十日後、松尾とロボット菩薩と田島のコンビで出かけることにした。ロボット菩薩にとって、最後の仕事になりそうだ。なぜなら、親会社ルミカーム工業から、さらに改良するので、ボサツを送れという指令が届いているのだ。
山のすそ野に広がる深い森の中で、宇宙人がいるとしたら、ドローンの百倍くらいの大きさ、つまり、飛行機を丸くした様なもの、そんなUFOの中にいるのだろうか。
ここの山は低いが、森は深い。杉の森なのだが、これは植林されたもので、所々に昔の天然のケヤキがのこっている。それは数は少ないが、たいていかなりの巨木になっている。ここは松尾たちにとって、始めて入る所なので、案内人に連れられて、苔におおわれた丸太階段のある山道を上っていく。樹木の梢の緑の葉の中で、ホトトギスが鳴いているが、姿は見えない。
しばらくすると、金木犀の香りがする。森のこの場所はもうすっかり秋になっているのだという気持ちになった。緑の中のオレンジ色が美しい、そこから、しばらく頂上に向かって歩くと、洋樽の数倍ありそうな太い幹のケヤキの巨木の上に、ふわっと浮く大きな銀色の円盤を彼らは見た。
灰色がかった茶色の太い幹の上に、ケヤキの葉が生い茂っているので、その上に
まるで大きな鳥のように、着陸したのだろうか。そして、それが幻であることを強調するかのように、すぐに消えた。
あまりの速さにあっけにとられ、我々は狐に包まれた気持ちで下山した。
その頃から、平和産業の社員に、嫌がらせの電話や郵便物が届いたり、歩いている時に突然背後から、「タヌキ」と声をかけられ、振り向くと、さっと素早く消える。
タヌキはこのあたりで、よく出没する動物だ。
ある夜、松尾優紀が会社から遅く帰って玄関の電気をつけた。まだ薄暗い部屋に入ると、天井に銀色のドローンの影像が映っている。ドローンは「我々は善人だ」と言い、白い満月に変身して、松尾が呆然と見ていると、素早く満月の影像は消えた。
奇妙な早業だが、彼らの技術ならできるだろうと、彼は思った。それにしても満月とは。
アリサの父の住職が、座禅は満月のようだという表現をしたことを、何故か思い出した。
こんな風に町では、核兵器を世界からなくそうと、声をあげている平和産業を応援する者も被害にあうという。
株式会社平和産業では、宇宙人と噂されるこの不思議な勢力に対抗するために、平和の使者を町に出すことにした。そのための特訓を始めることにした。
町は高台にあり、季節ごとに、色々の花の咲く花壇に縁どられた広場があり、そこから時計台が上に伸び、アーケードの商店街が並び、そこで、たいていのものは買うことが出来た。今まで、ロボット菩薩との核兵器廃止運動の相手は組織が中心で、町の不特定多数の市民を相手にすることはなかった。
日曜日の朝、松尾優紀は森とUFOのこと思い出し、詩を書いてみた。
風景画【poem】
大空に伸びる大木の葉に、そよ風が吹き、ゆらゆら揺れる木の葉
私はベンチに座り、その緑の巨人を相手に無言の挨拶を送る
私と彼は友人だ。
じっと見つめていると、大慈悲心のきよらかな雲が湧き、
それが満月のように広がり、私と緑を包んでしまう
その時、世界は緑になる
愛になる、小鳥がさえずり、青空に包まれた森の一幅の風景画が出来上がる
空に鳥が叫び、花が舞う
平凡な空間の中に、神秘な宝が光る
いのちは鳥となり、花となり、昆虫となる。
風もいのち、永遠の昔から、いのちは海のように時に無のように遊び戯れていた。
おお、悲しみも苦しみも花となる時がある。
その時を待て、忍耐して待て
嵐の海もやさしさに満ちた水面になることがある
雪の街角も恋の季節になる時がある
そこはロンドンの地下鉄だった
「どこへ行くの」見知らぬ白人の若者だった。
「公園の方に行くのさ。君はどこの人?」
「カナダから来たのさ。君は日本だとしたら、道元を知っているかな」
「ああ、少しね。あれ、読んでいると、希望が湧いてくるね」
「そうさ。希望が湧くさ。パスカルの人間観は悲惨だけど、禅はヒトを仏にしてしまうんだからね」
私の頭に「ヒトも含めたあらゆる物は仏性のいのちが現われたものである」が浮かんだ。
耳に聞こえる
嵐が吹こうが雷が鳴ろうが
仏性のいのちの部屋に入れば
慈悲の光は満ちあふれ
悲しみと苦しみは喜びとなり
対立は共生となり、敵意は愛になり
花が舞い、美しい音楽がせせらぎのように聞こえてくる
「ここで、降りるんじゃないの」と青年は言った。
外はやわらかな陽射しのあたる春のロンドンだった。
ああ、そんなことがあったな。あそこで、仏性の話でもしていれば、素晴らしい
国際交流が出来たのにね。
真理とは仏性のことだ。
不死のいのちだ。
全てがこのいのちで繋がれている。
一元論が正しい。
ヒトなどの生き物は、この一元論の世界から徐々に二元論に入る
主観が客観を見詰め、自我の前に、多くの森羅万象が現われる
仏性がクオリアを感じさせる物質として、つまり現象として現われる
自我を無にした時に見えてくる仏性とは
真理である無限の一なる生命、それは法身、空。
それは不死の宇宙生命であり、神仏とも無位の真人とも言われる
空と人の関係は、宇宙が自己実現しているということだろうか。
過度の生存競争はこの原理に反する
共生こそ、正しい。仏性は一個の明珠なのだから。
自由なる共生
空海から異生羝羊心のイメージ
むき出しの欲望に囚われた果実
魂を磨き、
慈悲に目覚め、仏性に目覚め
人は共生をめざす宇宙の壮大な働き
そうやって人は花の道を歩き出す
【つづく】
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