明日TOEICだというのに、鳥人間コンテストの記事を一通り呼んでしまった。
鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」
出身大学的にはあんまり流せないし、友人パイロットだったし、・・気になってしまった。
事故のその辺とか鳥人間の詳細とかよくわからないから、この裁判自体がどうなるかはわからないけど(読売とか老舗が絡んでるとつぶされそうだけど。。)、
本人のブログを見る限り、彼女の考えて考えた結果なわけなので、
これで、鳥人間コンテストの「悪い部分」が消えるように変わって行くといいな、と思う。
読売側の命を預かってる意識の欠落とか、チーム意識の欠落とか、・・こういうことに関して、取り決めがないとか。
個人的に思うのは、
(1)トレランの大会で死亡とか、登山で死亡とかと似ていることと、
(2)この記事で感化されて思うこと。
(1)趣味やエンタテイメントで悲しいことになったらいかんよ
・危険は限りなく下げるべき。
・それでも残っている危険について、全員で知っておくべき。
「危険を承知で」やっているのもわかるけど、
危険は、0.0000001%とかまで下げるべき。
その努力は、知識のある人間が絶対にやらなければ行けない。
それを知らないなら、そもそもその趣味をやるべきでないので、そういう人を誘うべきでない。
鳥人間をやるなと言っているのではなくて、
危険を知っているべき。
来年出れなくなるかもしれないから報告しないでおこう、はまずない。
パイロットだけの責任だろ、もおかしい。
けれど、チームで登山していて、怪我した人だけが怪我の責任を負うって結構ある気がする。
ああ、、それもとてもよくないね。
仲間、は口だけではなくて、もっと芯からつながらないと。難しいけど。。
(2)自分の立場でない人を勝手に想像して非難するのはダメだね
記事のコメントとかを見ていて、こういうときは、こうだろ、というのはやっぱりおかしいなーと。
訴えた人の気持ちも、そのときのチームメイトの気持ちも、誰もわからないので。
ただ、意見や、疑問や、議論は全然いいと思うけれど。。(裁判した意味は、そこにもあると思うし)
変な感情論は、見ていて意味がわからなくなる。
最近自分も考えなしの非難癖がついているよなぁ。
やめよう、そういうことは。
私は、しっかり考える人のことは評価したい。そして自分もそういう人間になりたい。
そして将来、そういう人に囲まれて働きたい。
こういう記事、みんなすぐ忘れるよね。
図書館戦争で書いていて思ったけど、みんな忘れてく。
仕方のないことなのだけど、、、
当事者は忘れられない。
だから私は、一回一回しっかり考えて、「思考」に落としていきたいなぁ。