ごん太ジイジの旅日記

リタイヤしたのを機に何か記憶に残るものにしたいと思い、ここに忘備録として愛犬ゴン太目線で旅の記録を残すことにしました。

17日目 岩見銀山の案内がワンコインで・・・感謝!

2017年10月13日 | 旅行
9月8日(金)

今日でこの旅は最終日となった。
親父たちは、2年前にも約1ヶ月の期間を利用して、車で青森県の龍飛岬まで行ってきたが、今回も事故にも会わずに無事にここまでこれたことは、本当に良かったと思った。

さて、これから岩見銀山に向かうが、母ちゃんは世界遺産になる前に一度言ったことがある場所なので、そんなに乗り気ではなさそうだった。
母ちゃんの話によるとトンネルの中は寒くて、頭を防御するためにヘルメットを被らなければならないらしい。親父は、そんな場所なんだ・・・と思いながら、母ちゃんから仕入れた知識をもとに向かうことにした。

最初に着いた場所は、石見銀山世界遺産センターのある場所だった。ここから、バスや案内するガイドがいるが、バスが出た後だったこともあり、石見銀山公園のある場所まで車で移動した。
そこで、キョロキョロしていると、ワンコインガイド(500円/人)の締め切り時間でもうすぐ出発するとの知らせがあった。親父がこのコースを利用しようと急いで手続きを済ませ参加した。

銀山のモニュメントの前で銀山の成り立ちとコースの事前説明を受けて、銀山ゾーンを坑道に向かって歩いて行った。

銀山モニュメント
 

渡邊家住宅跡
 

下河原吹屋跡?
  

清水寺
  

新切間歩
 

遊歩道
   

自動販売機(景観を保つように木枠で囲っていた)


正面手前の山が銀山だそうだ。昔、この山が光っているのを見て銀を見つけたと言われている。


途中色々な場所の説明を受けながら、今回入坑する龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)に到着した。入口で入坑料(410円/人)を払って入坑したが、母ちゃんの言っていたヘルメットは必要無くて、そのままで入坑できた。親父は、昔は今のように整備されていなかったんだろうなと思った。
中に入ると冷っとしており、ところどころ銀を掘り進めていたであろう横穴もあった。

入坑口
 

ガイドの説明
 

坑道
 

横穴
  

坑道の中の案内板
 

出口
 

出口から下り方面
 

佐毘売山神社
 

??寺
 

龍源寺間歩を含めた銀山ゾーンを散策して武家・町屋ゾーンを散策した。代官所ゾーンは、親父の足の具合も悪くなったため、ガイドお勧めのカフェ住留(ジュール)に引き返してお昼ご飯を頂いた。母ちゃんはパスタを食べたかったが、売り切れていたのでピザランチを食べた。ピザランチは美味しかったようだ。

武家・町屋ゾーン
  

石見銀山を散策した後、帰宅することになったが、折角ここまで来たので、萩に行って萩焼でも買って帰ろうと親父が言った。
母ちゃんも後は帰るだけだから、そうしようと言って萩に向かうことにした。

萩について道の駅に向かった。道の駅で夕食には少し早かったが、海鮮丼を食べて萩焼を探すことにした。ネットで調べたところ、17時を過ぎていたので、ほとんど開いているお店がなかったが、近くに1件開いていそうなお店があったので、そこに行った。

その店は、馴染み深い萩焼の色(肌色)や椀底に切れ目が入っていないブルー系の色の商品が多く、雑然と置かれていた。そのうえ金額も明示していなかったので、どうかなと思ったが、気に入ったコーヒーカップがあったので購入した。

萩焼を購入したので、帰宅しようと車を進めていると世界遺産登録の文字が見えたので・・・んっ何だろうと思い寄ってみようと車を停めた。そこは、史跡 萩反射炉だった。
福岡県 宗像市もやっと世界遺産に登録されたが、萩も登録に向けて取り組んでいるようだ。
ここで記念写真を撮っているとあたりはもう夕暮れとなっていた。
   

反射炉から見た夕日


反射炉が世界遺産に登録されることを願い、帰路についた。

今日の走行距離は336kmで総走行距離は4,219kmだった。

親父たちは、また機会があれば車で旅をしたいと言っている。



16日目 温泉津温泉(ゆのつおんせん) 旅館 ますやに行ってきました

2017年10月11日 | 旅行
雨模様の中、倉吉を後にして温泉津温泉に行くが、親父はこの字は何て読むのだろうとスケジュールを計画する際、読み方から調べた。「おんせんつおんせん」ではなく「ゆのつおんせん」と読むらしい。日本語は難しいなー。
その温泉にある「旅館 ますや」に着き、荷物を降ろして駐車場へ向かうことにした。2~3軒先の左側に倉庫のようなところが駐車場だったので、そこへ車を停め、雨が降っていたため、駐車場から走って旅館へ入った。

ここは、石見銀山で採れた銀を運ぶ港があって、当時は大変栄えたらしい。

「旅館 ますや」は、創業明治43年、百年の歴史を持つ木造三階建ての旅館だった。
親父たちが宿泊した部屋は、夕潮(ゆうしお)という部屋で、創業当初に建てられた歴史ある部屋だった。この部屋は、先々代の館主が目白を飼っていたときの鳥籠や昔の薬箱、懐かしい黒電話などが置かれていた。
建物は古いが掃除が行き届いており、古い旅館にありがちな独特のカビの匂いも感じさせなかった。
(母ちゃんは匂い対策のため、香炉のようなものをいつも用意しているが使用しなくてよかった)
廊下の窓からは向かいの低い山の中腹に古い御堂が見えた。

       

この部屋の天井に使われていた霧島の焼杉(建築当初の材料)の一部は、部屋の説明書きにあるように廊下の横の洗面所に使用されていた。
←焦げ茶色の部分が霧島の焼杉

母ちゃんから、今日の疲れをとるためお風呂に行こうと誘われたので、お風呂に行くことにした。
夕食は、部屋食になっていたが、食べた後に布団を敷きに来てもらう間が面倒だねと母ちゃんと話していたら、別の部屋に用意できるとのことだったので、別の部屋にしてもらった。
 

ここの夕食は、お品書きがあった。


先付(右)、酢物(左)


造り
 

焼物


煮物


油物


食事


吸物
 

御飯
  

甘味


夕食の味付けは親父たちには丁度良く、美味しく頂いた。

食事が終わり、しばらくしてから母ちゃんが温泉に親父を誘った。親父はどうでもよかったが、ついて行くことにした。
母ちゃんここでのお風呂は、たぶん3回以上は入るだろうな・・・。

今日の走行距離は224kmだった。 明日は、石見銀山へ向かう。

16日目 大相撲の横綱「琴桜」の出身は倉吉だった

2017年10月10日 | 旅行
9月7日(木)

明日は、岩見銀山に朝から行くことができるように今日中に島根に入り、島根ワイナリーに立ち寄って子供や孫たちのお土産を買って帰ることにした。
夏の長旅だと最初の頃の観光地では、お菓子などのお土産が欲しくても車の中だと暑さで傷むため買えない。しかたがないので、最後の方の観光地で買うことになってしまう。

出発前の腹ごしらえだ。朝食は、写真のように素朴な料理ではあったが、御飯がとてもおいしかったので、御飯とみそ汁で十分腹ごしらえができた。


島根に行く前に、倉吉に観光できる「白壁土蔵のまち」があるから、最初は、そこに行こうと母ちゃんが言い出したのでヤフーカーナビをセットした。

駐車場を出て、右に曲がってナビの指示通りに進むと山の中の案内となった。山の中をやっと抜けると学校の跡地みたいなところが目的地になっていた。
母ちゃんが、ここはまだ三朝じゃない?倉吉と違うと思うと言い出したので、古いカーナビで設定しなおすと違う場所の案内になった。
しばらく進むと母ちゃんが、この道は、やはり昨日通った道だよと・・・そう三朝の街をぐるーっと右に大回りしていたようだ。

この旅で2回目のトラブルとなり、ヤフーカーナビの信頼が薄れたが、それでも高速道路では工事による渋滞を予測し、迂回指示で助かったこともあり、親父は利用を続けている。

倉吉では、無料駐車場があったのでそこに停めて散策した。
今回の旅行で初めての本格的な雨になったため、あまり散策はできなかったが、近くに大相撲の横綱「琴桜」の記念館があった。そこに入って化粧まわしや琴桜の生い立ちなどを見学して、白壁のある場所で記念写真を撮った後、島根ワイナリーに向かった。

琴桜の優勝額


化粧回し
  

記念館の一部
 

歴代横綱の名簿(稀勢の里まで書かれてあった)
  

白壁土蔵付近


島根ワイナリーでお土産を購入後、島根にある旅館「ますや」へと向かった。・・・つづく

15日目 三朝温泉「旬彩の宿 いわゆ」に行ってきました

2017年10月09日 | 旅行
伊根漁港を出て、今日のお宿である鳥取県三朝(みささ)町にある「旬彩の宿 いわゆ」に向かった。
ビジネスホテルを中心に宿泊していたことと東横インがないこともあり、今回は温泉旅館にしたようだ。

三朝川にかかる三朝橋を渡るとすぐ左に曲がらなければならない。
この道は一方通行で道幅も狭いので、ゆっくり進む必要があったが、100m位進んだだろうか、左側に温泉地に昔よくあった射的ができる場所があった。親父たちは、ワー懐かしいねぇ・・・お祭りの縁日ではよく見かけるけど、最近の温泉地で見かけることはなかなかないと言っていた。

射的の場所から50mほど進むと右に曲がるところがあり、そこを曲がるとすぐ右手に「いわゆ」があった。
駐車場は旅館の前の道を来た方向に少し進んだ左手にあり、観光客も駐車できる広い駐車場だった。
ここ三朝温泉の泉質は、温泉マップに世界屈指のラドン温泉と紹介されていた。

玄関と外


ロビー


部屋
      

母ちゃんが、早く温泉に入りたいと言ったので、温泉に入ることにした。
ラドン温泉は、湯の効能というより温泉から出る湯気に体に良い放射線が混じっているらしく、湯気を吸うようにしたほうが良いようだ。

お風呂入り口


温泉から出て、夕食を頂くことにした。
お品書きはなかったが、料理は上品な味で親父たちには好評だった。御吸物には、民話にある「因幡の白兎」の土地らしく可愛い白兎の飾り物が入っているなど、ちょっとしたことだが、目で楽しませてくれる工夫もあった。

出された食事
        

今日の走行距離は373kmだった。 明日は、倉吉から島根ワイナリーに行って、明後日の岩見銀山見学に備える。
今回計画した旅行も最終章だ。親父たちは良い想い出にしたいねぇと言っていた。

15日目 美山かやぶきの里から伊根へ

2017年10月07日 | 旅行
9月6日(水)

今日は母ちゃんが行きたいと言っていた場所を目指して出発だ・・
最初は、京都美山にある「かやぶきの里」に向かった。かやぶきの里に着くと道路右側に道の駅らしい建物が建っており、そこが駐車場になっていた。ここには、お土産も売っていたので、帰りにお漬物らしき商品を買って帰った。

車を停めて、そこから歩いて左側にある田んぼが広がった先の集落に向かうことになるが、丁度そこに1台の観光バスが停まった。降りてきた観光客は中国人のようだ。集団に巻き込まれると騒がしいので、急いで集落の方に向かった。
最初に見た光景は藁ぶき屋根を一人の職人が手直しをしている光景だった。そこから、集落を散策したが、普通の暮らしをしているためか、洗濯物が干していたり、観光地としては、あまりにも普段の営みが見えてしまい残念な気がした。母ちゃんも白川郷まではいかないにしても合掌造りの屋根を想像していたらしく、昔を知る昭和の人間としては、思った程でもなかったようだ。



美山を後にして、伊根に向かう。ここは、漁港であるが、家の下が船着き場になっており、漁に行く際は家から直接出れるといった場所だ。景色も入り江の中に家々が連なっており、風情のある場所としても知られている。

駐車場は、奥の方に整備された場所があり、そこに30分無料のコインパーキングが造られていた。
町の入口にも数台停めることのできる駐車場があったが、親父は町全体が分からないため、もう少し先に行こうと車を走らせて、コインパーキングを見つけた。

右側にあった向井酒造販売所の手前で杖をつきながら歩いているお婆ちゃんを見たが、先ほど通過した駐車場から歩いてきたのだろうか、気の毒に思った。親父が停めたコインパーキングからだとそんなに遠くない場所だったからだ。
整備された場所で記念写真を撮り、向井酒造に向かい、母ちゃんは、子供たちと飲む予定のお酒と親父にもプレゼントしてくれた。親父感謝だ!!



伊根を後にして今日宿泊予定の三朝の「旬彩の宿 いわゆ」に向かう・・つづく

14日目 残念! 清水寺は工事中で景観が・・・・・

2017年10月06日 | 旅行
9月5日(火)

今日は、京都市内を観光することにした。
親父たちの京都観光は、遥か昔の新婚旅行の時と平成18年5月に大学生だった息子と一緒に観光したのを合わせると今回で3回目となるらしい。
母ちゃんの記憶では嵐山、金閣寺、銀閣寺ほか三千院、寂光院等有名なお寺は観光したと言っているが、親父の記憶にはほとんど残っていない。母ちゃんは、もう1回行きたい場所と行っていない場所を観光したいと言っていたが、親父には新たな場所としてしか見ることができないようだ。

最初は、宿泊したホテルの近くに浄土真宗本願寺があったので、チェックアウトの前にそこに行くことにした。
      

その後、今日宿泊する東横イン京都四条大宮へ車を置きに向かった。
最初の計画では京都はスルーの予定だったが、母ちゃんが京都に行くのなら観光がしたいと言ったので、もう一泊することにした。
ここ京都五条大宮で連泊しようとしたが満室で予約できなかったため、京都四条大宮に泊まることになった。
京都四条大宮に行くためにヤフーナビの指示どおりに向かったが、3回ほど同じ道をグルグル回ることになり。結局見つけきれなかった。
しかたがないので、ホテルに電話をかけて確認したところ、電話をするために止まったすぐ横のビルがホテルだった。見慣れた看板が街路樹で隠れて見えなかったことが原因だった。
ホテルに駐車して歩道に出てみると東横インと書かれた見慣れた看板を確認することができた。ホテルの従業員も街路樹で看板がみえないため、お客様がよく近くで電話をかけてこられると話していた。

バスを利用して観光しようと料金を調べると、ほとんどの区間は1回乗り降りする度に一人230円だったので、1日乗り放題のバスカード(500円/人)をホテルで購入した。
最初は二条城に行く予定でバスに乗ったが、路線を間違えたため、清水寺へ行くことになった。

バスを降りて清水寺へ行く途中、アジア系の外国の女性が浴衣姿で歩いているのを数多く見かけた。
テレビでお馴染みの朱塗りの仁王門を通り抜けて、受付で拝観料(400円/人)を払って本堂の方へ向かった。
本堂は、残念ながら工事中で足場が組まれており、写真のように全体が布で覆われている状態だった。
      

清水寺を後にして八坂神社へ。八坂神社は、清水寺のすぐ近くに位置していた。
八坂神社を拝観した後、時計を見ると14時を過ぎていた。親父たちは腹も空くはずだねぇと言いながら、祇園の路地をウロウロしていると小さな喫茶店の看板が目についた。
一見お休みのようだったが、看板が出ていたので、扉をゆっくり開けて見ると、やってますよーとの声がした。お休みは隣の少し大きなお店だった。

中に入り看板メニューにあったランチを注文した。ママさん一人で料理をしていたが、900円のランチにしては、味もよく量も多くて満足できるランチだった。

八坂神社
   

ランチが美味しかった小さな喫茶店


八坂神社を拝観したあと二条城に行くことにしたが、雲行きが怪しくなったため、ホテルが二条城に近かったこともあり、傘を取りに戻った。
この行動が、のちに失敗と成功の組み合わせとなった。
二条城に着いて受付に行ったところ、残念なことに閉城時間で入ることができなかった。しかしながら、二条城からホテルに帰るときに雨が降り出したため、傘が役に立ったことだった。
 

母ちゃんはせっかく京都に来たのにあまり観光することができなっかたので、不満のようだったが親父は、もう一度時間を作って来ようと慰めていた。

今日の走行距離はウロウロしたので3kmだった。 明日は、美山かやぶきの里と伊根漁港へ向かう。


13日目 高野山へ行ってきました

2017年10月05日 | 旅行
9月4日(月)

今日は、ホテルを出て東の方向にある高野山へと向かう。
高野山は、2年前も観光コースに挙げていたが、娘婿の実家へお邪魔するようにしていたので、断念したところだった。
母ちゃんが、今回は行ってみたいと言ったので、行くことにしたようだ。高野山は和歌山市内からはそんなに遠くなく、あっと言う間に着いた。今日は月曜日ということもあり、比較的人は少ないようだったが、やはり外国人が目立った。

親父は、お寺や神社は靴を履いて回ったが、観光地はサンダルで回っていたため、小指に血マメができて歩きづらくなっていた。そのため、途中ドラッグストアでテープとクッション材などでマメがあたらないように工夫していたが、痛さは半端ないようであった。そのため、なるべく近くの駐車場を利用しようと頻繁に車で移動していた。

高野山に到着して最初に停めた駐車場は、金剛峯寺の手前、右手に入ったところだったが、どうも場所的に金堂前にある駐車場の方が散策しやすそうだったので、引き返してそこに停めて付近を散策した。
その後、金剛峯寺に行くために移動し、前方にある駐車場に停めて散策した。

              
観光案内所の担当者が、奥之院にも行ったたほうが良いとのアドバイスを受けたので、奥之院に移動することにした。

奥之院入口の駐車場から弘法大師御廟まで2kmの間には、かつての戦国大名の供養塔や著名な企業の慰霊碑、慰霊塔などが立ち並んでいた。
親父たちは、企業の慰霊碑や慰霊塔を見て、高野山には社員に対する企業の思いが込められている場所あったんだと思った。
親父は、往復4kmの距離を足を引きずりながら散策することになったが、いい思い出になったのではないだろうか????・・・。

最近テレビで、なぜお寺ばかりの街の高野山が人口も減少せず繁栄しつづけているのか、という番組があったが、その理由は、修行を積んだお坊さんが地元に戻っても、新しいお坊さんが修行のため入山してくるからだと紹介していたが、なるほど理解できる思った。
ここには、昔の殿様や大名にまつわる菩提寺だろうか、そのようなお寺が随所にみられた。

この後、大阪にいる娘婿の実家に立ち寄り、ご挨拶をして東横イン京都五条大宮へと向かった。

今日の移動距離は192kmだった。明日は、折角京都に来たので、ここで1日を過ごすことにした。

12日目 熊野三山へ2年かけてのお参りです

2017年10月04日 | 旅行
9月3日(日)

今日は、熊野地方へと向かう。朝食付きのホテルだったのでそこで済ませ、最初の目的地である丸山千枚田に向かった。

松阪から紀勢自動車道の料金所大紀本線を経由して一般道を通り山道を登った。だんだん道幅が狭くなってきたが、ヤフーナビの指示通りにしばらく行くと、左手が開け、そこに車が1台駐車していた。親父たちもつられて左手を見ると下の方に棚田が見えた。車3台程が駐車できるスペースだったので、そこに車を停めて眼下を眺めた。

棚田の稲は、黄色く色付いていて少しだけであったが、稲刈りが終わった場所も見受けられた。よく見ると中央に漢字で「丸山千枚田」の文字が浮かんでいた。
親父たちは2年越しの場所だねぇと感慨深そうにしてそこを離れた。


棚田を後にした親父たちは、2年前に行くことのできなかった熊野本宮大社と熊野速玉大社に向かった。
最初に本宮大社でお参りすることにしたが、親父たちはここで大きなミスをしてしまった。

お参りをする前に参道の中腹、左側にある祓戸大神にまずお参りをし、身を祓い清めてから上に手水舎があるので、手と口をよくすすぎ清めてから

①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社         結ひの神(八百萬の神)

の順序でお参りしなければならなかったようだ。

親父たちは事前に調べていなかったので、祓戸大神にも寄らず手水舎で手と口を清めてから社殿に進んだが、社殿の多さに戸惑ったあげく、左から順にお参りをしてしまった。
帰りの途中に参拝の仕方が載った大きな看板があったのに気付いたが、すでに遅かった。

    

その後、速玉大社へ向かった。ここは、本宮大社とは違って色鮮やかな本殿が鎮座していた。
ここの社殿も多かったので親父たちは、中央の社殿にお参りしてから左、右へとお参りしていた。
 

ここでの参拝を終え今日の宿泊場所である東横イン和歌山駅東口へと向かった。
今日の走行距離は、368kmだった。明日は、高野山から京都に向かう。

11日目(名古屋城)入城から退城まで30分しかなかったよー

2017年10月03日 | 旅行
福井県立恐竜博物館を後にして、今日の宿泊地である松阪へ向かった。
親父が松阪に行く前に、まだ行ったことのない名古屋城に行こう、通り道だしと言い出した。母ちゃんも行ったことがなかったので、同意して行くことにした。

名古屋城に着いて入城料(500円/人)を払って天守へと向かったが、何やら様子がおかしい。天守の手前に修復された本丸御殿があったが、閉館時間で見学できなかった。

そこを通り過ぎて天守の方へ向かうと、警備員がなにやら忙しそうにしていた。そう、ここでも閉城の準備をしているのだった。親父たちは、急かされるようにエレベータで最上階の展望台に登り、そこから階段を使って各階を急ぎ足で見学しながら降りることになった。親父は、30分1,000円の買い物だったねーとやや不満が残る場所のようだった。

今回の旅行は、移動時間の関係から、閉館に遭遇する観光場所が多いようだ。

母ちゃんは、修復された本丸御殿が見たかったらしく、天守の中でビデオの映像があったので、それを写真に収めるよう親父に頼んでいた。


 

修復前の建造物と修復後の建造物が交互に放映されていた。
 
 


あっという間のお城見学であったが、帰りに天守の外に置いてあった金の鯱(8枚目の写真)の前で記念写真を撮った。
        

名古屋城の近くの駐車場の料金は360円となっていたので、それを支払って、今日の宿泊地松阪へ向かった。
この地を選んだのは、松阪牛を食べたいのではなく、次の日に熊野に行くための移動距離に丁度いい場所として選んだようだ。

当初は東横イン松阪駅前に宿泊する予定で押えていたが、スケジュールの見直しの際に、キャンセルしていた。
スケジュールが確定したため、再度押さえようとしたところ部屋が空いておらず、しかたがなく他のビジネスホテルを探したようだ。

ここのビジネスホテル「HOTEL AU松阪」は、部屋のユニットバスの他に地下に温泉を使った大浴場を備えていた。湯船が大きく足を伸ばして入れるため、旅の疲れを癒してくれたようだ。親父たちはビジネスホテルでもこんなホテルがあるんだねぇと言っていた。・・僕はお勧めのホテルだと思う。

夕飯は、ホテルから周辺MAPをもらい、松阪牛を食べさせてもらえるお勧めのお店を教えてもらってそこに行くことにした。
母ちゃん曰く、松阪に来たらやっぱり松坂牛を食べなきゃねぇと言っていた。
親父たちは、松阪牛を堪能したので明日に備えることができたようだ。

今日の移動距離は356kmだった。
明日は、2年前に伊勢神宮に参拝した後、熊野三山のうち那智大社にしか行っていなかったので、残りの本宮と速玉大社と丸山千枚田に向かうことにした。

11日目(恐竜博物館) 「恐竜の卵」の化石を見てきたよ

2017年10月02日 | 旅行
9月2日(土)

今日は、昨日入れなかった福井県立恐竜博物館へと向かう。
恐竜博物館は、特別展示室で世界中から集められた恐竜の卵の化石「恐竜の卵」展(7月14日から10月15日)が催されており、それを見学するためには、入館料一人1,200円が必要だった。常設展示だけであれば、一人720円だったが、親父たちは、折角きたので特別展示まで見ることにした。
    

特別展示室では、数十点の恐竜の卵の化石やその親も展示してあった。
親は、ミニュチュアレプリカにしたものや化石の状態で展示しているものもあった。また、ビデオでは恐竜がどのようにして卵を産んで羽化させていたかを想像図を含めて説明していた。卵は、大きい物だと鶏の卵の4倍程のものもあったが、ダチョウの卵の大きさまではないようだった。
          

常設展示では、数多くの恐竜の骨(レプリカを含む)が展示されており、子供達にとっては、古代へのロマンが広がる展示物だと親父は思った。
 

母ちゃんによると、恐竜の骨だけではなく恐竜の像が沢山あって、動いているような状態で展示されているのを期待していたらしく、入口に1体だけが期待した恐竜だったので、その少なさが期待外れだったようだ。

期待していた恐竜の展示方法
(常設展示場の入口に置かれており、首、顔、前足、尻尾が動き泣き声も出している)


恐竜博物館を後にして、名古屋城に入城するが・・時間との戦いが待っていた。・・つづく