アンドロメダ銀河では、たくさんの星が蛍の群のようにゆらめき、流れていく中で、日光菩薩、月光菩薩が美しい幻のように舞い、きらびやかにそして慈悲に満ちた光を放っている。どこからか、ハレルヤの歌も聞こえてきた。ハレルヤ。ハレルヤ。猫である吾輩は ハレルヤという言葉を聞いた途端、よく京都で吾輩の主人の銀行員が好きだったヘンデルの曲を思い出した。でも、アンドロメダ銀河で聞いた曲はヘンデルの「ハレルヤ」にどこか共通のものを感じはするが、歌詞はまるで違うものだった。
皆、しばらく呆然と、窓の満点の星に気をとられているようでした。
ハレルヤ
星の光あふれる蝶の舞いよ、あなたは宇宙の舞踏
宇宙にあふれるいのちの舞い
月の光あふれる小鳥の舞いよ、あなたは大きないのちの流れ
ハレルヤ
ハレルヤ
その大きないのちを何と呼ぼう
父とも母とも違う、昔の人は神と呼んだ
東洋の人は仏と呼んだ
吾輩は目をつむって、さらに耳をすますと、目の前に花園が広がった。幻影だろうか。
最初は深紅の薔薇園から、紫陽花のような青い花と様々な色の花が流れるように見える。
ハレルヤ
名前で、百合を見ている人は百合の真実を見ていない
名前で、薔薇を見ている人は薔薇の真実を見ていない
脳から見た世界は美しい複雑系の模様のようだ
それでは宇宙の崇高ないのちを何と呼ぼう
ハレルヤ ハレルヤ
今のヒトは宇宙の真実に名をつけたいと思う
名前がない、これが人の病を深くする
しかし、名前があっても、それが真実のいのちを見失わせる
名前で争うからだ。
悲しみ、苦しみ、
そして、脳から見た世界は争いに満ちている
ハレルヤ ハレルヤ
何と呼んだらよいのだ。
ヒトは争わないで、平和をつくるために
いのちの宝をヒトは何と呼ぼう
ハレルヤ
ハレルヤ
自我を忘れる時
見えて来る光
それは今、ここに存在する
名前のない形のない目に見えない宇宙生命は今、ここに存在する
ハレルヤ ハレルヤ
ヒトは何かで争っている
それでもヒトに武器など必要ない
我らは仏性という兄弟なのだ
ハレルヤ ハレルヤ
ただ息をして、心を愛で満たして祈れ
そしていのちに感謝して、深く祈れ
ハレルヤ ハレルヤ
ハレルヤが終わり、急にシーンとなり、「君は心の綺麗な人だ。珍しい人だよ」と虎族の若者の声が吾輩の耳に聞こえた。
猫族の娘ナナリアはわけもなく頷いた。
「心が綺麗と言われても、何も考えていません。ただ、ハレルヤがあんまりすばらしかったので」とナナリアは答えた。
「だから綺麗なのさ。普通の人は何か考えている。僕は君を見た時から、本能的に惹きつけられていた。無心なの」
「無心って」
「つまり、自分の頭であれこれ思うじゃない。蝶の舞いや、ハレルヤ・コーラスのような歌を聞いて何か考えることがあるじゃない。故郷のことを思い出したり、あれこれ思ったり」
「蝶の舞い。ハレルヤ・コーラスのような歌。そうですね。美しいですね。そういう風景に淡い光が射しているような意識だけあって、そこに「あたし」という自我が消えて、いなくなった気がしたことがあったみたい」
「なるほど、やはり、君は珍しい人だ」
吾輩はこの会話も気になっていたし、虎族の若者の動きも気になった。
窓の外の見える風景の範囲に、急に満点の星空一杯という風になると、虎族の若者が目を覚ましたように立ち上がった。
若者は、虎族の奥様「チロ」さんの後ろを回って、我々の方に歩いて来て、「座ってよろしいですか」と聞いた。
「どうぞ」とハルリラが言った。ハルリラの隣に若者が座ったので、必然的に彼は吾輩の正面にいることになる。吾輩の隣の吟遊詩人はヘッドホーンをはずし、首にかけ、銀河鉄道の窓の外を眺めている。
虎族の若者はハルリラに向かって「虎族の小母さんから、逃れるには、
ここがいいね。ところで、君は聞こえて来る歌声のような人だね」と言った。
「俺? 」とハルリラは目を丸くした。ハルリラは驚いたのだろう。
若者がナナリアのような妖精に言う言葉なら、理解できるが、若者のハルリラのような武人に対する礼儀の奇妙さに、吾輩、寅坊は目を丸くしたのだ。ただ、あとで知ったことだが、虎族の青年が好意を持った初対面の刀を持った武人に、こういう挨拶が見られるのはその頃の習慣だったらしい。
「ところで、君さ」と明らかに、吾輩の目を見て言った。
「吾輩 ?」と答えた。
「そうだよ。君と彼女は同じ猫族じゃないかい。耳がいいから、あの話、聞こえたろう、どう思う」
「あの話」
「彼女は匿名でブログに流している。本当に親しい人、数人しか知らない筈だ。
それが今はこの銀河鉄道の皆にナナリアさんのブログが知られている。
こんなことは普通起きないよね」
と虎族の若者は言って、しばらく目をつむって、今度は目を大きく見開き、思い切ったように、「ヒョウ族の若者はどうして知ったのだろう。無理に聞いたんじゃないかな」
「どうかしら」といつの間に、虎族の奥様「チロ」さんは我々の前に突っ立っていた。
虎族の若者はそれを無視したように言った。
「僕にすら、彼女は教えていないんだぜ。僕はたとえ、知ったとしても、そんなことをあちこち人に喋らない程度の礼節は心得ている。そんなことをやるから、ヒョウ族の奴はきらわれるんだよ。ライオン族のおまわりさんだって、僕のために来たなんて思われると迷惑な話で、ヒョウ族の若者のために来ているんだよ。
僕はストーカーなんてしないからね。あいつはそういう陰険なことをやるから、ストーカーだなんて思われて、あの猫族の女の子がおまわりさんに頼むことになるのよ」
「そうかもね」とチロさんは言った。
相変わらず、ピンクのカーディガンを着たチロさんは立ったまま、座っている虎族の若者に声をかける。彼はがっちりした体格で黄色い口髭をはやして、つぶらな瞳をキラキラさせていた。
「あなたは何でティラノサウルス教に入らないの。ヒョウ族の子が入っているというのに」
「それはティラノサウルス教がよくないと思うからさ。スピノザの方がいい」
「親念はどうなの」
「親念。ああ、大統領演説で名前を知ったくらいだ」
「ティラノサウルス教には、虎族の三分の一がこのグループに入っているのよ。良い教えに決まっているじゃないの。あなたは虎族なんでしょ」
「虎族だって、ヒョウ族だって、猫族だって、同じヒトさ。ヒトは自由な意思で、自由に自分の考えをつくることが出来る。それに、君達も大統領演説を聞いただろう。ティラノサウルス教は間違った教えだったから、ヒットリーラはああいう演説をしたのじゃないか。猫族を差別するなんていうのは真理に反するよ。真理には全ての人に対する愛がないとね、
だから、長時間労働をなくし、大きな経済格差をなくしていこう、差別をなくそう、自由と平和と福祉を大切にしよう、それから世界の軍縮を進めるためにも、カント九条を世界に広げて行こうというスピノザ主義の考えに共感するのさ」と言って、彼は立ち上がった。
虎族の若者はチロさんをやり過ごし、吾輩の前の方の入口に近い所に座っている美しく可憐なナナリアに、近づいた。さすがに、チロさんはそのまま自分の席に戻り、むっつりしていた。
吾輩は耳をすました。猫の聴力は地球のヒトの三倍あるとはよく知られたことだが、こういう時には役に立つ。そういう風に、聴力にはひどく自信があるので、彼らの話も興味があるので、耳をすまして、無理に聞いてしまった。
時々、ハルリラが「何 聞いているのさ」と聞くと、吾輩は「しいっ」と指を口にあて、「あとで教える」と黙らしてしまう。
吟遊詩人はヘッドホーンで何かを聞きながら、窓の外の星空を眺めている。
「ここに座っていいかい。虎族の小母さんがうるさくて」と虎族の若者モリミズ君。
「いいわよ。でも長くいると疑われるわよ」とナナリア。
「誰に」
「ライオン族のおまわりさん。トイレに行ったんじやないの」
「ライオン族のおまわりさんはヒョウ族の若者を見張っているんだろ。君はヒョウ族の若者に自分のブログを喋ったのかい」
「あら、喋ってないわよ」
「そうだろうな。僕に知らせないくらいだから」
「あなたなら、教えてあげてもいいわよ」
「それはありがたいが、君のブログは虎族の小母さんにもれて、このアンドロメダの列車の多くの人は知っているぜ」
「どうして、あたし、喋ってないのに」
「ヒョウ族の若者が君のことを徹底的に調べ上げたのだよ。勿論、ブログも隅から隅まで、調べたんだと思う」
「そんなことで分かるの」
「君と少し、趣味の会話などしているだろ。それを手かがりに調べ上げるのさ」
「恐ろしい人ね」
虎族の若者モリミズは「僕は」と言って黙った。
「分かっているわよ。おまわりさんは、あのヒョウ族の若者がストーカー行為するから来ているのよ。自宅にいた時にも、押しかけてきたりしたんだもの」
「何でそんな奴と知り合ったのだよ」
「町の図書館で雑誌、読んでいたら、声をかけてきたのよ」
「ふうん」
「そういうことはよくあるわよね」
「うん、まあな。僕と君が知り合ったのはスピノザ協会だよね。スピノザの汎神論、つまり自然イコール神という考えからすれば、僕は神が変身と進化をなしとげてきて、今の僕という存在がある。そういう風に神を知ることによって、自然と、騎士道精神は守るようになる」と虎族の若者モリミズは微笑して言った。吾輩は彼が「エメラルド」という虎族の小母さんが言っていた騎士道精神をここで使ったのが、何故かおかしかった。
騎士道精神は魔法界だけでなく、虎族の教養ある一部の人達にも浸透している価値観のように思われた。
「おまわりさんは ?」
「食堂車に行ったのじゃないか。よく頻繁に立つライオン族のおまわりさんだよ」
「あたしを守ってくれる役目なのに」
「君が頼んだのだろ」
「わたしは個人的なおつきあいは困ると言っただけなのに、ヒョウ族のあの人はしつっこいわ。ストーカーよ。あたしは取材で、この列車に乗っているのに、あの人はくっついてくるんだから。
それにしても、地球という惑星のことを少し取材してみたら、地球も大変みたいね。純粋な子供の中にいじめが目立つのは、大人の社会に格差だの、ブラック企業だの、一部の親の子供虐待だの、金銭至上主義だの、大人の社会の一部にまともでない所があるからよ。
この間は身体障害のある人の施設で沢山の人が、元職員に殺されたんですって、みんな生きる価値がある筈なのに、勝手に変なことを言って、あんな怖ろしい事件を起こすなんて。少し狂ってるわ。
社会に余裕がないのね。競争が激しいし、格差も激しい。長時間労働が習慣化して世の中の雰囲気は表看板は美辞麗句で飾られるんだけど、中身は歪んでいる。だから、いじめが起こるのよ。
地球の兵器の発達も少し異常よ。軍縮しないと、今に大変なことになるわよ。軍縮すれば、お金を福祉にまわせ、消費税なんて必要なくなるのに。もう少し、大人の社会をまともにしなくてはね。どう、そう思わない ?」
虎族の若者モリミズは地球の知識はないらしいが、スピノザ協会に言及した。
「スピノザ協会がそういう社会の悪い所を一番、問題視しているよね。僕は同感だ」
「おまわりさんがいたんじゃ、彼もしつこくは出来ないだろ」
「でも、あのおまわりさん、ひどくのんびりしているわ。そういう人をわざと派遣したんじゃないかと思って。だって、警察署の幹部って、たいてい虎族でしょ。猫族を守ることなんかあまり真剣に考えていないのよ」
「君は虎族に偏見を持ちすぎるよ。少なくとも、ぼくは君が虎族に抱いているような人間じゃない」
「どんな風に違うっていうの。虎族ってエリート意識が強くて、猫族を嫌っているじゃないの。それなのに、あなたは」
「僕はそういうことにこだわらない。人間は平等さ。先祖が誰だって、いいじゃないか。文化の違いがあるのは認めるけど、それを使って交流して、お互いを高め合うことがたいせつなのじゃないかな」
「それはあたしもそう思うわ。スピノザ協会もそう教えているわ」
「そうさ。全ての人は神が変身し進化してきた存在だから、平等さ」
吾輩、寅坊はそれを聞くと、京都の吾輩の主人が「すべての人は仏性を持つ。衆生と仏は水と氷りのようで紙一重だ」という江戸時代の白隠の詩を口ずさんでいたことを何故か思い出した。
ヒョウ族の若者が帰ってきた。中々鋭い目つきをしたヒョウ族の若者だ。
虎族の小母さま達の所は挨拶だけして、吾輩のずっと背後の席に座ったらしい。
どさりと音をたてて座った。何か、乱暴で、投げやりな気持ちが見え隠れするような気がしたのは吾輩の思い過ごしか。
そこから、あの猫族の娘が見やすいのかどうかは分からないが、かなり離れているとは思う。何か、視線が彼女に向けられていると思うのは吾輩、寅坊の思い過ごしか。
夜になると、食堂車に行くものもいる。我々三人はそこを動かずに、その席で食べていた。窓の外に大きな黄色い丸い月が見えた。地球の月とどこか違う、どこが違うと指摘することよりも、吾輩の耳には、良寛の俳句「盗人に取り残されし窓の月」が響いた。月を見れば、見るほど、何故か、吾輩の耳に「盗人に取り残されし窓の月」という俳句が繰り返し聞えて来る。
「月は花みたいだね」とハルリラが言った。
吾輩は何か嬉しくて、笑った。ハルリラも微笑していた。
吟遊詩人は食事を終えると、ヴァイオリンを弾き出した。彼の好きなチゴイネルワイゼンだ。甘く美しく、ちょうど車窓を流れる月のようだった。
【 つづく 】
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