朝日記160805 橋爪大三郎 「戦争の社会学 ~はじめての軍事・戦争入門」 光文社文庫のこと と今日の絵
おはようございます。
徒然こと 「戦争の社会学 ~はじめての軍事・戦争入門」のことを書きます
目次を以下にあげます。
戦争とはなにか 古代の戦争 中世の戦争 火薬革命 グロチウスと国際法 クラウゼヴィッツの戦争論 マハンの海戦論 モルトゲと参謀本部 第一次世界大戦とリデル・ハート 第二次世界大戦と核兵器 奇妙な日本軍 テロと未来の戦争
(この本そのものの書評は 別途したいとおもいます。なぜならまだ読んでいないからです。)
(Breeze)
徒然こと 橋爪先生の「軍事社会学」、つらつら
橋爪先生の東工大の公開講座「旧約をよむ」というのが2009年からあって、2014の春に終了しました。 それに参加していました。
そのときの受講生のひとりの友人から、神田の三省堂であった新刊出版記念会の様子を伝えてきました。 日経の知らせで100人ほど集まったそうです。
今朝は、 絵の方の公募展の申し込みに郵便局で済ませ、その帰りに近くの私鉄の
駅まで回り道をしました。ここの東急ストアに本屋があるのでここで 先生の「戦争の社会学」を見つけ、買いました。
公開講座と並行して、橋爪先生の理論社会学の大学の正規のコースでこの本のもとになっている「軍事社会学」を聴講させてもらいました。 おもしろので次年後もまったく同じコースに出て、ついでに期末試験を受けせてもらいました。
2012,と2013年であったとおもいますが、当時はまだ「軍事」という冠がつく学問がタブー気味の風潮でこのなかでいちはやく、この講座を開設された橋爪先生の勇気と見識に敬服するものです。
配布された資料は綿密に用意されていたので、いまでも、事項の確認のためレビューに使います。
上述しましたが、今度の本は、その骨格を章立てにしています。
このコースの期末試験を受けました。問題群のなかに選択問題があり
「日頃関心を持っている事項について思うところを徹底的に述べよ」というのがあり
ました。「徹底的」というのことに、あらためて感心します。
準備に山を張ったわけではありませんが、どんな問題がでても、自分の土俵に
引き寄せればよいとして、事前に関心事の、項目をまとめておきました。
そして、試験課題で、自由選択を選び、迷うことなく「軍事行動における価値と事実の論理構造化について」としました。
B4の試験用紙ではたりず、途中で1枚追加を得ます。 脱兎のごとく、B2鉛筆で
書きまくったことをおぼえています。
ところで試験というのは 思考の集中力を上げる効果がありますね。一人の人間が
徒手空拳で立つそういう美学がそこにあります。(若いときにそう気が付いていれば、
悔やまれますが、人生とはそんなものですし、美学などいったら誰からかぶんなぐられたかもしれませんね)
このときは、高齢者の仲間入りして間もなかったときですが、これがその後の自分の態度つまり「終活」の筋をきめたということになります。
今度の本は講義ノートからの抽出で 先生に聞くと、5日で書いたといいます。
本を書く裏側の準備として参考になります。
思い出しますが、アメリカの大学院に学んだとき、自分が遠くない将来に名著を出版する構想のもとにデータを準備している学生がいることにつよい感銘をうけた記憶があります。
(私は、だめでしたね。)
(水辺の情景)
さて、序でなのでその他の期末試験の答案題名を列挙します。
*宗教社会学 自由設定課題「正しさについて、とくに宗教的な正しさに関連して」2012/6/16
*宗教社会学 自由設定課題「霊の概念 特に意識の保存性に関して考えること」2011.7.8
これは、自由宿題として 直接先生に送った答案でした。
*「東工大公開講座~旧約を読む」自由宿題『「靖国神社に英霊はいるか」の答案のための考察(レジュメ)』2010/11/1
*「東工大公開講座~旧約を読む」自由宿題 『「旧約の神の全知全能について』2010/5/22
こういう系統が、手元でしらべると、20件くらいになっていました。
これらを合本としておくのも 意味あることかもしれません。
私の場合、2012年から小さな学会ですが「総合知学会」というところで「私の発信法」という講演発表依頼があって、その縁でここで研究発表をづづけています。
「システム思考による目的論の構造と社会倫理について」という大型課題です。
過ぐる2009年に甲状腺癌摘出処置にあって、療養していましたが、絵を描いているうちに心身元気をとりもどしました。
もともと理系経歴の筋で職業を全うしましたが、橋爪先生にお会する幸運にめぐまれました。 5年におよぶ旧約をテーマでのご指導をいただき、社会学の基礎素養を幾許か身に着けたようです。これによるこれまでに獲得した知識への空気通しをしたく いまの研究展開となっています。
少し長くなりました。
ありがとうございました。荒井
(「避暑地にて」)
安部 忠彦
2016年8月5日 10:53
みなさんおはようございます。
「軍事」と銘打たれると、それだけで拒否反応を示す傾向が日本の社会全体にあると思います。
この傾向は、国際社会のトレンドに背を向けて、日本の存立を危うくするものであると確信しています。
このことについては、いずれ「徹底的に」私が思っていることを、描いてみたいと思っています。
話は変わりますが、今回の絵画「水辺の情景」は、仕上げの白い線が印象的な作品ですね。
赤、黄、緑が細く切ったピーマン・パプリカに思えて、こういう配色・バランスを紺で彩色された白い皿の上に表現してみたいと思いました。
このところ、パスタの研究をしています。
おいしく作るのはたいしてむつかしくないのですが、おいしそうに見せることに苦慮しています。
荒井さんの作品から、白を最後の仕上げに使うといいのではないかということに気が付きました。
ヨーグルトベースのソースを口の細いすくいーずボトルに入れてトマトベースのパスタに線描することで、繊細で洒落た雰囲気を出せそうです。
すぐにも試してみたいのですが、もうすぐランチタイムが始まるので、そういうわけにもいきません。
でも、いいことに気が付いたので、今日から私が提供するフードの美的レベルアップは間違いないでしょう。
仕上げというのは、まさに、意識の表現そのものであることに気が付きます。 実は、にっちもさっちもいかないので、黄金バット(古典的です)の助けで、インク消しをつかっているのでした。 しかし、この白が主役としてみると別の描画がありえそうですね。 いろいろ考えられます。画面をひとつの舞台としてとらえると、白のうごきは、主役のうごきか、照明のような状況効果か。毎回、一番恐れているところは、この動きに過不足があると、つまり欲張るともう目も当てられない惨状になります。いつもそのことが気になっていて、それが逆におもしろいところでもあります。 仕上げとはなにかという命題でした。