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・「おかげさまで、
無事、お式も済みましたのよ」
と竹下夫人が電話をかけてきた
以前、
私が仲に立って話をした、
知人の息子の結婚式である
その相手はぼてれんのまま、
結婚式を挙げた
それは別にかまわないが、
しかしなんだってまあ、
女は子供を生みたがるのかしらねえ
「なぜそう生みたがるのでしょ」
と私がいうと、
「そりゃ、神さまの授かりものですから」
とふしんそうに答える
「授かったらみな、
生まなきゃならない、
ってもんじゃないでしょう」
「いえ、
できたものは生まなきゃ、あなた・・・
子供を生むのは女の本能ですから」
竹下夫人は私より年下であるが、
私を訓戒する口調になった
「本能、ねえ・・・」
私はいつも面倒くさいので、
竹下夫人の電話は敬遠して、
用件だけですませるのであるが、
今日はつい、日頃、
思っていることをいってしまった
「私ねえ、
この頃の子供のしつけの悪い、
なまいきなのを見ておりますと、
こういう出来の悪いバカな子供を、
いっぱい殖やしてはいけないんじゃないか、
と
女の本能を甘やかして、
生み続けさせることはないんじゃないか、
と
子供を生むという本能を、
だらしなく放置しといて、
いいのかしらと考えますのよ」
「奥さま、
何てまあ、きついことを
どうもそういう、
きついご意見は、
私には理解できませんわ」
竹下夫人は語調をあらため、
とみに熱心になりいうのである
「わるいことは申しません
奥さま、
ちょっと荒気になって、
いらっしゃるようですわ
どうぞ『天地生成会』に、
お入りなさいませ
現神さまのおかげで、
気が和んでおだやかになられますわ
安心が得られますわ
奥さまのきつい荒気が、
きっとおさまります、
こう申しちゃなんでございますが、
おトシを召して、
お一人でお暮しになっていると、
おのずから荒気におなりになるんじゃ、
ないでしょうか・・・」
荒気なんていわれてしまった
竹下夫人ばかりではない、
息子たちもそう思っているらしい
私はべつに荒気になってる、
とは思わない
ごく普通の気性だと思っている
ただ向こうが私の気を、
荒立てるようなことをいうからだ
一ばんよく、
私に電話するのは長男である
「いつかけても、
おらへんのやな」
といつかけても、
不機嫌な尊大な声を出す
「年よりは年よりらしゅう、
ちと、家に落ち着いていなはれ」
これが私にカチンとくるのだ
長男はふた言目には私のことを、
「年より」と連発するが、
いくら息子だって、
いっていいことと悪いこととある
私ゃ自分では、
「トシヨリ」と思っていない
目も耳も達者、
歯も文句なく、
内臓もすこやか、
四肢も故障なく、
肌もつややか、
と自分では思っている
何しろ、おしろいだってよくのるのだ
髪は染めるけれど、
それだってブラウンに、
きれいに染め上がり、
身なりだってかなり道楽しつくして、
ハイカラ好みであるのだ
そうして、
海の見えるマンションに一人住んで、
絹のラベンダー色の部屋着を着て、
爪にオリーブ油をすりこみ、
あと鹿革でよく磨いておく、
といった日常、
毎日機嫌よく優雅に暮らしている、
七十六歳の美女に向かって、
「トシヨリはトシヨリらしゅう」
とは何だっ!
トシヨリ、
老人、
老婆、
老醜、
老残、
老衰、
おいぼれ、
そういうことばをやたら、
発することはつつしんでもらいたい
いまはやりの、
熟年ということばを使ってもらう
長男のいう「年より」には、
「年より」らしい概念があって、
そこからはずれると、
咎め立てするようである
つまり、
「年よりは家に落ち着いているもの」
という概念が長男にはあるのだ
「いつかけてもおらへん」
と電話で怒るのはそのせいらしい
大きなお世話だ
家にくすぶっていると、
恍惚の人に近づくのが関の山、
足腰の立つあいだは、
外を出歩いたほうがよい
それがいちばんの運動である
我々の世代であると、
美しく身じまいし、
日に焼けぬよう首にはスカーフ、
レースの手袋をはめて町へ出る
これが大変な運動になる
駅の階段の昇り降り、
バスの乗り降り、
町の人々の視線にさらされる、
すべて緊張を強いられるので、
これが最も適切な美容法であり、
健康法である
五十二の長男は、
いうこと考えることは、
私よりずっと古くさい
そういう古くさい感覚で、
よく繊維品の商いができるもんだ、
と思うが、
私は商売のことに、
口出しすまいと思っている
今までさんざん働いてきたのだから、
浮世の苦労はもうご勘弁いただこう
私はこの頃、
お習字の先生にすすめられて、
習字教室を週に二度、
受け持たされている
市民会館であるが、
四、五十人の婦人が来るので、
これもかなり忙しい
その関係で、
筆や墨の店、紙屋、表装屋へ行ったり、
まさに長男にいわせれば、
「遊び歩いている」
状態である
とてものことに、
家に落ち着いている、
ことなんか出来はしない
長男が電話するのは、
私が家に年よりらしく、
落ち着いているかどうかを、
たしかめるためではないらしい
「誰も知らん間に、
コロッといかれでもしたら、
風わるいよってな」
と外観を気にする男である
「七十六のお袋を一人おいとる、
いうたら世間の聞こえも恥ずかしい
そやから、一緒に住も、
いうてんのに」
「やれやれ、
そんな窮屈なこと、
よういせんわ
誰も知らん間にコロッといく、
いうのもさばさばして、
ええやないかいな
社長母堂、ミイラで発見される、
いうのも面白いやろ」
と私がいうと、
「笑う気もせんわ
ええかげんにしなはれ
そっちは面白いやろけど、
こっちは大迷惑や
親ほったらかした、
いうて後ろ指さされまっしゃないか
もう人前歩かれへん」
とむくれて、
電話を切ってしまった
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