NewYork 9.11テロ 天国から地獄へ

2011・9・11日NY Manhattanの37・38階で、私は恐怖の中に。
「歴史の生き証人」として語り継ぎたい。

9・11・・No.2

2012-06-07 19:59:15 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

みなさま優しい言葉とアドバイズありがとうございます。。

ここからの感じでは、街は普段に戻りました。
クイーンズ・ボロ・ブリッジから、車が入ってきているので、食料も確保される

でしょう。水もお風呂に張りました。
高層の火事の怖さは、2年前に近くのシナゴグが焼けて、巻き添えになるかな
と、恐かったので身にしみています。

今回はここにいると、何事も無かったようです。が、テレビの映像や、テロとい

う言葉に恐ろしさと怒りを感じます。見えない相手との対決の怖さ。そのやり方

の非法さ。

仕事の前にスーパーによって様子を見てからにします。

ご心配身にしみて嬉しく。メールが、届くか心配なので、急いで。お元気でね。


2001・9・13 9:40
09/15/01 20:59

2001 9・13

今日は、朝メールを打って10:30に花屋に。

途中66から68stまで軍隊のトラックと迷彩色の軍隊がズラーと。

「 何しているの?」と聞くと、「ワールドトレードセンターのことで待機。」と
のこと。緊張感。

軍隊と市バスが一緒の道路に動いているって、すごい光景。

こんな時に迷彩色の
人を見ると頼もしいしやはり厳戒体制なのだと再認識。

テレビで見ていた中東の市民が軍隊と一緒にいるのを大変痛々しいと見ていた
が、もはやそれ。

大使館へのストリートも閉ざされていた。やはりアメリカ人の考えでは今は戦争
なのだと、実感した。

夫も私の安否より会社の事の方が先だろう。

それなら1人でいるより花屋にいた方が。みんなニューヨーカーで、土地感も
有るし逃げる時も1諸に逃げれば良い。

「逃げるのを助けてもらえるかもしれな
い。」と思い花屋に向かう。皆怖さあるし、緊張もしているしで、異様に明る
い。

すぐ帰るつもりが、花のアレンジに時間がかかって、1:30に家に。

すぐにメールを打とうと思いメールを開いた。

金融関係が怪しくなるというので、急いで、1階のシティイバンクにお金をお
ろしに。
カードでは、今朝$10おろしたので、もう防犯のためにおりない。

2階に行って窓口で「国に帰るのでお金が要る。」と言って、多額をおろした。

当面郊外のホテルに泊まっても良いくらい。または日本への2人の飛行機代の倍
ぐらい。マンハッタンに1ヶ月篭城できるくらい。

免許書とサインで、こんなにたくさんのお金がおろせるとは思わなかった。
(ニ
ューヨークで取った私の写真入りの自動車免許・実技の時は英語の指示に従い、
左運転の実技と、本当に大変だったが、泣きの涙のあの努力が、こんな時に本当
に役に立った。)

ID代わりにパスポートがいるなら、家まで引き返さなければならなかった。
そんなことをしていたら、お金がおり
なかったと思う。

窓口の黒人の姉さんは鼻歌交じりで数えてくれた。

。忙しいから受け取って帰
ろうとしたら、その場で数えろと。身体で隠して皆の前で一生懸命数えたよ。何
とぴったりあっていました。 「ありがとう。」 「テイクケア!」だって。この
明るさが、アメリカだよね。

その間私の後ろには、10人ぐらいの人が。

さすがに多額のお金 。腰ベルトに入れて、家に飛んで帰って壷の中。

あの列は、金を持って歩かないアメリカの人が、皆$10以上おろしているっ
て言う事になる。
でも事件の日の、買い物30分待ちは、現金支払、10品以下
の列だったからで、カードだったら、50分は待たされたよきっと。

というわけで、水 食料 金と3種の神器がそろいました。

そして、「火事場の馬鹿英語!」

夫は、グランドセントラル駅に爆弾。との事で、昼頃2時間ぐらい非難さ
せられたとか。

恐かったでしょうね。

花屋にいた時のけたたましいパトカーのサイレンはそれだったのか。

明日は、レノックス・ヒル・ホスピタルに献血に行ってきます。
せめて私の血を、アメリカのために使っていただくつもりです。

最後まで、冷静で、元気1杯気を抜きながら、頑張りますので、心配しないで下
さい。
09/15/01 21:17


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