがある。わしらの魔法には、魔法を自然に適用する法がある。この法も複雑で難しい。
わしらの魔法はヒトには見えない法則をじょうずに、使って自分の力を数倍にするということじゃ。」
「それじゃ聞くがな。鳥のように飛ぶことは出来るのか」
「鳥みたいに優雅に、遠くまで飛べるのは、魔法の世界でも、最も高い魔法の法を理解し、技術を習得した者に限られる。そういう特別の能力を持った者だけに限られるということだ。
わしらぐらいのサムライは義経が平家を壇ノ浦で滅ぼした時に、船から船へと飛び移った、あの応用編ぐらいは出来る。三百メートルぐらいの崖の上から、下界に降りていくことなら出来る。しかし、失敗することもある。その時は死ぬことになるから、生きるか死ぬかの時しか使わん。」
ハルリラはため息をついた。
「普段はこうやるのじゃ。指と指でこする。さすれば、目の前に魔法の虚空の世界がひらける」
ハルリラは微笑しながら指と指をこすりあわせた。
「どうだ。見えたか。魔法の世界が」
「いや、何も見えない」
「君には無理だな」とハルリラは言って笑った。゛
宿屋は数件立ち並ぶ、きちんとした大きなのが三軒、少しみすぼらしいのが二軒あった。そのどちらでもないのが一軒あったが、それが紹介された宿屋だった。
中に入って、名前を言うと、「あ、村長さんから、連絡が入っています」と若い女が言った。
ハルリラ達が入った部屋は八畳ぐらいあり、庭の池に面していた。
庭には コスモスに似てはいるが向日葵のように大きな南国の花が一面に咲いていた。
中に入って、しばらくいると、中年のおかみが入ってきて、名前と住所を書いてくれ」と宿帳をさし出した。
「この宿屋は仕官希望者が泊まることが多いのか」と大男スタンタは聞いた。
「多いですね。普通のお客さんもおりますけど、仕官希望者が多いです。なにしろ、殿様が偉い方ですから、様々な工夫をして、領内を豊かにしようと努力なさってますから、帝都ローサに広告を出しただけですのに、けっこう集まるのに驚きます」とおかみが答えた。
「みんな採用されているのか」とハルリラが聞いた。
「さあ、それは腕しだいですから。落ちる方も多いと思いますけど、この間は面白い方が泊まりましたよ」
「どんな奴だ」
「何でも、服の達人とか言っておりました」
「服の達人。奇妙な達人だな。」
「どんな服でもつくることにかけては、誰にも負けぬとか」
「ふうん。なるほど、腕というのは剣だけではないということが、これではっきりした」
「広告には、ただ、腕のたつ者としか、書かれてなかったからな」とスタンタが言った。
「そうでしょ。料理の名人という方もいらしていましたよ。又、建築の名人も。なにしろ、研究所で、つくられた設計を実施するのには、腕のある職人が必要なんでしょうね」とおかみが微笑した。
「それではスタンタの水車で電気を起こすというのはもう合格したようなものじゃな。しかし、わしのような剣はあまり、期待されていないのか」とハルリラはぼやくように言った。
「それは剣の道場がありますし、城の中には剣の達人が三人ぐらいはいるという噂ですからね。でも、世の中、平和な時代から不穏な動きが出始めているようですから、剣だって、雇用はあるのじゃありませんか。でも、異星人はミサイルですからね。ミサイルと剣では勝負は決まっていますからね。でも、異星人は今のところ、平和裏にビジネスをしたいと言っておりますから」
祭りの太鼓の音が聞こえる。練習だろうか。祭りが近いからだろうか。
夕食が終わると、何か隣の部屋が騒がしくなってきた。
ま、酔っぱらいのたぐいだろ、ハルリラは庭に出て、空にかかる月を見たり、虫の声を聞いたりしていたが、やがて、風呂に入ることになった。
吟遊詩人は既に一風呂浴びて、夕涼みしている。吾輩とハルリラは久しぶりの猫族の対談を楽しんでいたので、後になったのだ。
吾輩とハルリラが風呂に入った。大理石のようなつるつるした白い壁に取り囲まれた大きな風呂である。正面に富士山のような大きな山と花が描かれている。
湯船の中で、酔っぱらいの男の声が聞こえる。
「おぬし、少し腕に自信があるようだな」と筋骨リュウリュウたる熊族の黒い肌の男が声をかけた。
「どうだ。わしと勝負せんか」
「裸でですか」とハルリラが笑った。
「他には、おぬしの仲間と思われるそこの坊やだけで、こんなに広い風呂は場所として、最高だ。こんなチャンスは滅多にない」
吾輩のことを坊やと呼んだので、少し腹がたつた。正式な名前は寅坊である。
確かに、外見から見ても、腕力は熊族の男の半分ほどしかないように見える。
「刀がない」とハルリラは言った。
「木刀がそこに一本ある」
「二本なければ、対等な勝負にならないじゃないか」
ハルリラは何で、風呂場に木刀がかけられているのか、全く理解できなかった。
「僕はそういう趣味ないですわ。風呂場では、湯につかって気持ちよくしているのが一番ではないですか。お宅は酒を飲んでいるから、そんな奇妙なことをおっしゃるのかな」
「奇妙なこと。無礼なことを申すな。それだけで、果し合いの引き金はひかれた」
男はさっと、木刀をとった。
ハルリラはそばにあった、右手でホースをとり、水を素っ飛ばした。かなり、強い水の放射だ。そして、左手で、腰をかける台を盾にした。これが案外、しっかり出来ている。
男は木刀を振り上げた。しかしかかってこない。ハルリラは男の横に物凄い勢いの水を飛ばす。吾輩はハルリラが魔法で水の勢いをつけているのだと想像した。何しろ物凄い勢いで、まるで水が槍のように相手に向けられているように見えたからだ。
「ハハハ。失礼した。これは試験の第一歩だ。第一歩は合格だ」
男は木刀を元の所に置いた。
「これも伯爵さまのアイデアじや。内の殿さまは変わったことを考えるのが好きで、ま、勘弁してくれよ」
「ははは、合格ですから、嬉しいですよ」
「まだ喜ぶのは早いぞ。城の道場では剣客がいるからな。ま、お宅の身の動きには拙者、感服した。他にも、反撃する道具は用意しておったが、水鉄砲と台を盾とはな」
「僕のは魔法の新陰流でな。これは、故郷で習った秘剣だ。相手が木刀や真剣で打ちかかってきて、こちらに剣がない場合でも、その場の状況で自由に動き勝つ秘法だ」
「面白い」
「水は器によって形を変える。魔法が器になって、槍のような形になり、そこから発する勢いは相手を圧倒する。」
「殿様はな、銃だの大砲だのいうのは嫌いでの。剣はサムライの魂であるから、これは致し方ないこととして、それも剣を使わないのが最上という面白い考えをなさる方での。時代に逆行してると、おぬし思わんか。諸国を旅してここにたどりついたのであろう」
「剣は剣道になり、スポーツにもなる。しかし、銃は面と向かったスポーツにはならない。大砲もスポーツにならない。銃が発達していくと、みんなスポーツにならない。ただ、人を殺すための道具にすぎなくなる。
剣は心を磨くことも出来る。卑怯なことをしてはならないということだけではない。無心になり剣を使わないほど強くなると、そこから優しい慈悲の心が湧いてくる。そういう点で、殿さまの考えに、拙者は賛成する」
「おお、殿が聞いたら、喜ぶだろう。しかし、ユーカリ国は大砲と優秀な銃でくるぞ。それを防ぐ手立てはあるのか」
「知らん。そんなことは帝都の役人が考えることじや」
「なるほど。我らはサムライだからな。しかし、異星人も来ているからな。異星人はミサイルと特殊爆弾だそうだ。彼らの言うビジネスをやれば、そういうものは使わないそうだ。彼らの神様はサラスキーと言って、そういう寛容な神様で、商売が一番ということだ」
風呂から出て、この話を白熊族の大男にした。大男スタンタは庭を見ていて、「そんな話だと、わしも風呂に入ると何かためされるのかな」
「おぬしの腕は水車をつくることだったな。それじや、合格間違いなしだな。
それに、腕が太いし、手先が器用そうだ」
「ふん、相撲の相手でも出て来るのかな」
「行ってみな。面白いではないか」
「もともと、風呂は好きでないのに、そんな試験があるのでは風呂がますます嫌になるな」
「じゃ、行かなければ。しかし、おぬし、行かないと汚いぞ」
「行ってくるよ。逃げたと思われると失格になるかもしれんしな」
吾輩と吟遊詩人とハルリラは待っている間、庭の蛍を見ていた。蛍の黄色い光がたくさんあちこち飛び交い、その淡い光に照らされた花や植物や灯篭がなんとなく、もうろうとした墨絵のようで、楽しめると思っていた。詩人が吾輩の耳にかすかに聞こえるように口ずさんだ。
「何の花か知れぬが、大きな黄色や赤の花弁の花が灯篭の明かりで浮かび上がる
満月よりも青みを帯びた白い月が庭の隅々にまで淡い光を投げかけ、
わたしは故郷を思って、ヴァイオリンをかきならす。
遠く向こうに低い山が遠巻きに黒い稜線を見せている
おお、その時、蛍であろう、この惑星のいのちの灯のように明滅している
庭は静寂の中に、わが故郷を思うヴァイオリンの音色に蛍が活性化したようだ
いま、このアンドロメダの旅は神秘な道に足を進めている
人生と同じように、
一瞬の中に永遠の浄土を垣間見る者は幸せだ。」
白熊族の大男が帰ってくると、「試験はなかった。でも、ニュースを聞かされた。
この近くの林で、昨夜、自殺者がいたそうだ。それが何と帝都の使者だそうだ。
伯爵が新政府に来て、色々提案するのを控えるように、交渉しに来たらしい。特に、銅山の件で、伯爵の質問状に答えるということらしい。なにしろ、伯爵はこの国では一番の勢力があった大貴族だ。他の貴族は帝都に移り、帝都の役人になったり、昔と違う場所に飛ばされて地方長官になったりしているのに、伯爵は帝都には貴族院議会に出るだけで、直ぐに元の古巣に戻り、知事として勢力を振るい、こちらから、色々質問状を出すものだから、新政府は困っている。それに異星人からも銅の商売を突き付けられている。それに伯爵が鉱毒問題で、質問状を出したことにたいする使者だが、彼は異星人から、大金を受け取り、鉱毒問題に言及しないことになってしまったことを号外で暴露された。それを苦に自殺したらしい。
「俺には、座禅道場にいた例のサムライがこの鉱毒事件にどう対処したら良いかと質問してきた。それが俺の試験問題らしい」
「それで、どう答えたのじゃ」
「うん、勿論、鉱毒事件は民衆の健康を害するし、田畑を荒れさせて、生活をおびやかす。早急に解決するように、異星人と交渉すべしと答えておいた」
「なるほど」
「どちらにしても、ペンギン族の仙人から聞いて以来、そのように考えてきた。
それを素直に言ったまでだ」
「おおそうだ。あのペンギン族の仙人」
「なにしろ、温暖化で文明が滅びた惑星があるということをあの仙人は言っていましたし、鉱毒事件は将来そういう方面に発展する芽だとも言っていた。つまり、公害の芽だ。今の内に対策をしなければいけないとも言っていた」
【つづく】
久里山不識