駅の近くのカフェーで補佐官と別れた我々は駅に向かった。
通りの並木道には赤い花が咲き、小雨が降っていた。この惑星との別れを惜しんでいるかのような涙が落ちるような降り方に吾輩には思えた。
カフェーでの補佐官との色々な話がぽつりと三人の会話に出ると、
「内の魔法界にも」とハルリラはやや深刻な顔をして話し始めた。
「あの猫族の墓のようなことがあった。長い歴史の中で、今から六百年前に大異変があった。それ以前は暗黒時代で、魔法界の君主が横暴な悪をおこなっていた。しかし、六百年前に聖者が現われ、魔法界の君主の悪政をいさめ、君主の十五代目にして、彼は心を入れ替え、それまでの魔女の墓を全部撤廃してしまった。そうした行為には今となっては賛否両論があるようだが、ともかく魔法界も愛と慈悲心によってしか、魔法を使ってはならないことになった。」
「なんだか、ヒットリーラの話に似ている」と吾輩は言った。
「そうさ。ヒトは悪から目覚め善に向かうというか、進化するという点では似ている、これは心の進化の法則と魔法界では言われている。暗黒時代には魔女狩りが行われ、魔女の墓を国土の至る所につくったそうだ。しかし、それは封印され、今は僅かの資料と伝説的な話として、魔法界の歴史に残された。その内容は長時間労働、ハラスメント、差別、人間のやりそうな悪がその時代には色々と行われ、反抗する者はみな魔女とされ、墓場に行くという伝説となって伝えられている」
「それでは今の魔法界は善政がひかれているというわけだね」と吾輩は質問した。
「いや、魔法界といっても、色々あり、そのへんの知識は叔父さんは詳しいがわしはうとい。邪を脱することの出来ない魔法界がまだいくつもあるとは噂に聞くことはありますよ」
迷宮街の旅とトラカーム一家を思い出すこの惑星でも、虎族ヒットリーラの政治が良くなる変わり目の時代に入り希望の光が見えたという所に、我々は歴史の生き証人となった満足感が幾分あったと言えるのかもしれない。それがこの日の天候に現れているというのは思い過ごしか。涙のような小雨がしとしとと気持ちよく降っている。
ヒットリーラの演説では、猫族に死者は出なかったと言っているが、あのティラノサウルスホテルの地下の猫族の墓と矛盾するではないか。それでも、リヨウト補佐官のようなしっかりした猫族の幹部が補佐官になったのであるから、いずれ真相が明らかになり、良い方向に向かうだろうという期待を抱き、一抹の不安を抱きながらも、次の旅に出発することにした。
我々三人の出発する虎族の駅【マゼラン・トラ中央駅】は巨大な建物だった。
大理石でつくられた白亜の壁。
駅前に大きな案内図がある
掲示板には、この間のヒットリーラ大統領の演説が文章になって、掲示されていた。
中には、小奇麗な店がいくつもあった。美しい音楽が流れていたことは、最初に来た時はなかったから、政治が変わるという良い前兆と、吾輩は考えた。
駅は天井が高く、逞しい虎をイメージして模写した透けた巨大なステンドグラスからも薄い日差しが入り、そうしたステンドグラスはいくつもあり、大理石でつくられた白い美しい壁に囲まれた構内を何か明るい雰囲気にしていた。それも、政治の良い変化の兆しと思ったせいか、人々はゆったりと、のんびり歩いているように思えた。
列車は構内の奥深くまで、入り込んでいた。銀色をしたスマートな車体。
十両連結。 窓は上が丸みを帯びた半円形。
中は高級なソファーの並ぶ普通車両。寝台車。食堂車、映画館などがある。
我々は普通車の三号の真ん中あたりに陣取った。さっそく窓を開けると、弁当屋が「弁当、弁当」と声高らかに歌うように言っている。
アンドロメダ銀河鉄道には、色々な民族の人達が乗っていた。虎族、ライオン族、ヒョウ族、チーター族、猫族という風に。
犬族もちらほらいるようですね。時々、「ワン」というような声が聞えます。犬族だけに通じる挨拶の言葉のようですが、猫である吾輩には分かりません。
熊族もキツネ族もいるのです。
トラカーム一家には、お世話になったことは忘れません。それで、アンドロメダ銀河鉄道に乗りましたら、早速、書籍売り場に行き、『星の王子さま』と宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を二人の息子、トカとチカに贈るように手配しました。おそらく、我々がアンドロメダ銀河鉄道で、次の惑星の駅に着く頃は、この二冊の本が二人のもとに届くことは間違いないと思うと、吾輩はなんともいえない喜びに浸るのでした。
我々が自分の席に座り、しばらくぼんやりしていると、広いプラットホームに美しい民族衣装を着た人達が銀河鉄道の見送りということでやって来た。
「長い銀河の旅、ごくろうさまです」と挨拶すると、舞いを踊った。
それから、地球で聞いたことのある歌も披露された。
春の日の出発の日に
あなたに春の風を贈りましょう
風は緑の梢を揺らし、
美しい音楽をかきならし、
光を揺らし、素晴らしい衣装を
あちこちに着付けするのです。
梢は風船のように膨らみ
あちこちの街角に葉のざわめきと花を飾り、
宇宙のいのちの喜びを伝えてくれます
青空の向こうに不思議な星があるといいます
そこへめがけて飛び立つ日
その出発の永遠の日の汽笛のように
梢と風は旅への悲しみと歓喜に震えているのです。
ああ、あちらからもこちらからも、聞こえてくる歌声
さわさわとさわさわと、梢が風に揺られているのです。
緑の永遠の喜びの歌声が聞こえてくるのです
歌も終わり、舞いも終わり、人々の歓呼の声にうっとりしていると、いつの間にか、列車は走り出していた。
アンドロメダ銀河鉄道は ゆるやかに美しい音をたてて、桔梗色の天空を走っているのです。吾輩は目を見張りました。
おお、久しぶりに流れてる銀河を見るのは。何と気持ちの良いことか。
宝石のように美しく澄んだその真空の水の流れにはヒッグス粒子がキラキラと輝き、あちこちにカワセミが飛んでいるではありませんか。くちばしが長く、身体はブルーで、腹の方はみかん色の美しい鳥です。
美しい宇宙の景色が見えてきました。
天空からたくさんの紫色の藤の花がこぼれ落ちるように咲いている空間が続くかと思えば、梅の花が咲いていたりする野原が見えたり、牧場が見えたり、川は水晶のように美しかったり、森はあらゆる生き物の宝庫でもあります。
すると、不思議なことに、列車の窓から見える景色の向こうの方に、奈良の薬師寺の五重の塔が見えたのです。薬師寺であることに間違いありません。何故なら、その両側に幻のように日光菩薩と月光菩薩が微笑しているからです。
吾輩は最初、何かの錯覚かと思ったのですが、いえ、そうではありません。
畑や林や緑の丘の向こうに五重の塔が背の高い二人の神々しい菩薩に守られて、まるで幻のように光りながら、それも何と一つの五重の塔だけでなく、いくつもの塔がある間隔を置きながら、信州の盆地に広がる華麗な住宅のように、銀色にきらきら輝いているのです。
そしてカワセミが飛んでいます。中には吾輩の乗っている列車に並行して、しばらく飛んで、さっと向こうに飛び去るのもありますが、その美しいこと、生命力に畏敬の念をおこさざるを得ない、神秘な力を感じるのでした。
「アンドロメダ銀河で、薬師寺の五重の塔を見るとは。不思議なことだ」と吾輩はぼんやり考えました。
アンドロメダ銀河の水は水晶よりも美しく透明で、なにやら、モーツアルトのセレナードを奏でているようで、どんどん流れているのです。
列車の中では、吾輩は猫であるから、ヒト族よりはるかに耳がいいので、隣の声がよく聞こえます。
「あら、こんな所に、フキさんのことが記事になっているわ、マゼラン金属の取締役になったじゃありませんの」
吾輩は、ティラノサウルスホテルで見た、あの宝石で顔じゅうを飾ったような金持ちの虎族の女性を思い出した。
「すごいわね」
「あら、マゼラン金属って、武器をつくっている所よ」
三人で、何か新聞を回し読みしているらしいが、その話題はすぐに終わったらしい。
その後しばらく沈黙が続いたのは、首にダイヤのネックレスをした中年の目の細い小母さんが目の前のテーブルでインターネットを見ていたからだろう。吾輩はこの虎族の女に「チロ」という渾名をつけた。このマゼラン銀河の旅に出てから、猫である吾輩は虎族の人達には複雑な気持ちを持っていた。虎という種族に対する畏敬の念もあったが、そればかりではない。そして、時々、こういう妄想を抱くことがある。あの虎族の人達に魔法をかけて、猫のように小さくして、吾輩のペットにする。この薄いイエローのワンピースにピンクのカーディガンを着ている彼女はおそらく我儘で、ある種の迫力があって可愛い猫のような存在となる。吾輩はこのペットを大切にするだろうと。
そうした妄想を吾輩に抱かせた「チロ」さんは顔を上げて、少し高めの声で言った。
「ほら、あそこの席に座っている猫族の若い女を見てごらん。
これがあの女の人のブログよ。見てごらんなさい。
沢山、小説や詩をかいているのは若いからね、でも、エッセイの方を見てご覧なさい。
わが虎族のティラノサウルス教についてよく書いてないわよ。まあ、それだけなら、許せるけど、親鸞の教えと比較するのが嫌らしいと思わない。親鸞って、地球とかいう遠い惑星で千年前に生きていた僧だっていうじゃありませんか。
何で、そんな男がこの惑星に生まれ変わって来るわけ。その辺がもういかがわしいと思いませんか。
そんないかがわしい宗教とわが虎族の優秀なティラノサウルス教を比較するなんて、猫族らしいやり方ね。」
何と、猫族の中の姫君に相応しい品位を持つ女性、どこかでナナリアという名前を耳にしたが、そのナナリアに、ケチをつけているではないか。けしからんと吾輩は思った。
金のイアリングをした、赤いジャケットの下に絹の光沢を持つブラウスを着た虎族の小母さんには、吾輩は「サチ」という渾名をつけた。その「サチ」さんは低い声で言った。
「今度の大統領演説のあとに、猫族に対する差別をしてはいけないという布告が出たけれどね。こういう猫族がいるとね」
やはり、虎族の猫族に対する偏見はこういう会話を見ると、簡単になくなりそうもないと思って、吾輩は悲しく思った。
緑のエメラルドがいくつもついたネックレスをした、白のブラウスの上に緑のブルゾンを着た目の大きな虎族の小母さんの渾名をつけようとして、直ぐに言葉が出て来なかった。大金持ちのフキが取締役になったマゼラン金属という会社が武器をつくっている所だと指摘した女である。他の二人の虎族の女が持っている雰囲気よりもひどく優しい。
そこで吾輩は「エメラルド」と渾名をつけた。
「ねえ、ヒョウ族の坊や。さすが、ティラノサウルス教に入っているだけあるわ。ヒョウ族もティラノサウルス教に入れるようにしたのは、英断だったわ。それに比べその前の方に座っている虎族の若者はティラノサウルス教に入らないというのはどういうわけ。坊や、どう思う」
「ヒョウ族の坊や」と言われている丸顔の若者は白いパンツに赤いブルゾンを着ていた。彼は小母さん達に呼ばれたのか、自分から行ったのか分からないが、三人座っている小母さん達の席の空いた席に座っている。吾輩の席から見ると、斜め前に座っているヒョウ族の若者と時々、目が合う。
「彼は虎族でもスピノザ協会にひかれているみたいですよ。」とヒョウ族の若者が言った。
「スピノザ協会って、猫族の集まりみたいなものじゃありませんか。そんな所に、どうして優秀な虎族の若者が入るんですか」とダイヤのネックレスをしたチロさんはちょっと厳しい口調で言った。
「そう聞かれても、僕には分かりませんよ」とヒョウ族の若者が答えた。
「ねえ、虎族の若者は、向こうにいる話題の猫族の娘が好きなんですよね。このブログを見ても、彼女はスピノザ協会に入っているようですし。ヒョウ族の坊や。どう」と金のイアリングをしたサチさんは微笑して言う。
「そうかもしれませんね」と何か不服そうな表情をして、ヒョウ族の若者は答えた。
「あなたもあの女の子が好きなんでしょ。こんな風にあの子のブログを私達に教えるなんて、騎士道精神に反しますよ」と目の大きな「エメラルド」さんは笑って言う。
騎士道精神。こんな言葉を虎族の小母さんが言うとは吾輩、予想していなかったから、わけもなく共感した。
「内の魔法界の今の君主は騎士道精神が好きでね。」とハルリラが声をひそめて猫にしか分からないような言葉を使って、言った。
「君主なんてまだいるのですか」
「そうさ。いるさ。弱いものを助け、強い悪い奴をこらしめるのが魔法の使い道といつもおっしゃつている。わしも、魔法学校で君主の言葉を何度聞かされたかわからん」とハルリラは笑った。
吟遊詩人は黙って微笑していた。
「私たちに彼女のブログを教えてくれるのはいいことよ。でも、本当に好きなのかどうか、私も疑うけれどね」とピンクのカーディガンを着た「チロ」さんは言った。
「好きでも、肘鉄食わされたら、恨みになってそうなるんでしょ」と「サチ」さんは言う。
「僕はそんなつもりで教えたんじゃないですよ。彼女のブログが面白いと思ったから」とヒョウ族の若者が答える。
「第一、 彼女と親しくなければ、このブログが彼女のものだと知ること出来ないじゃないの」と「サチ」さんが言う。
「あ、そうか。あなた、あの猫族の女の子にふられたの」
「困ったな。そういうことには答えられない」
「怪しい。確かに、彼女は美人ね。でも、猫族なんか信用しちゃ駄目よ。あたし達にどんどん彼女の情報、下さいね。面白いから。列車の旅は何か面白いことがないと眠くなりますからね。もうこのアンドロメダ銀河鉄道に乗っている虎族のティラノサウルス教の小父様、小母さま連中にはみな報告しましたから。この列車の退屈な旅をそのブログで楽しんでいることでしょう」と「チロ」さんは言った。
吾輩はこの話を聞きながら、列車の旅がそんなに退屈か、疑問だった。確かに、昼間から寝ている人もいる。
銀河鉄道は宇宙の特別列車だ。惑星にはないものでも、ここでは文明の最先端のものが手に入る。これはアンドロメダ銀河にある銀河鉄道の摩訶不思議なところである。ヘッドホーンをかけると素晴らしい音楽が聞けるし、宇宙インターネットをやることも出来るし、しょうぎや碁をやることは出来るし、映画も見られる車両もある。それに、場合によっては、展望車に行けば、まるでプラネタリウムのような星空を見ることさえ出来るのだ。
確かに長い旅ではあるが、筋トレ車両までついているという。
それにしても、これだけ話題になっている猫族の若い女性ナナリアに、猫である吾輩、寅坊が無関心ということはありえない。大変、気になる。それで、ちょっと後ろを振り返って見て、どこかで見た女性だという印象があった。直ぐは思い出せない。
我輩が真剣に考えていたら、ハルリラが喋り出した。
吾輩の心を読むように、「あの女の人はテイラノサウルスホテルの食堂にいた人じゃないか」とハルリラは微笑して言った。
吾輩は目が覚めたような気持ちで、ハルリラを見詰めた。
「綺麗な人だから、わしも印象に残って、覚えていました」とハルリラは言った。
その通りだ。可憐な感じがする。十八ぐらいだろうか。それとも二十は超えているのかもしれない。情報に汚されていない森と湖のそばで育ったような人というのもおかしい。彼女は宇宙インターネットをやっているのだから。自然人というのもおかしい。そんな野性味があるわけではない。それはともかく、清楚で知的なものを感じる。
ヒョウ族の若者は席を立った。トイレなのか、食堂車なのか、分からない。
「変わっているわね。あの子」
「あの猫族の女の子が好きなのよ。それでストーカー行為して、ライオン族のおまわりさんまで監視に来ているんだもの。」
「あの虎族の若者も怪しいわね」
「虎族はストーカーなんかしないわよ。虎族には美人が多いんだから」
「虎族のあたし達に彼女の秘密のブログを教えてくれたのは、余程腹がたっているのよ。ライオン族のお巡りさんまで乗っているんじゃ何かおこりそうね」
「あの虎族の若者を呼んでみない」
「来るかしら」
「退屈しのぎよ」
ピンクのカーディガンを着た目の細い「チロ」さんが立って、虎族の若者に近づき彼の肩をたたいた。
「あなたこちらに来ない」
「行かない」そんな会話が吾輩の斜め後ろの背後から聞こえる。
「あなた、何でスピノザ協会に入っているの」
「どうしてそんなこと知っているんですか」
「彼女のブログに書いてあるわよ」
「どうして、彼女のブログを知っているんですか。彼女が教えるわけないし、彼女に聞いてみましょうか」
「いいわよ。ヒョウ族の若者が教えてくれたのよ」
「あいつが。また失礼なことをするよ。」と虎族の若者は憤慨したような口調で言った。
突然、列車の中が、金色に輝き、何か神々しいような光に満たされました。
何故か、心が窓の外に向けられ、ふと見ると、もうじつに、ダイヤモンドや草の露や朝顔などの純粋さをあつめたような、きらびやかな銀河の川床の上を水は音もなくかたちもなく流れ、その流れの真ん中に、ぼうっと青白く後光の射した五重の塔が見えるのでした。
日光菩薩と月光菩薩は幻のように、ゆったりと舞いを舞うではありませんか。菩薩の舞いというのを初めて見ました。何と優雅で、何と神々しく、この世のものとは思えない美しさに満ちていました。
風も舞うことがある。落葉も舞うことがある。美しい紙切れも舞うことがある。いや、それよりも美しいのは熱帯の蝶の舞い、小鳥の舞い。ああ、そしてヒトの舞いも素晴らしい。しかし、菩薩の舞いというのは吾輩の想像力を超えた神秘なものでした。全てのものを慈悲で包み、優しい微笑でヒトの心を溶かし、花や森や昆虫のような大自然そのものが舞っているようでした。
[ つづく ]
【ご紹介】
「迷宮の光」「霊魂のような星の光」はアマゾンで電子出版されています。Microsoft edge の検索でも出てきます。「迷宮の光」はペンネーム久里山不識の方で表示されます。
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