京釜線、京仁線、京元線及びソウル地下鉄1号線には、写真のような301系にそっくりな車両が走っておりました。地下鉄線内は直流、国鉄線は交流のため、車両は交直流両用であり、車内のつくりも日本の戦後補償により車両が開発されたためか103系にそっくりで、私個人としても嬉しいかぎりです。以前はクリームと紺色でしたが、現在は写真のような色に塗り替えられ、今年の正月に確認したかぎりでは、旧1000系の先頭車は残念ながら見かけませんでした。
南武線に初の高運103系が登場したのは、平成元年1月下旬でした。ちょうど横浜線用に205系を投入し、蒲田区の103系2本を中原区に転出したのですが、1本目のTc717 M641 M'797 M445 M'601 T'c774は、昭和63年12月に中原区の籍になったものの直接習志野区へ貸出し、2本目のTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442が平成元年1月23日と28日に分けて中原区に転入しました。当時、低運しかなかった南武線では目立つ存在で、私も嬉しくなって中原区に訪れ、撮影させていただきました。
初の高運の営業運転開始は平成元年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番が取り付けられました。習志野区へ貸出したTc717の編成は平成元年7月に中原区へ返却され、7月27日から使用開始されました。
写真は平成元年1月頃にTc745の編成を撮影したものです。
初の高運の営業運転開始は平成元年2月7日の1700デから使用され、編成番号は14番が取り付けられました。習志野区へ貸出したTc717の編成は平成元年7月に中原区へ返却され、7月27日から使用開始されました。
写真は平成元年1月頃にTc745の編成を撮影したものです。
南武線の103系には首都圏用の方向幕は装備されておらず、南武線用の方向幕が装備されています。
もし、首都圏用の方向幕が装備されていたら、横浜線や総武線のように到着駅で方向幕を変更している姿を多く見られたかもしれません。
もし、首都圏用の方向幕が装備されていたら、横浜線や総武線のように到着駅で方向幕を変更している姿を多く見られたかもしれません。