
・先日、野坂昭如さんが本誌のエッセーで、
ただいま当世退廃のエネルギーは五十代女性にこそ、
という趣旨を述べていらしたが、
あれはまことに卓見である。
この頃、野坂昭如さんの筆鋒いよいよ鋭く、
本誌(週刊文春)連載の野坂コーナーを、
私はますます楽しみにしている。
野坂さんのいう、五十女のタガの外れた無惨さは、
この頃、私もよく思うことがある。
五十代女は、
子供たちも独立し、夫が定年になったという世代、
はじめてゆっくりものを考える時間が出来、
いまにして敗戦の傷痕が精神の奥深くに、
刻まれていることを発見したりする。
天皇って何だろう?
と考えるのは、ちょうど夫が毎日在宅するようになって、
はじめてまともに夫と顔をつき合わせ、
夫婦って何だろう?
結婚って何だろう?
このどこの馬の骨ともしれぬような男が、
なんで大きな顔をして私のそばにいるのだろう?
などという根本的なことを考え出すのと、
軸を一にしている。
考えたあげく、結論が出て、行動に移す女もいるが、
たいていは、敗戦の傷痕と同じく、
結婚や夫婦の疑問も、心の奥に深くしまいこみ、
それが心身をむしばんだりする。
新聞に投書してうつを散ずる五十代女性もいるが、
享楽派に転じるほうも多くて、
カラオケバーでマイクを握ったら放さない、というのも、
若作りした五十代女である。
私も含まれている。
いや、この五十代女がめためたとなりかける、
その大元の原因に私は興味があるのだが、
まず、ものを考えはじめる余裕ができたということの他に、
食習慣の崩壊をさまざまと見て、
精神の均衡が破られた、ということにあるのじゃないかと思う。
食べ物の余りものを、
五十代女が捨てはじめた時、
最後に残された矜持と信念は、
がらがらと崩れてしまったのではあるまいかと思われる。
昔ながらのつつましい、
食べ物を大事にする教育、
弁当箱のふたについたご飯粒から食べ始めるというのが、
五十代人間の教養であった。
まともな市民のしつけを受けた人は、
男も女も食べ物を粗末にしなかった。
私などもトシヨリに、
「ママ粒こぼしたら目ぇつぶれまっせ」
と叩き込まれて育った。
飽食の時代がきて、
人々はママ粒もおかずの残りも、
どんどん捨てるようになった。
男はいい。
男は五十男も六十男も、
宴会なんかに出て、
結構な珍味佳肴が無惨に食い散らされ、
残されているのに慣れて、
間隔がマヒしたところがある。
しかし昔ながらに奥ゆかしい教育を存する女たちは、
何としよう。
息子や娘が食べ物を残す、
それにつれて息子の嫁、娘の壻、孫たちも放下(ほか)す。
食べ物を押し頂いて食べるという感覚は失われた。
勿体ない、勿体ない、と、
残り物に火を入れ、あるいは冷蔵庫にしまいこむのは、
五十代女ばかりである。
自分はノコリモノで一食すませ、
家族にはそれが好きなのだと思われ、
残飯自動処理機のごとく思われている。
しかしある日、ついに、
さしもの五十女もノコリモノの処理に追われて、
ママ粒を思い切って、「放下した!」のである。
どうしようもない。
なんで自分だけ、
こうつつましくせにゃならぬのか、
と思ってしまう。
声をからして、
「勿体ない、勿体ない」
と言い続けるのに飽いてしまった。
もう知らんわ、と思い切って捨てはじめ、
それが最後の歯止めになっていたのが、
いまや堰を切ったごとく、崩壊しはじめたのである。
夫も天皇も批判的に見られるようになった。
こうなりゃ怖いものはない、
ママ粒でさえ放下したのだ。
家庭を放下し、子供をうっちゃっても、
どうということもおまへんのだ。
あほらしい、ってんで、
五十女が尻をまくると恐いド。
何しろ、目がつぶれるといわれたママ粒を、
放下すようになったのだ。
中曽根さんなんか、
五十女の怖さを知らないから、
一人で、サミットだ何だといちびっているが、
内部崩壊は確実に進行しているのである。
話は違うが、
この間、京都を久しぶりに歩いていたら、
いや、この町は、お婆さんが大威張りで歩いている。
お婆さんがいつも外をほっつき歩いている町である。
そうしてそのお婆さんたちは、
タガがはずれて、そのあまりにほっつき歩いているのではなく、
きちんと昔ながらにママ粒を一粒残さず拾って食べ、
しきたりと躾を守り、それを若いもんに強要し、
今になってやっと尻をまくったのではない、
千年の昔からまくっていたのだ。
強いものは京のお婆さんである。
一般庶民五十女は京のお婆さんほどの強さを持てず、
なし崩しに崩れていく。


