雨模様の中、倉吉を後にして温泉津温泉に行くが、親父はこの字は何て読むのだろうとスケジュールを計画する際、読み方から調べた。「おんせんつおんせん」ではなく「ゆのつおんせん」と読むらしい。日本語は難しいなー。
その温泉にある「旅館 ますや」に着き、荷物を降ろして駐車場へ向かうことにした。2~3軒先の左側に倉庫のようなところが駐車場だったので、そこへ車を停め、雨が降っていたため、駐車場から走って旅館へ入った。
ここは、石見銀山で採れた銀を運ぶ港があって、当時は大変栄えたらしい。
「旅館 ますや」は、創業明治43年、百年の歴史を持つ木造三階建ての旅館だった。
親父たちが宿泊した部屋は、夕潮(ゆうしお)という部屋で、創業当初に建てられた歴史ある部屋だった。この部屋は、先々代の館主が目白を飼っていたときの鳥籠や昔の薬箱、懐かしい黒電話などが置かれていた。
建物は古いが掃除が行き届いており、古い旅館にありがちな独特のカビの匂いも感じさせなかった。
(母ちゃんは匂い対策のため、香炉のようなものをいつも用意しているが使用しなくてよかった)
廊下の窓からは向かいの低い山の中腹に古い御堂が見えた。

この部屋の天井に使われていた霧島の焼杉(建築当初の材料)の一部は、部屋の説明書きにあるように廊下の横の洗面所に使用されていた。
←焦げ茶色の部分が霧島の焼杉
母ちゃんから、今日の疲れをとるためお風呂に行こうと誘われたので、お風呂に行くことにした。
夕食は、部屋食になっていたが、食べた後に布団を敷きに来てもらう間が面倒だねと母ちゃんと話していたら、別の部屋に用意できるとのことだったので、別の部屋にしてもらった。

ここの夕食は、お品書きがあった。

先付(右)、酢物(左)

造り

焼物

煮物

油物

食事

吸物

御飯

甘味

夕食の味付けは親父たちには丁度良く、美味しく頂いた。
食事が終わり、しばらくしてから母ちゃんが温泉に親父を誘った。親父はどうでもよかったが、ついて行くことにした。
母ちゃんここでのお風呂は、たぶん3回以上は入るだろうな・・・。
今日の走行距離は224kmだった。 明日は、石見銀山へ向かう。
その温泉にある「旅館 ますや」に着き、荷物を降ろして駐車場へ向かうことにした。2~3軒先の左側に倉庫のようなところが駐車場だったので、そこへ車を停め、雨が降っていたため、駐車場から走って旅館へ入った。
ここは、石見銀山で採れた銀を運ぶ港があって、当時は大変栄えたらしい。
「旅館 ますや」は、創業明治43年、百年の歴史を持つ木造三階建ての旅館だった。
親父たちが宿泊した部屋は、夕潮(ゆうしお)という部屋で、創業当初に建てられた歴史ある部屋だった。この部屋は、先々代の館主が目白を飼っていたときの鳥籠や昔の薬箱、懐かしい黒電話などが置かれていた。
建物は古いが掃除が行き届いており、古い旅館にありがちな独特のカビの匂いも感じさせなかった。
(母ちゃんは匂い対策のため、香炉のようなものをいつも用意しているが使用しなくてよかった)
廊下の窓からは向かいの低い山の中腹に古い御堂が見えた。








この部屋の天井に使われていた霧島の焼杉(建築当初の材料)の一部は、部屋の説明書きにあるように廊下の横の洗面所に使用されていた。

母ちゃんから、今日の疲れをとるためお風呂に行こうと誘われたので、お風呂に行くことにした。
夕食は、部屋食になっていたが、食べた後に布団を敷きに来てもらう間が面倒だねと母ちゃんと話していたら、別の部屋に用意できるとのことだったので、別の部屋にしてもらった。


ここの夕食は、お品書きがあった。

先付(右)、酢物(左)

造り


焼物

煮物

油物

食事

吸物


御飯



甘味

夕食の味付けは親父たちには丁度良く、美味しく頂いた。
食事が終わり、しばらくしてから母ちゃんが温泉に親父を誘った。親父はどうでもよかったが、ついて行くことにした。
母ちゃんここでのお風呂は、たぶん3回以上は入るだろうな・・・。
今日の走行距離は224kmだった。 明日は、石見銀山へ向かう。