私は出来るだけ大人しく、穏やかに暮らしたいと常日頃から思っておりまして、贅沢はしない、大金は要らない、家族が幸せならそれでいい。貴乃花親方の様に、特別な使命にかられ、自分や家族以外の事にまで、身を粉にして戦おうなんて、考えもしません。
韓国で大きな火事があって多くの方が亡くなりました。それでも、私はそれを、対岸の火事としてみているのです。そうする事を悪い事だとも思いませんし、それが私という人間だと、まあ、訊かれもしないのに公称するつもりもありませんが、そう思っています。
それならば、楽でしょう。そう言われるかもしれないですが、実はそうじゃないのです。私がそうしている、いや、そうしなければならないのは偏に、度胸と義侠が足らないせいなのです。
私の苦しみはたいがいそこから始まるんです。他人事なのに、いちいち自分の度胸と任侠不足を感じざるを得ないことが、いちいちしんどいのです。それが楽になるまでこなそうと思ったら、それこそ私は、私が最も嫌う、自分の事しか考えず、周りの迷惑も考えず、平気で嘘をつき、困ったり追い詰められたら、頓珍漢な遺書を書いて無責任に自殺、その際、ムシャクシャした、などと言いながら周りの関係ない人を巻き込んだりして、家族も大迷惑、みたいな人間に、心底成り果てなければならないからです。そんなヤツは人間の成れの果てです。
私は実際ものすごく度胸と任侠に憧れるタイプに違いなく、韓国の火事では、違法駐車の車両が多く消防車が近づけずに初期消火が遅れたのも原因の一つだと聞かされると、違法駐車した人間はおとがめなしか? んで、国は何か対策するのか? 経営者はちゃんと防火設備を備えていたのか? そのことをちゃんと検査した奴はいるのか?建築材にしても、可燃性のモノを規制するとか、事故を予前に防ぐだけのちゃんと対策はなされていたのか? ただ死んだ人の負けで、チャンチャンか? と、ふつふつと腹が立ってくるのです。
さらに和歌山では、8歳の女の子の顔に催涙スプレーをかけた市役所の臨時職員の20歳の男が逮捕されたらしいのですが、8歳、小学三年というと私の息子と同い年。女の子の、しかも顔に、女の子は全治三か月の重傷だという。ちゃんと治るのかなぁ、と心配になります。
この男。20歳の、臨時職員。まじめで大人しく、でも不登校の経験があり、勤務もまじめだが休みがちだったという。真面目な子は、気が小さくいじめられやすく、それを親に言いづらい年ごろ、中学生ぐらいになると、さらに内向的になり、だんだんと世の中で疎外感を感じるようになり、集団対自分という構図を逃れられなくなり、ますます、世の中の常識を重荷に、邪魔に、いや、そんな常識こそが自分を世の中からのけ者にしているんだ、などと考えるようになり、それなのに自分より、ずっと小さく、ずっとひ弱で、ずっと知識もないはずの小学生が、自分よりずっと世の中で暮らしやすそうにしているのを見ると、なんだか妬ましく憎らしく思えてくる、だから、その仕返しをしたくなる。
と言ったところじゃないかと、私は想像するのですが、この80パーセントぐらいは私も理解できるわけです。だから、こういう連中にもそれなりのやむに已まれぬ理由がある、と、一番最初に言った、家族の幸せしか考えない自分に基づくと、考えてしまいがちなんです。だってその方が、なんか理解がある、正当で正しい見方をしている社会人みたいな感じがするじゃないですか。
でもそんな手前味噌な同情が一番いけないのです。
こんな輩には、腹を立てないといけないんです。お前はいじめられたかもしれないし、理不尽な思いもたくさんしたかもしれないけど、そんな事はこの女の子には一切関係ない。お前はお前の敵が怖いから勝手に負けを認めて仕返しを諦めたんだから、諦めたのならきっちりケツまくって、フリーで、ダンサーでも、画家でも、ミュージシャンでも、俳優でも、元手ゼロ円で出来る事はいっぱいあるんだから、それをやればよかったんだよ。もっと、声を出せばよかったんだよ。いつまでも被害者ヅラすんじゃねーよ。たとえ加害者が反省したって、お前の妬みは消えないだろうが!つまり、自分のせいなんだよ! と、言って突き放してやるべきなんでしょう。
人権とか、たまに正しいのかどうなのか分からなくなりますよね。でもそれは人権のせいではなくて人権をちゃんと使いこなせないせいだと思うんです。人権って実際難しいですよね。
人を殺した奴の人権を守るって、算数的に考えたら間違ってますよね。人権を踏みにじってマイナス1、そいつの人権を尊重してプラス1。ゼロですよ。人権が消えちゃった。人権の価値がゼロですよ。ゼロ目指せばいいわけ?どうしたってプラスにしないといけないでしょう? ゼロって、怖い数字ですよ。
だから、算数的に考えたらいけないんですよ、人権は。あ、人権の話をするつもりはないんです、難しいですから。
ただ、いろんな事情を全部考量するのは絶対無理ですから、その中から、考慮する必要のない事情を排除しなければいけないと思うんですよね。その場合、人を殺した奴の事情と、殺された人の事情のどちらを排除するかは、任侠的には明らかなんですが。そこにも、反駁を許さない、ものすごい理屈が、いくつもあるのでしょう。
だから私は、その一番痛痒いところを選択して生きていこうとしているんです。でもそれが実際にはものすごくわがままなんですよね。贅沢はしない、大金は要らない、ただ家族の幸せだけを願い、慎ましく暮らしていく事。こんな最強のわがまま野郎はいません。 膝と肘はその報いかもしれないですね。じゃあ、仕方がないか……。このスタンスは絶対譲れないし……。