奥武蔵の風

6 大門橋は 流れ橋

 高麗川(こまがわ)の横手渓谷の下流域に架かる「大門橋」は、いわゆる流れ橋です。流れ橋とは、橋桁(はしけた)を橋脚(きょうきゃく)部にあえて強固に固定せず、河川の水量が増して洪水状態になったときに、橋桁を自然流出させる仕組みの橋をいいます。

 一般に、河川が増水すると、水が濁流となってうねるばかりか、上流から流れ込んだ流木などが勢いよく橋桁にぶつかって、橋脚もろとも橋全体を崩落させてしまうケースがあります。もちろん初めから頑丈な橋を造ればよいわけですが、交通量が少ない歩行者用の橋などでは、建設費の問題があります。そこで、水の猛威に逆らわず、最小限の犠牲で橋を守る知恵が、流れ橋を生みました。

 参考までに、流れ橋ではないのですが、岩国の「錦帯橋」は、橋脚と橋桁のみならず、一連の橋脚どうしもが、建築用語に言う「縁(えん)を切った」構造になっていて、増水によって橋脚の一つが崩壊しても、他の橋脚を巻き込まないように設計されています。過去に、錦川(にしきがわ)の増水で橋脚の一つが流失したにもかかわらず、橋全体はびくともせずに元の美しい形を保ち続けていたニュースを見て、職人の知恵に驚いたことがあります。

 犠牲を最小限にとどめて橋の機能を守り抜く、という発想は、単純な流れ橋も同じです。大門橋は、川の中に2基のコンクリートの橋脚があり、両岸から二つの橋脚の上へ細長い2枚の板を並べて渡し、さらに二つの橋脚の間にも同じ形状の板を並べて渡した、計6枚、3連の橋桁から構成されています。

 渡し板に比べて不釣り合いに大きいコンクリートの橋脚部は、一度はここに流れない本格的な橋を架けようと試みた努力の痕跡(こんせき)に見えます。しかし、やはり架けては流され、架けては流されしたのでしょう。そして、いつしか現在の簡単な形状に落ち着いたのだと思われます。

 今は6枚の板の片方の端が、それぞれ岸の支柱とワイヤーで繋(つな)がっていて、流されても岸に打ち寄せられるだけで、下流に流失することはありません。水量が減って水面が下がれば、6枚の渡し板を橋脚の上に乗せ直して、橋は「復旧」ということになります。

 大門橋に通じる細い道は、秩父と高麗・川越・坂戸方面を結ぶ江戸時代の古道です。今では、大役を終えて、地元民とハイカーだけが利用するのどかな道になりましたが、橋は大切に維持・管理されています。

 

(写真上)©高麗川に架かる大門橋。水量はかなり多い状態です。手前が上流。

(写真上)©右岸からみた大門橋。1枚目の写真と同じ日です。このくらいの水量になると、流れが速く、渡るのは恐怖(危険)です。水量が少ないときは、手前一つ目の橋脚から向こうは、川底が見えて、川原に下りられるのですが。

(写真上)©大雨がやんだ翌日。洪水が治まり水位が引き始めました。川面はまだ水煙がかかり対岸がかすんで見えます。渡し板は、濁流に押し流されましたが、ワイヤーで繋ぎ止められ、岸に寄っています。

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