ラルフが逝って、明日で二週間。
ずいぶん前のことのようにも思えるけれど、まだ二週間。
ラルフロス進行中です。
ラルフの看病をしていた時は一日があっという間に過ぎて、細くなっても体重25キロあった
ラルフを抱えたり、寝返りを打たせたりしてホンの少し肩や腰が痛くなったけれど、
大変だとか、辛いとかいう思いはまったく無かった。
むしろそうやってラルフの世話をすることで、以前よりも抱きしめる回数が増えたり、
一日中ラルフの傍にいられることが幸せでした。
寝たきりになってしまったラルフが痛くないように、苦しくないように、
お腹が空かないように、
喉が渇いて不快にならないように、
寒くないように、暑くないように、
快適に眠れるように、目覚めた時に寂しくないように、
お散歩に行けなくても、庭や家の前での日向ぼっこもけっこう楽しいよ、と思ってくれるように
私たちと一緒に居ることが常に彼の安心と幸せであるように、
全力を注いでいた、 つもりだった。
でも今となっては、腫瘍が小さかったうちに別の病院にも行っていれば
違う治療法があったかもしれない、手術できなくても、あそこまで腫瘍が大きくならなかったら
もうすこし生きられたんじゃないか、とか抗がん剤が効かないと気づいた時点で腫瘍認定医のいる
病院へ行くんだった、とか今更仕方がないと重々分かっていても、こういう時は後悔の念が
ついて回る。
気持ちの中の別のところではわかってはいるのだけれど、そう思ってしまうのもしかたないとも思っている。
ほとんどが楽しそうに笑っているラルフの画像を整理しながら、
「ラルフは幸せだったよね、笑ってる写真ばっかりだし、旅行もたくさん行ったね。
ラルパパが休みの日は一日中一緒にいたし、ちょっとの外出も留守番させてるのがかわいそうで
用が済めばすぐにうちに帰ってきた。
15歳になるまで病気らしい病気もしなかった。最後の最後も私とラルパパ、ルークも一緒に見送れたし。」
そうやってラルフにとって良かったと思うことをひとうひとつ自分に言い聞かせて、気持ちを
落ち着かせる毎日。
ルークも、何故か初七日がすぎるまでは散歩に行こうとしても家が見える範囲から出たがらず、
車で違う場所に連れて行って気分転換させたり、ラルフとは行ったことがない公園や海辺に行ってみたり、
といっても狭い町なのでそんな場所も1ヶ所しか思い当たらなかった。
でもこの一週間はいつもの散歩コースを歩いてくれるようになり、ラルフが寝たきりになってから
ラルフを守ろうと傍を離れなかったルークだから、もしかしたら初七日のうちはラルフが家の中に
居たのかもしれないな・・・。
ラルフが亡くなった日。お別れに来てくださる人がいないときはこうしてラルフを守るように傍に居た。
ラルフはそこに居る? 今も時々遺骨の前でじっと写真を見つめている・・・(;;)
玄関に出しっぱなしだったラルフのカートを片付けた日、
カートに敷いてあったマットを洗って畳んでおいたらそこに顔を乗せて寝ていたルーク。
ラルフに会いたいよね。
私たち同様に、ルークも寂しくて仕方ないのだと思う。
いつも一緒だったんだからあたりまえだよね。
涙が枯れるのはまだまだ先のことで、「あまり泣いてばかりいるとラルフが成仏できないよ。」と
言われたり、でもわがままな飼い主は成仏しないでうちに居てくれるんだったら居てほしい、と
思ったり、「ルークがかわいそうだからいつまでもメソメソしてはだめ」と言われるけど、
けしてルークをないがしろにしているわけがなく、ルークの寂しさも伝わってくるから、むしろ
以前より甘やかしてもいて、一日中、どこに行くにも一緒にいる。
だから、悲しいときは私は我慢しないで泣こうと思う。
そのうち泣くことにも疲れてくる日が訪れると思う。
優しい表情のラルフ。腫瘍が見つかってすぐの頃。
私がいつか、そっちに行ったらまた会えると信じてるから、ラルフそれまで待っててね
追伸
みなさんからラルフに頂いたたくさんの綺麗なお花、一日でも長く咲いていてくれるように
手入れをすることで随分と気持ちが安らぎます。
遅くなりましたがまずはこの場にてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
ラルフも綺麗なお花に囲まれて喜んでいます
ずいぶん前のことのようにも思えるけれど、まだ二週間。
ラルフロス進行中です。
ラルフの看病をしていた時は一日があっという間に過ぎて、細くなっても体重25キロあった
ラルフを抱えたり、寝返りを打たせたりしてホンの少し肩や腰が痛くなったけれど、
大変だとか、辛いとかいう思いはまったく無かった。
むしろそうやってラルフの世話をすることで、以前よりも抱きしめる回数が増えたり、
一日中ラルフの傍にいられることが幸せでした。
寝たきりになってしまったラルフが痛くないように、苦しくないように、
お腹が空かないように、
喉が渇いて不快にならないように、
寒くないように、暑くないように、
快適に眠れるように、目覚めた時に寂しくないように、
お散歩に行けなくても、庭や家の前での日向ぼっこもけっこう楽しいよ、と思ってくれるように
私たちと一緒に居ることが常に彼の安心と幸せであるように、
全力を注いでいた、 つもりだった。
でも今となっては、腫瘍が小さかったうちに別の病院にも行っていれば
違う治療法があったかもしれない、手術できなくても、あそこまで腫瘍が大きくならなかったら
もうすこし生きられたんじゃないか、とか抗がん剤が効かないと気づいた時点で腫瘍認定医のいる
病院へ行くんだった、とか今更仕方がないと重々分かっていても、こういう時は後悔の念が
ついて回る。
気持ちの中の別のところではわかってはいるのだけれど、そう思ってしまうのもしかたないとも思っている。
ほとんどが楽しそうに笑っているラルフの画像を整理しながら、
「ラルフは幸せだったよね、笑ってる写真ばっかりだし、旅行もたくさん行ったね。
ラルパパが休みの日は一日中一緒にいたし、ちょっとの外出も留守番させてるのがかわいそうで
用が済めばすぐにうちに帰ってきた。
15歳になるまで病気らしい病気もしなかった。最後の最後も私とラルパパ、ルークも一緒に見送れたし。」
そうやってラルフにとって良かったと思うことをひとうひとつ自分に言い聞かせて、気持ちを
落ち着かせる毎日。
ルークも、何故か初七日がすぎるまでは散歩に行こうとしても家が見える範囲から出たがらず、
車で違う場所に連れて行って気分転換させたり、ラルフとは行ったことがない公園や海辺に行ってみたり、
といっても狭い町なのでそんな場所も1ヶ所しか思い当たらなかった。
でもこの一週間はいつもの散歩コースを歩いてくれるようになり、ラルフが寝たきりになってから
ラルフを守ろうと傍を離れなかったルークだから、もしかしたら初七日のうちはラルフが家の中に
居たのかもしれないな・・・。
ラルフが亡くなった日。お別れに来てくださる人がいないときはこうしてラルフを守るように傍に居た。
ラルフはそこに居る? 今も時々遺骨の前でじっと写真を見つめている・・・(;;)
玄関に出しっぱなしだったラルフのカートを片付けた日、
カートに敷いてあったマットを洗って畳んでおいたらそこに顔を乗せて寝ていたルーク。
ラルフに会いたいよね。
私たち同様に、ルークも寂しくて仕方ないのだと思う。
いつも一緒だったんだからあたりまえだよね。
涙が枯れるのはまだまだ先のことで、「あまり泣いてばかりいるとラルフが成仏できないよ。」と
言われたり、でもわがままな飼い主は成仏しないでうちに居てくれるんだったら居てほしい、と
思ったり、「ルークがかわいそうだからいつまでもメソメソしてはだめ」と言われるけど、
けしてルークをないがしろにしているわけがなく、ルークの寂しさも伝わってくるから、むしろ
以前より甘やかしてもいて、一日中、どこに行くにも一緒にいる。
だから、悲しいときは私は我慢しないで泣こうと思う。
そのうち泣くことにも疲れてくる日が訪れると思う。
優しい表情のラルフ。腫瘍が見つかってすぐの頃。
私がいつか、そっちに行ったらまた会えると信じてるから、ラルフそれまで待っててね
追伸
みなさんからラルフに頂いたたくさんの綺麗なお花、一日でも長く咲いていてくれるように
手入れをすることで随分と気持ちが安らぎます。
遅くなりましたがまずはこの場にてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
ラルフも綺麗なお花に囲まれて喜んでいます