「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

39、京のお婆さん

2022年04月12日 08時21分49秒 | 田辺聖子・エッセー集










・先日、野坂昭如さんが本誌のエッセーで、
ただいま当世退廃のエネルギーは五十代女性にこそ、
という趣旨を述べていらしたが、
あれはまことに卓見である。

この頃、野坂昭如さんの筆鋒いよいよ鋭く、
本誌(週刊文春)連載の野坂コーナーを、
私はますます楽しみにしている。

野坂さんのいう、五十女のタガの外れた無惨さは、
この頃、私もよく思うことがある。

五十代女は、
子供たちも独立し、夫が定年になったという世代、
はじめてゆっくりものを考える時間が出来、
いまにして敗戦の傷痕が精神の奥深くに、
刻まれていることを発見したりする。

天皇って何だろう?
と考えるのは、ちょうど夫が毎日在宅するようになって、
はじめてまともに夫と顔をつき合わせ、
夫婦って何だろう?
結婚って何だろう?
このどこの馬の骨ともしれぬような男が、
なんで大きな顔をして私のそばにいるのだろう?

などという根本的なことを考え出すのと、
軸を一にしている。

考えたあげく、結論が出て、行動に移す女もいるが、
たいていは、敗戦の傷痕と同じく、
結婚や夫婦の疑問も、心の奥に深くしまいこみ、
それが心身をむしばんだりする。

新聞に投書してうつを散ずる五十代女性もいるが、
享楽派に転じるほうも多くて、
カラオケバーでマイクを握ったら放さない、というのも、
若作りした五十代女である。
私も含まれている。

いや、この五十代女がめためたとなりかける、
その大元の原因に私は興味があるのだが、
まず、ものを考えはじめる余裕ができたということの他に、
食習慣の崩壊をさまざまと見て、
精神の均衡が破られた、ということにあるのじゃないかと思う。

食べ物の余りものを、
五十代女が捨てはじめた時、
最後に残された矜持と信念は、
がらがらと崩れてしまったのではあるまいかと思われる。

昔ながらのつつましい、
食べ物を大事にする教育、
弁当箱のふたについたご飯粒から食べ始めるというのが、
五十代人間の教養であった。

まともな市民のしつけを受けた人は、
男も女も食べ物を粗末にしなかった。

私などもトシヨリに、
「ママ粒こぼしたら目ぇつぶれまっせ」
と叩き込まれて育った。

飽食の時代がきて、
人々はママ粒もおかずの残りも、
どんどん捨てるようになった。

男はいい。
男は五十男も六十男も、
宴会なんかに出て、
結構な珍味佳肴が無惨に食い散らされ、
残されているのに慣れて、
間隔がマヒしたところがある。

しかし昔ながらに奥ゆかしい教育を存する女たちは、
何としよう。

息子や娘が食べ物を残す、
それにつれて息子の嫁、娘の壻、孫たちも放下(ほか)す。

食べ物を押し頂いて食べるという感覚は失われた。

勿体ない、勿体ない、と、
残り物に火を入れ、あるいは冷蔵庫にしまいこむのは、
五十代女ばかりである。

自分はノコリモノで一食すませ、
家族にはそれが好きなのだと思われ、
残飯自動処理機のごとく思われている。

しかしある日、ついに、
さしもの五十女もノコリモノの処理に追われて、
ママ粒を思い切って、「放下した!」のである。

どうしようもない。

なんで自分だけ、
こうつつましくせにゃならぬのか、
と思ってしまう。

声をからして、
「勿体ない、勿体ない」
と言い続けるのに飽いてしまった。

もう知らんわ、と思い切って捨てはじめ、
それが最後の歯止めになっていたのが、
いまや堰を切ったごとく、崩壊しはじめたのである。

夫も天皇も批判的に見られるようになった。

こうなりゃ怖いものはない、
ママ粒でさえ放下したのだ。

家庭を放下し、子供をうっちゃっても、
どうということもおまへんのだ。

あほらしい、ってんで、
五十女が尻をまくると恐いド。

何しろ、目がつぶれるといわれたママ粒を、
放下すようになったのだ。

中曽根さんなんか、
五十女の怖さを知らないから、
一人で、サミットだ何だといちびっているが、
内部崩壊は確実に進行しているのである。

話は違うが、
この間、京都を久しぶりに歩いていたら、
いや、この町は、お婆さんが大威張りで歩いている。
お婆さんがいつも外をほっつき歩いている町である。

そうしてそのお婆さんたちは、
タガがはずれて、そのあまりにほっつき歩いているのではなく、
きちんと昔ながらにママ粒を一粒残さず拾って食べ、
しきたりと躾を守り、それを若いもんに強要し、
今になってやっと尻をまくったのではない、
千年の昔からまくっていたのだ。

強いものは京のお婆さんである。
一般庶民五十女は京のお婆さんほどの強さを持てず、
なし崩しに崩れていく。






          

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