先日も横浜線103系の思い出を述べましたが、本日は短命に終わった103系快速の思い出を少々述べたいと思います。昭和63年3月13日のダイヤ改正により横浜線に快速列車が運行されました。停車駅は東神奈川を出ると、新横浜、鴨居、中山、町田、橋本と橋本~八王子は各駅に停車し、南武線の快速と同じデータイム1時間ヘッドで運行されておりました。私も快速が運行された当時はこの103系快速に何度か乗車したことがありますが、通過駅では必ず45k/h制限がかけられ、これでは何のために快速列車が運行されたのかと疑問を抱いておりました。結局、その年の9月より205系が配置されると103系が徐々に置き換えら、平成元年2月26日の103系さよなら運転をもって、103系による快速列車の運行が終了し、僅か約1年間の短命に終わりました。
また、快速にまつわることではありませんが横浜線の103系の思い出としては、車輪にフラットができやすいのか、車輪の音がうるさい車輌が多いのと先頭車が埃だらけの車輌が多く見られました。どうも畑が多いからというのが理由であるみたいですが、現在の205系では埃だらけの車輌は見られなくなりました。他にも中原区の検修の方から蒲田区の車輌が今度来るよと教えてもらい、南武線初の高運転台車登場と喜んで転入予定の車輌を東神奈川駅などへ行って事前にチェックした思い出があります。実は蒲田区にも103系のことでいろいろ聞きたいことがあって何度かお邪魔させていただいたのですが、残念ながら蒲田区では1枚も写真を撮っておりません。
写真は快速列車が運行されて間もない頃に撮影したもので、JR1周年を記念して、このようなヘッドマークが各路線に取り付けられておりました。
また、快速にまつわることではありませんが横浜線の103系の思い出としては、車輪にフラットができやすいのか、車輪の音がうるさい車輌が多いのと先頭車が埃だらけの車輌が多く見られました。どうも畑が多いからというのが理由であるみたいですが、現在の205系では埃だらけの車輌は見られなくなりました。他にも中原区の検修の方から蒲田区の車輌が今度来るよと教えてもらい、南武線初の高運転台車登場と喜んで転入予定の車輌を東神奈川駅などへ行って事前にチェックした思い出があります。実は蒲田区にも103系のことでいろいろ聞きたいことがあって何度かお邪魔させていただいたのですが、残念ながら蒲田区では1枚も写真を撮っておりません。
写真は快速列車が運行されて間もない頃に撮影したもので、JR1周年を記念して、このようなヘッドマークが各路線に取り付けられておりました。