Lightning

歩き続けた先に見たいのは 想像を超えた風と光

もったいない

2012-01-31 17:43:03 | 出会いはどれだって
能力あるひとが、
くだらん環境のせいで
やる気をなくしたりしているのを見ると、
もったいないなあ…って思う。
環境に左右されない人間なんていないと思うしなあ。


別に、他人どんな感情であろうがどうでもいいのだけど、
それに私の買っている人を巻き込むな、と思ってしまう。
自分の何か都合が悪いからって、
他の人まで都合悪くしていいわけじゃない。
もちろん、他の人に尽くしすぎるのも変だと思う。
だけど、最低限、
他の人の足を引っ張らない程度に仕事しろよって思う…。


まあ、世の中、誰かひとりが悪いわけじゃないけど。
もったいないな、って思うから。
みんなが幸せになるには、
最低限のことはやる、ってことなんだと思うんだよなあ。

短気な構ってちゃん

2012-01-31 13:18:20 | それでも光をさがしている
構ってちゃんと言うより、
どちらかといえば、「構うな、うざい」と言っている。
今の私は。

短気と言われたけど、
それは確かにそうなんだが、
全然怒らないときもある。
今の私は、確実に短気だけど。


この2点に関して、
言われてひどくへこんだんだが、
冷静に見ると、
構ってちゃんなら、誰にも背を向けるのおかしくね?って思った。
しかし確かに構ってよーって思うときもあって。




自分の中でひどい矛盾があることに、
2年ぐらい前に気がついた。
あるときにはそれを本気で言っているのに、
あるときには全然違うことを本気で言っている。
どちらの私も真剣。


ある程度、思考パターンがあることに気がついていった。
今のところ、5つ、わかってる。
それが、何かのきっかけで大きく切り替わる。
まざるパターンもあるけれど、大抵混ざらない。
多重人格とかそういうことではなくて、
大人になって来て、みんなに見せる顔、みたいなのを作るときに、
そういう自分を、思考レベルで作っているということに気がついた。


たぶん、2番めがひどく甘えていて構ってちゃんなんだが、
5番目が、他人との関わりを、ほとんど拒絶している。
5番目は、他人の小さいことも認められないんだけど、
2番目は、べつに気にならない。

今の自分は、5番目なのだな。
だから、みんなでご飯とか勘弁、って思うのだろうな。。
非効率的だし、とか思ってるんだもんな、ひどい。

今の私は誰のことも飲みとか誘わないし、
誘われても行かない。
ただ、まあ発表が終わったら、たぶんまた切り替わる。
誘われ待ちの2番目じゃなくて、誘う1番目になるだろうから、
そしたら誘いまくるんだろうなあ。


こうやって思考ごと切り替わることを
気づけるようになって来てよかったけど、
困るのは、
そのときの自分が毎回真剣に考えた結果で行動してるってことだな。
だから全力で矛盾する。。。

まあどの性格でも、
構ってちゃんも短気も直したいけれども。。

なんでもするよ

2012-01-30 21:39:00 | 明日も君を愛していられるように
「力になれることがあったら、なんでもするよ」


この言葉の悲しい意味を言われて、
はっとした。


…けど。
その悲しい意味に気づかなかったのは、
確かに「信頼しているから」なのだと思った。

彼への信頼と、
自分への信頼。

彼が
「ひと」としての価値を、
私に見つけてくれているだろうという信頼。

私が、
「ひと」として
彼の力になれるだろうという信頼。



すごい。
なるほど。
壊れたものが、
戻ってきている。

戻ってきている?
や、違うなあ。
また作られてきているのかな。
彼のおかげで。





自分の思想の変化に驚く。
彼の影響力に驚く。

彼の力になりたかったのに、
彼がまた私の力になってくれた。

でもきっと、
支え合ってる・・んだよね?
優しい嘘じゃないことを、願う。

怒り荒れ狂う川

2012-01-30 19:14:35 | 相手も同じ気持ち隠しながら
B'zの「Raging River」という曲のフレーズ。
たぶん、私をどうにか支えていた思想のうちのひとつ。

「誰にも癒せはしない 痛み 抱いて 戦え」


あと、「ARIGATO」という曲のフレーズ。

「歩き続けた先に見たいのは 想像を超えた風と光
 そこに誰もいなくても」


これも自分をどうにか奮い立たせていた、
というかこの6年間異様に頼り切っていたフレーズ。



自分の痛みはひとにはわからない。
癒せもしない。
だから、期待しない。
ただ、ひとりで、想像を超えた風と光を見るために、
誰にも癒せはしない痛みを抱いて、戦い続ける。
そう思い込んでいた。


そして、このフレーズが私を支えていたもうひとつの意味に気づいた。
「私が他人を本当の意味で『救える』ことなんて、ない」
そう思えて、諦めるのが、
たぶん、ひどく楽だった。



他人って、どこまでも他人で、
話してくれたことが本当じゃないことすら多い。
私は人の裏を読めない人間で、
「ことば」を信じて、何度も裏切られてしまった。
それでも頼られると嬉しくて、
どこまででもその人が楽になるようって考えるけど、
結局全然その人が救われないまま、終わってしまう。
あと、物理的に苦しんでいる「他人」に対しては、
本当にできることなんて何もない。
自分の無力さを、最も痛感するのは、
他人に対しての影響力の無さを感じたとき、なんだ。

でも、それって当然だとさっきのフレーズは言っている。
自分が、誰にも癒せはしない痛みを抱いて戦っているのなら、
他人だってそうだ。
誰にも、自分にだって、他人の痛みを癒せることはない。

もちろん、手助けになることはある。
だけど、結局どうにかできるのは、私ではない。
この無力感は、
生きる価値を見失うほどだったけれど、
そういうもんだと理解して、諦めてしまえば、
ひどく楽だった。
その意味でも、他人に対してがんばらない。




このフレーズの最初の意味の、
自分がそう思い込む方を、
今付き合っている人が、壊そうとしている。
そうすると、そこが壊れると、
他人に対しての方も、壊れていく。
だけど、彼を助けることは私にはできない。

どこまでも無力感が募って、
彼の方が明らかに大変なのに、
気持ちが、どんどんと、沈んでいく。
ダメだって言い聞かせても、
こえがでない。



二つ目の意味に気づいたのは、今日。
この異様な無力感の正体に気づいた。
気にしてないフリをするけれど、
くるしくて、
また、あの考えが、復活してしまいそう。

発表2日前

2012-01-30 11:31:59 | 十人十色のライフ
「技術」を面倒に感じてしまうぐらいには、
技術者ではない。

「技術」を理解することも、
扱うことも、説明することも、
たまに、面倒になる。
特に目の前に「発表」っていう他の餌があるのに、
そっちをやれと言われると。

「技術」あっての「発表」なのに。
本末転倒。。。




まあ、面倒でも何でも、
期日を考えるとやるしかないのだけれど。
ここで、面倒だからってやらなかったら、
後悔するのが目に見えているから動く。

未来の私への、せめてもの差し向け。
こんなとこで終わるわけにもいかないし。
ひとつでも高めていかなくちゃ。




手を動かせば、
気持ちはあとからついてくることも、あるしね。