どんなにひどい将来でも、受けましょうと、そんな事、簡単には言えません。ジリ貧にあえぐことはあっても、例えば、家族と死別するとか、そんな事は全く容認するわけにはいきませんから。
本当に嫌ですね。大切な人と死に別れる。実際、そんな経験をされた方、東日本大震災の映像、その後の報道でインタビューに応えられていた被災者の方々の、言葉、顔。私はなんとか遠ざけようといろいろ姑息な事をやりましたからね。茶化したり、ホラーのように言ったり。実は怖くてね。あんな現実、認めたくなかったんですよ。エエカッコしいではないと思っています。エエカッコしいだなんて、なんぼ思われても、私にとってはカエルのツラにションベンですから。
それよりも私は、肝が据わらない、気が小さくて何もできない。そう思われるのが一番嫌なのです。空からの映像で、町を飲み込んでいく真っ黒な津波。あれを、うわー!すげー、って映画の様に見る事が出来れば、どんなにエキサイティングだったか。だが私は、あの状態の時、人は無表情で淡々と動くんだと、それを見た時にこれは、うわー!すげー、では、絶対ないと気が付いた、というよりも叱られたような……。
(どうだ!何もできないだろう。わかったか? お前なんかどこにいたって、どこにもいなくたってだれにとってもどうでもいいんだよ。どのみち何見ても何にも反応できない奴なんか、いてもいなくてもいいんじゃない、いない方がいいんだよ。悲しいか? 悔しいか? 嘘つけコノヤロウ!
いてもいなくてもどっちでもいい奴に悲しんだり悔しがったりする理由なんかある訳ねーじゃねーか!気取ってんじゃねーよこの役立たず。せめていてもいなくても、どっちでもいいと思いたかったら、役に立っても立たなくてもいいからなんかやってみろ! 自己満足でも、自己顕示欲でも、偏執でも、変態でも、アマノジャクでも、周りの奴らを見下すためでも、周りに評価されたいためでも、なんでもいいからやってみろ!
偽善者と笑われてみろ、見返りの評価が小さくてガッカリしてみろ、一人だけエエカッコしいと、逆に嫌われて孤立してみろ、そして、あぁ損した、二度と他人のためになんかなにもやるもんかって後悔してみろ! 穏便垂れが!結局お前はそれが怖いんだろ!バレバレなんだよ!バカ!)
と。
いい事をやるのは土台無理だと諦めて、誰の役に立つことも私には出来ないと初めに決めて、グッと気楽に、ヘラヘラとして、まずは毛布でも送ろうかと思ったら、毛布はもうたくさんあります。むしろ邪魔です。と言われ、貰っといて邪魔とは何だ! 何もかも失った人がいう事か!と同時に、この時とばかりに要らないモノ押し付けて偽善者どもが! と思ったわけです。 どっちつかずです。私はこういう自己満足の善意で実際にふたをするタイプの人は、被災した時に、あの時やってやったのに! とぎゃあぎゃあ騒ぐタイプの奴だろうと、意地悪くほくそ笑んだものです。
私は大方の何も考えずに毛布を送った大勢の人を出し抜いて、必要なものを調べに調べて、コンタクトレンズのケースと洗浄液と保存液を、三か月にわたって、6万円分も送ってあげました。そして、どうだ!これがちゃんとした援助ってやつだよ。と勝ち誇ったんです。
私はこうして、自分だけがカッコええ、エエカッコしいな方法を、もし全員がとれば、結果的を得た役に立つ事が出来るんじゃないかと、逆にあの時の自分を出し抜いて思っているんです。
だから、もしこのまま、足が治らず、治っても家族を養っていくだけの仕事に就けなければ、もういいからまたミュージシャンか作家を目指そうかと思います。生活費は嫌々でもバイトデモすりゃいい。甘かろうが、駄目だろうが、もっとダメな奴がいっぱいいるし、もっともっと現状の把握が薄い奴もいっぱいいるけど、そういう奴の中にも、うまくいくやつがいるんだから不思議、理屈などあってなきがごとし。
どうでもいいや。と、うまく思う事が肝要だと、思います。 人を出し抜く事を楽しいと思う事に、何の不都合もないですからね。