2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。
NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ
2001年9月11日・あの日私は。
9・11 IN NEW YORK
あの日は、ことのほか青い空だった。
午前8:43分、いつになく遅い出勤の夫を玄関に送り、キッチンに戻ろうと歩いていた。
「エアープレイン・・クラッシュツ・・ウワールド・トレードセンター・・」ラジオから漏れた言葉に思わず足を止めた。
思わず居間のテレビをつける。
「何やってんの。ふざけたセスナ機だよ。あの素敵なビルにぶっつけるなんて。」
そう思いながら。
ワールドトレードセンターに、小さなセスナ機が突っんでいた。
その時は、まさかテロとは思わず、旅客機とは思っていなかった。
観光のセスナ機と思っていた。
どうせすぐに、ビルはすぐに修理されるのだろうと思いながらも
「こんなことがあったよ」と連絡のために、夫に携帯の連絡をする。
何度連絡をしてもつながらない。
こんなことで連絡をしても良いのかと、思いながら会社に、留守電を入れた。
この時にはそのぐらいの気持ちしかなく、テロがおきたのだとは、思っていなかった。
そのうちに、ダウンタウンの方から煙があがっているのが見えた。
テレビを見ながら、テレビの向こうで、ダウンタウンの煙が見える。
アッパーイースト64ストリート・ビットイーンレキシントン アンド サードアベニュー の37階、38階のアパートの部屋からは、7キロ離れた、ダウンタウンの煙も見えるのだ。
15分後、もう1機が、ツインビルのもう一棟に突っ込んだ時には、ただならぬことが怒ったと思った。
NYに住む我々日本人には、日本人の設計によるこのビルは特別の思い入れがあった。
海外生活でつらい時、楽しい時、嬉しい時、その度、あのビルを見上げて、どんなに慰められ、誇りに思ったことだろう。
世界中の、NYへの観光客が、どれほどあのビルに、登ることを楽しみにしたことだろうか。
今この文章を書きながら、私は、ぽろぽろと涙をこぼしている。