昨日、寝掛けに『衣食足りて礼節を知る』という言葉を、私の頗る愚友が「腹が減ってたら礼節もクソもない」という意味だ。と誇らしげに言ったことに対し、私は馬鹿な奴だと笑ったら、後日他に友人もその意味だと当たり前の様な顔をしていわれた。 と書いた。
私はそんな事はない、いいか、足りるの意味は、十分ある、ジャブついているという意味じゃない。死なない程度にある。『我唯足りるを知る』という意味だ。と言いました。そしてこの言葉を孔子の言葉だ!と言いました。
しかし今朝、いろいろ調べたら、ほとんどの解釈が私の愚友に等しいモノで、私はとてもがっかりとしたのです。孔子ともあろう人が、なんてくだらない格言を残してくれたものだと、さらに調べると、これは孔子の言葉ではなく、菅子という、彩の国の……、そう、彩の国、埼玉。違う! 斉の国、中国の場所に昔あった斉という王国の宰相、管仲の言葉だという。
管仲は国を維持するためには四つの大切な柱がある。云々・・・・・・。
全く知らなかった人で詳しくないし、書いても受け売りでしかないので、割愛しますが、とにかく、国を維持するための大事な仕事をしていた人で、その思想は多岐にわたり、幅広い知識と見識を持った人だった、らしいです。いつの時代も宰相はそうでなきゃ困る。現に困ってます。
で、その人はとにかく民を、国を維持するのに一番大切な民を、生き生きとハッピーにさせる事。民なくして国は成り立たない、だから出来るだけ、民から苦役を除き、楽させてやろう。じゃなきゃ、やんなちゃうよな。うん、わかるわかる、オイラわかるぜ、その気持ち。という、まあ民からすればありがたい理解者で、きっと当時は織田裕二にも福山雅治にも勝るアニキ的存在だったの違いありません。こんな事をもし本気で言っていたとすれば小泉進次郎にも勝る人気者だった事でしょう。
でも実際はどうだったのでしょう。当時の斉は議会民主制じゃありません。支配者が、民を大切にする事には予め決められたルールに則らないと、一歩も動けません。それは、王様とか、総理大臣の言う事を、一も二もなく聞く。という事。支配されているんだから。当然です。だからその人が、いい事をしようが、悪い事をしようが、民はただ受け入れるしかないんです。そういう制度なんですよ。王政は。
だから逆に言うと、こういう『衣食足りて礼節を知る』は、この時代だからこそ、私の愚友の様な解釈でもよかったのかもしれませんね。なぜならば、民は下、王は上、という絶対的な関係があったのですから。
しかし今、その考えを、偉い人の言葉だからと、通常通りの解釈で、俺間違ってないモーン。だって昔の中国の偉い人の言葉が間違ってる分けないモーン、と鵜呑みにするから、やっぱりあいつは馬鹿な奴だな。と思わずにはいられないのです。
今の制度のもと、こんな考えを実施したら、傀儡政権となってすぐに国は滅びます。足りるの意味が全然今の解釈では機能しないからです。今の足りるは本当にだらしない意味を含んでいるなぁと、ちょっと言葉が可哀そうになります。余る、と一緒くたですからね。
だから私は足りるの意味を本来の足りるの意味にして、知らず知らずに自分なりの解釈をした。多分私の愚友は愚友で、その事を他の友達に、「俺の連れでさ、アホがいてさ」と笑い者にしているに違いないのです。どっちもどっちです。
格言は、ハッとさせられるモノ。鵜呑みにしたらダメなモノ、というのが私の考えです。ハッとして、その意味を考える。その都度。
この他にも私は、『大山鳴動して鼠一匹』も『天網恢恢疎にして漏らさず』も違う意味に解釈してましたが、それはその時の正解でいいと思っています。ただし、言い訳に使わないこと。これはやめましょう。カッコ悪い。私の愚友もやや、悪い奴にあこがれる精神を捨てきれないおっさん小僧で、いつかデカいことやったる!とデカい声で言う割に、人に頼ってばかりいる、いつまで経っても自分が見えてこない奴で、そいつが言う『衣食足りて礼節を知る』の意味は、一般的には正解でもやっぱり間違っているな。と思ってしまうのです。
あ!もうすぐ、息子が出走の時間。さて何着か? 本人は20着以内を目指していると。でも3年4年合同だからやや不利。馬場は良馬場。