天覧山は、奥武蔵の入口に位置していて、初心者にも安心して登れる山として、親しまれています。
交通アクセスはきわめて良好で、奥武蔵の玄関口ともいうべき西武池袋線の「飯能(はんのう)駅」で下車し、西へ30分ほど歩けば、登山口に到着です。登山口から山頂までは、「中段広場」を経て 20分ほど。あっという間に、登頂達成です。
それもそのはず、天覧山の標高は 197メートルと低いうえ、飯能駅の標高がすでに 107メートル、登山口辺りでは110メートルを優に超えていますから、登山道の高低差は 90mメートル未満なのです。
それでも、林間を抜けて山頂の広い展望台に立てば、東京方面や奥多摩の山々が一望できるのですから、初心者には十分と言えるでしょう。アニメ作品「ヤマノススメ」の主人公の女子高生が山の魅力に目覚めたのも、天覧山への登山がきっかけでした。
登山という点からは、入門者向けとされる天覧山ですが、しかし、歴史ファンには、別の楽しみ方があります。というのも、この山ほど奥深い「歴史」を秘めた山も、また珍しいからです。
天覧山は、江戸時代初期まで「愛宕山(あたごやま)」という名称でした。山頂に愛宕神社があったからです。
第5代将軍 綱吉の時代、綱吉が病を患った際、飯能出身の大名 黒田直邦が紹介した能仁寺(のうにんじ)の僧侶の快癒祈願(かいゆきがん)が「霊験あらたかであった」と生母の桂昌院(けいしょういん)が感謝し、能仁寺のある愛宕山の中腹に「十六羅漢(らかん)像」を寄進・建立(こんりゅう)しました。以来、愛宕山は、「羅漢山(らかんざん)」と称されるようになりました。
幕末になると、新政府に反対する幕臣が「振武軍」を結成して、麓(ふもと)の能仁寺を本営にして官軍と戦い、羅漢山の周辺一帯は、戊辰(ぼしん)戦争の一つである「飯能戦争」の舞台となったのです。
時代が明治に変わって10数年後、明治天皇が羅漢山の頂上から、麓で実施した近衛兵の演習を閲兵すると、これを機に、羅漢山は「天覧山」と改称されました。
歴史に三つの名前を刻む天覧山。 中腹には、徳川綱吉ゆかりの十六羅漢像をはじめとする石仏群が、今も江戸時代さながらに残っています。歴史ファンには必見です。いや、歴史ファンならずとも、この石仏群の前では江戸時代にタイムスリップできるのですから、感動モノです。おまけに、山頂から飯能市街を見下ろす気分は、まさに「天覧」なのですから。
天覧山は「埼玉県の名勝」の指定第1号の地でもあります。豊かな自然もさることながら、この山の深い歴史が、そうさせたのでしょう。
(写真上)© 天覧山の山頂標。「天覧山 195M 埼玉県」と表記されていますが、国土地理院の地図では、標高「197メートル」です。本文では、地図表記に従って「197メートル」としています。
(写真上)© 中腹にある石仏群。ここだけは、時間が止まり、江戸時代の空気が流れている感じです。
(写真上)© 中腹にある石仏群の説明板
(写真上)© 天覧山の登山口。奥武蔵自然公園の入口でもあります。
(写真上)© 天覧山。後方は飯能市街。多峯主山(とうのすやま)の山頂から撮影。
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