「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5,姥野球 ②

2025年02月15日 08時55分21秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・長男の嫁も、
長男にいいつけられてのことに、
ちがいない、
電話をしてくる

これも儀礼的というか、
義務感というか、
電話というものは、
気分がよく伝わるものである

立て板に水で、

「治子ですけど、
お姑さん、いかがですか、
お元気?
お変りもなく?
何かありましたら、
お手伝いに
あがりますからご遠慮なく」

とこっちのいうことも聞かず、
電話を切ってしまう

この分では私がミイラになっても、

「お変りもなく?
何かありましたらご遠慮なく」」

とやってるかもしれない

ま、しかし、
ミイラぐらいでは「何かある」の内へは、
数えないのではないか、
自分の子供の指に、
トゲでも刺さったら、
大騒ぎであろうが、
私がミイラになったくらいでは、
驚かないかも・・・

そんなことを考えて、
私は一人の朝食をにやにやしつつ、
とっている

ところでおよそ、
電話をしないのは三男である

この子は昔から甘えたで、
自分のことしか考えない、
わがまま末っ子であったが、
今は鬢が白くなってもう四十五である

銀行員になって、
支店長だのといばっているが、
銀行以外の世界は知らないのだから、
大きな図体をした井の中の蛙である

女房も銀行員の娘をもらった

銀行は閨閥もあるらしくて、
まだ中学生の息子も、
ゆくゆくは銀行員にするらしい

銀行のマークが服を着たような、
一家である

この息子は女房に巻かれっぱなしで、
女房で充足されているらしく、
私のことは思い出しもしない

いつもは忘れているが、
思い出すと腹が立ってくる

そういえば、
正月に来たきり、
盆暮れの挨拶だけやな、
と思うとむらむらして、
こっちから電話をかけてやる

「あんた、
ちっとはな、
電話するもんやで
七十六のお袋が、
一人でどないしとるやろか、
とか、
誰もいてへんところで、
引っくりかえってるのやないか、
とは考えたことないのかいな
七十六のお袋、
一人で住まわして、
世間の聞こえも悪い、
と思わへんのか」

三男は私の見幕にびっくりして、

「いや・・・そら、
まあ、いつも無意識に、
深層心理で
思い出しとるけどやな、
まあ、お袋は丈夫やし・・・」

「丈夫いうたかて、
私もトシがトシやから、
どうなるかわかりません、
今日丈夫でも、
明日はコロッと、
という場合もあるかもしれへん、
怨めしや・・・
と箕面のほうへ手を出して」

箕面というのは、
三男が家を建てた町である

「そんなこというなよ」

三男は厚かましい男で、

「どうせなら、
西宮や豊中へ向いてほしわ」

西宮は長男、
豊中は次男のいる町である

「なんでミイラになって、
僕とこ向くねん、
向き先はなんぼでもあるやないか、
兄貴らのほうへ向いて・・・」

「そう思うのやったら、
たまには、
『どないしてるねん』
とひとことぐらいは声かけなさい」

「わかってる、
けど忙しいてな、
何しろもう・・・」

「誰でも忙しいわ、
そこを電話してくるのが、
『可愛げ』というもんやないかいな、
建て増しするやら、
庭作るやらいうときは、
私のヘソクリあてにするくせに
よろし、
もうわかりました
私ゃ一人でミイラになって、
箕面のほう向いて、
怨めしや・・・」

「かんにんや、
お母チャン」

四十五の末息子は、
思わず昔ながらの言い方で、
悲鳴をあげるのである

息子たちは三人寄ると、

「どや
やりにくいなあ
この頃のお袋」

「電話せなんだら、
せなんだいうて怒りよるし」

「ミイラ、ミイラで、
いやがらせしよる」

「電話したらしたで、
トシヨリ扱いする、
いうて怒るし、
心配したら、
大きなお世話や、
家の中でジーっとしとったら、
恍惚の人になってしまう、
といいたい放題」

「どないせえ、ちゅうねん」

「怖いもんなしの境地や
気ぃ荒うなった」

「ワシらより長生きするのん、
ちゃうか」

と恐慌しているようである

ところでおかしいのは、
次男の電話である

この男は鉄鋼会社に入って、
いまは部長たらになっている

四十八歳で部長というのは、
この会社では出世しているほうである、
と息子が来ていうが、
本当かどうか分かるもんか

この男、
息子たちの中ではいちば欲深で、
口を開けば、

「おばあちゃん、
株券ちゃんとしもうてるか、
判コと通帳は別々にしいや」

ばかりいう

私ゃまだモウロクしていないんだよ

「銀行の貸金庫へ、
ちゃんと入れてあります
ややこしいのは手元に、
おいていませんよ」

というと、

「いっぺん、
一緒に行って見とこか、
もしものことがあっても、
誰もわからん、
ということになったら困る
株はどことどこの奴や?」

と私の財産管理ばかり、
気にしている

そうして口を開けば、
私をやりこめ、
電話でしゃべっていて、
いちばん腹が立つのはこの次男である

ところが、
この息子が私のところへ、
いちばんよく顔を出す

そして何をいうかといえば、

「ウチの常務なあ、
この前、コロッといった前の部長の、
嫁はんの親や
あいつ、
ほんまにいやらしい奴やで」

と上司のワルクチをいう

会社の内紛を、
私にこまごまとしゃべる

よって私は、
次男の会社の内情やら、
人間地図やらを、
あたまの中に入れてしまった

次男はときに、
会社の創立記念日パーティの、
写真なんぞ持ってきて、

「ほら、
これが例の常務や
こっちは専務や
あ、こいつが社長の息子
副社長ということになったぁるけど、
ろくに物知らへん
遊び歩いて接待ゴルフばかり、
しとる
その代わり、
女房はええとこからもろとるねん」

などと示して、
私に見ることを強制する

そんなもん、
見たってしょうがないのに、
禿げあたまや白髪の、
変哲もない紳士の写真を見せ、
自分と同質の認識を持て、
と強いるのだ

五十近くもなって、
じつにけったいな息子である






          


(次回へ)

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