西武池袋線の高麗(こま)駅のホームから北に見える山が、日和田山(ひわださん)です。山容を見ると、この山の右側(東)には並び立つ山がなく、稜線が段々と下っていくのが分かります。下った先の平地は、関東平野です。一方、左側(西)に目をやると、稜線は起伏を描きながら、秩父の方角へどこまでも続いています。
つまり、日和田山は、秩父から奥武蔵へ連なる長い峰々の東の突端(とったん)に位置していて、関東平野を海に例えれば、日和田山はまさしく「岬」(みさき)に当たるのです。現に山頂に立って東を眺望すると、わずか305メートルの標高ながら、筑波山まで遥かに続く関東平野の海原(うなばら)を、いや広がりを、独り占めできてしまいます。
麓(ふもと)の登山口手前の駐車場の敷地内には、女性として世界で初めてエベレストおよび7大陸最高峰への登頂に成功した登山家の田部井 淳子(たべい じゅんこ)(1939-2016年)さんの記念碑があります。日和田山は、一般には初級者向きの山として知られていますが、南側の中腹の林の中には男岩・女岩と呼ばれる切り立った岩壁があって、アルピニストの間ではロッククライミングの貴重な練習場として知られています。田部井さんも、ここに通って技術を磨いたのでした。
八合目には、金刀比羅(ことひら)神社が鎮座しています。麓の「一の鳥居」をくぐると、すぐに参道が左右に分かれます。左が滝不動と岩場を経由する「男坂」、右が難所の少ない「女坂」です。この二つの参道が、実は日和田山のメインの登山道になっていて、男坂と女坂は「二の鳥居」で合流し、神社の前に出ます。
二の鳥居からは南西面の展望が開け、眼下に巾着田(きんちゃくだ)、住宅団地の向こうに多峯主山(とうのすやま)と飯能アルプス、その奥に奥多摩の山々、そして富士山を臨むことができます。神社から上は一本道となり、山頂はもうそこです。
頂上の広場の中央には、享保年間に建立された石造りの宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、その堂々とした美しいフォルムは、まさに下界を照らす「岬の灯台」のごとくです。この見事な仏塔といい、金刀比羅神社の存在からして、日和田山が信仰の山であったことは間違いありません。
男坂・女坂、男岩・女岩という名称がいつの時代から使われていたのか定かではありませんが、こうした呼び名が残ること自体、日和田山が女人禁制ではなく、女性にも開かれた信仰の山であったことが分かります。男坂と女坂は、男女を分け隔てる道ではなく、自分の体力差に応じて選べるように工夫された名称であったのだと思われます。これは、一般論として、男坂・女坂を有する他の多くの信仰の山についても言えることではないかと、私は考えています。
日和田山は、近年、環境整備が進んで、男坂、女坂のほかに「チャートの小径(こみち)」と命名されたコースができました。もちろん「岬」の山ですから、山頂から西へコースを取れば、高指山から物見山へ、あるいはもっともっと先まで、縦走も可能です。
(写真上)©日和田山。左(西)の稜線とは対照的に、右(東)の稜線はどこまでも下っていき、すでに後方の雲が見えています。
(写真上)©山頂の宝篋印塔と東方向に広がる関東平野
(写真上)©二の鳥居 から南西面の展望
(写真上)©田部井淳子さんの記念碑
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