B'zの「Raging River」という曲のフレーズ。
たぶん、私をどうにか支えていた思想のうちのひとつ。
「誰にも癒せはしない 痛み 抱いて 戦え」
あと、「ARIGATO」という曲のフレーズ。
「歩き続けた先に見たいのは 想像を超えた風と光
そこに誰もいなくても」
これも自分をどうにか奮い立たせていた、
というかこの6年間異様に頼り切っていたフレーズ。
自分の痛みはひとにはわからない。
癒せもしない。
だから、期待しない。
ただ、ひとりで、想像を超えた風と光を見るために、
誰にも癒せはしない痛みを抱いて、戦い続ける。
そう思い込んでいた。
そして、このフレーズが私を支えていたもうひとつの意味に気づいた。
「私が他人を本当の意味で『救える』ことなんて、ない」
そう思えて、諦めるのが、
たぶん、ひどく楽だった。
他人って、どこまでも他人で、
話してくれたことが本当じゃないことすら多い。
私は人の裏を読めない人間で、
「ことば」を信じて、何度も裏切られてしまった。
それでも頼られると嬉しくて、
どこまででもその人が楽になるようって考えるけど、
結局全然その人が救われないまま、終わってしまう。
あと、物理的に苦しんでいる「他人」に対しては、
本当にできることなんて何もない。
自分の無力さを、最も痛感するのは、
他人に対しての影響力の無さを感じたとき、なんだ。
でも、それって当然だとさっきのフレーズは言っている。
自分が、誰にも癒せはしない痛みを抱いて戦っているのなら、
他人だってそうだ。
誰にも、自分にだって、他人の痛みを癒せることはない。
もちろん、手助けになることはある。
だけど、結局どうにかできるのは、私ではない。
この無力感は、
生きる価値を見失うほどだったけれど、
そういうもんだと理解して、諦めてしまえば、
ひどく楽だった。
その意味でも、他人に対してがんばらない。
このフレーズの最初の意味の、
自分がそう思い込む方を、
今付き合っている人が、壊そうとしている。
そうすると、そこが壊れると、
他人に対しての方も、壊れていく。
だけど、彼を助けることは私にはできない。
どこまでも無力感が募って、
彼の方が明らかに大変なのに、
気持ちが、どんどんと、沈んでいく。
ダメだって言い聞かせても、
こえがでない。
二つ目の意味に気づいたのは、今日。
この異様な無力感の正体に気づいた。
気にしてないフリをするけれど、
くるしくて、
また、あの考えが、復活してしまいそう。