-ALKAN-

しどろもどろでも声は出るなり。

実は何も終わってない終戦記念日。

2020-08-15 05:00:29 | 日記

おはようございます。 今日は、ダラダラと、長い文章です。

8/15日、この日が、今年も来ましたね。

どうでしょうね、この日を殊更取り上げる事自体、私は右傾化してるんでしょうかね。

 

そんな気遣い要りませんよ。と、誰かに行ってもらいたい。

私は完全に、日本人としての自信を無くしてるんです。

 

愛国心とか、民族愛というとすぐ、

好戦的だ! とか、右翼だ!とか言われてしまいます。

 

愛国心って、本来どんな意味なんでしょうね。

よくよく考えると、全然理解してない事に気付くんです。

 

 私は日本の言語も、食文化も、文学も、音楽も、美術も、作法も、気候風土も、大好きです。

 私は自分がそんな日本に日本人として生まれた事を、

ある種の奇跡のように嬉しく、頼もしく、誇り高く感じています。

 

ただ本当の意味の愛国心、民族愛は、私が生まれる前になくなっていたんじゃないか、と感じるんです。

 

愛国心民族愛

 

日本人は柔軟だったと、歴史で習いました。

漢字が伝わる前に日本にも独自の文字があったのだと、これも歴史で学びました。

しかし、大陸から漢字がやってくると、サッとそっちに乗り換えて今までの文字は消去する。

宗教も、日本神道があるのに、仏教が伝来すると、サッと飛びついて、ほかの国ではありえない、

二つの宗教を並行して使い続ける。

 

 ほかの民族みたいに、絶対の真実は一つしかない。 

という風には、もともと思ってないのかもしれない。

或いは逆に、絶対の真実は、何をやったところで、一つしかない。

と、ほかのどの民族よりも固く信じているのかもしれない。

 

それ以外は他の民族同様、

権力者が争って、焼け野原になったり町が出来たりして時間を過ごしてきたわけだから、

そこは全く一緒。

 

天皇家が万世一系である事は、民族にとって、実はそんなに重要ではない。ただの偶然と言ってもいい。

 

民族愛とは、そんな天皇家も、そしてあらゆる権力者同士の争いと、

外国との交戦、敗戦も含めた上での民族愛で、

 

愛国心とは、その民族が培ってきた、言語、食文化、文学、音楽、美術、作法、宗教などと、それを尊ぶ気持ちであり、

或いはそれを使って、それに従って面白ゆかしく生活したいという意識の事であり、

面白ゆかしく暮らすためなら別に旧大和文字でなくても、或いは日本神道だけでなくてもいいわけで、

そう考えても愛国心には何一つ傷一つ付かないわけで、

 

だからどんどん、外国の文化を取り入れてきたわけで。

この様子を、心の間口が広い!こだわりない! と受け止めるか、

腰が据わらない!節操のない根無し草!と捉えるかが、

愛国心の有無を分けるような気がするんですね。もともと、国を愛しているかどうか。国をね。

 

天皇家のお世継ぎ問題。女性天皇じゃなく、女系天皇は、

認めるのか、認めないのか。

なんてね、最近よく耳にしますが……、

 

男子の万世一系が途切れる事で、誰かが健康を損ねるんでしょうか? 命の危険に曝されるんでしょうか?

いいえ。深い森に育まれた、肥沃な大地と海に培われた日本の文化は、そんな事ではビクともしません。

これまで通り、ゆったりとした足取りで、その歩みを進めていくに違いありません。

 

天皇家は、朱鷺みたいに、絶滅危惧種の保護動物ではない。

 

万世一系にこだわり過ぎて、愛国心を、民族愛を見失うようでは、全く本末転倒だ。

千代に八千代に、細石の巌になりて、苔の蒸すまで、続いてほしいと願うなら、

寧ろそんな事は些末な問題に感じてしまう。私、一愛国者です。

愛国心と民族愛は常に両輪であるべきで、逆を向いたり、争ったりしてはいけない。

 

ただ、私はその、大切な大切な、民族愛の方が、

すでに絶滅したんじゃないか、と、

心ひそかに恐れています。

それは、自分の中にも、もう受け継がれていないんじゃないかと。

 

コロナ禍での、マスクの着用。

「なぜつける?」との質問に、「みんながつけてるから」と答えた人が大半を占めたという。

人のためでも、自分のためでもない。全く大衆に迎合しているだけだという。

でも考えてみれば、私もそうだ。

私はもともと、マスクはそこまで重要じゃないと思ってましたからね。

数ミクロンのウイルスは呼気に混ざって飛散する、マスクの目など簡単に通過すると、

 

ごく早い段階で専門家が言ってた、その意見が一番納得できましたから、

それを支持し続けたわけです。

ウイルスにとってマスクの目など、

金沢駅の鼓門より大きい!と、

以前ここでも書きました。

 

でも今は、出かける時は必ずマスクをします。それは世の中の風潮がそうだから、

なにも納得してません。そして、

 

出かけた先では、マスクをしながら大声で話す人が、結構います。

マスクをすることで、終了してしまっているですね。大衆に迎合する事で。

ほらほら!鼓門、鼓門! って心ひそかに思ってます。

 

そしてマスクをしない人に対してのバッシング、『マスク警察』

 

何に従って、我々はそうしているんでしょうか。何の目的で、そうしているんでしょうか。

民族愛という梶木の折れて漂流する大船に乗って、船のへさきが向く方、向く方、

まるで、ぺこぱ かハライチみたいに、「そうそう、それが大事!」 

と、駄々従っているだけ。

 

民族愛は? やっぱり、見当たらない。自分の中にも、見当たらない。

まずは折れた梶木を修理することが大切。

出来るかな? やり方を知ってる人、いるのかな?

 

民族愛を直せる職人は、愛国者しかいないと思うんだけど、愛国者を自認する私でも、

民族愛の直し方なんて見当もつかない。民族愛が直った途端、日本人はまた、アメリカに宣戦布告するのかな。

 

だったら、このままない方がいいのかな……。

 

永久に交戦権を放棄することはひょっとして、永久に民族愛を放棄する事と、同じ意味なのかな。

 

上手い事言って、進駐軍に骨抜きにされたね。悔しくもあり、悔しくもなし……。

 

さあ、もうそろそろ、朝ご飯を食べましょう。パンとコーヒー。いいんです。白飯とみそ汁じゃなくても。

 

これが、民族愛。これが愛国心。

 

戦争で亡くなられた多くの皆様の、尊い犠牲の上に、恐れ多くも毎日、無為な生活させていただいています。

皆様のご苦労も、悲しみも、絶望も、私は普段ほとんど考えません。それが当たり前になってるからです。

怖いです。私の民族愛はもう、ボロボロの張り紙の様に、心の隅に剥がれそうになっているのかもしれません。

私は、日本人です。皆様の子孫です。そんな私がどうすることが日本人として、

皆様のご苦労を直視して、その答えとして行動することになるのか、

全く頭に浮かばないまま、目先の金や幸運の事ばかり考えて、一喜一憂しております。

 

そんなバカの姿を、ほほえましく思っていただけたのなら、少しは気が楽になるのですが……。

 

ダラダラ暮らせよ。 そんな時代、めったにないぞ……。 と仰っていただければ、もう少し何か出来そうな気がしてきます。

 皆様の命を、人生を、しっかり受けついて、この日本を、千代に八千代に細石の巌となりて苔の蒸すまで、引き継いでいく、

ほんの少しの間の担い手として、何かしたいんです。

 

それはいま日本が向いている方向とは違う気がするんです。

保守政権と言われますが、私に言わせれば保守でも何でもない。

保守であるとすればそれは、『戦後保守』。

敗戦後の日本を、梶木の折れた日本を保守する『戦後保守』に過ぎません。

さあ……、

パンとコーヒーの朝食を終えたら、何をしようか。日本人として。

 

では、今日もお仕事の皆様、今日も暑いです、給水怠りなく、休み休みね。

そして、怪我も病気もなく、健やかな終戦記念日を終えてください。日本の歴史はまだまだ続きます。

 

では、行ってらっしゃい!御安全に!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする