「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

40、お引っ越し

2022年04月13日 08時54分33秒 | 田辺聖子・エッセー集










・天皇陛下在位六十年の行事のニュースをテレビで見ていて、
これは私のかねての持論であるが、
早いこと天皇さんも、京都か奈良へお移りになり、
山紫水明の地で、政治に関係なくのんびり、
ご一族水入らずで過ごされたらよいのに、
とつくづく思う。

京都には二条城もあるし、京都御所もある。

いずれご即位のご大典は京都で行われるのであるから、
そのまま、東京にはお戻りにはならず、
こちらで過ごされたほうがよい。

文化的渉外係というお立場であれば、
京都においでになるほうが、
国賓の接待という点からも好都合ではなかろうか。

武力で王座を勝ち取った外国の王家と違って、
日本の皇室は平和の象徴であったのだから、
きな臭いところはお避けるになり、
もっぱら和を以て貴しとなす、という風情で、
ご先祖の地、奈良、飛鳥あたりに、
新宮殿を運んでこられるのもいいと思う。

京都が狭いというなら、大阪でもよい。

大阪人は官憲(おかみ)はきらいだが、
その血の中にはご畿内の民の誇りが脈打っていることとて、
天皇さんは好きである。
そら、大事にしまっせ。

しかし大阪人のクセとして、
おせっかい焼きのところもある。

来られるとなると、
さぞうるさいことであろうと思われる。

大阪の熊さん八っつぁんが、皇居へ電話したり、
出かけていったりして、雲の上人を悩ませることであろう。

「え~~、これはワテが釣ってきた鮎だんね。
お一つでっけど、どうぞ、天皇はん、上がっとくれやす」

「あの~~、今月、うめだ花月おもろおまっさかい、
ワイ、ご案内しま。
いやいや、吉本かて、あんた、感激しまんがな。
そら、タダにしよりまっせ。
いきまひょいな。
根つめて、そんな仕事しはらんかてよろし。
たまに漫才聞いてわっと笑っとくなはれ」

「こんばんは。
天神祭だっしょって、どうぞお出ましを。
何やったら、お囃子舟に乗りはったらいかがでおます。
ミナミやキタの綺麗どころ揃えとりま」

などと、さぞうるさい親切を押し付けることであろうが、
上方人は皇室好きなのであるから、
怒ることも出来ない。

しかし、こううるさくてはかなわぬと、
またお引っ越しなさるかもしれない。

大阪には人形浄瑠璃や歌舞伎オーケストラも宝塚もあって、
けっこう、お楽しみになれるんですがねえ。

日本舞踊を内親王さまがお習いになるにしても、
お師匠さんは多い、
おさらい会は国立文楽劇場をお使いになればよい、
何より、大阪はうどんがおいしいのだ。

大阪へお移りになったほうが、
肩はこらずに長生きがお出来になれるというもの。

それで思い出したが、
明治三十年頃、大阪の西、九条新道に、
よくはやった、絹川といううどん屋があった。

この絹川の主人が、
「われこそは南朝の正統で、護良(もりなが)親王の後裔なり」
と言い出した。

とうとうそこから半丁ばかり先のお寺の庫裡を借り受け、
紫の幕を張りめぐらし、
菊の定紋打った高張を立てたそうである。

こういう世話万端は、
絹川うどん店の主人一人ではやれない。

町内の世話係のおっさん連があつまり、
はじめは半信半疑であったが、
そのうち何しろ皇室好きのこととて、

「せっかく、あない、いうてはるのに、
知らん顔も出来まへんやろ」

「ひょっとしたらホンマかも知れへんし、
その時に、お前らは薄情な奴や、いわれたら、
浪速っ子の名にかかわるで」

「あとで返してもらえるやろさかい、
ここは立て替えときまひょか」

などと応分の志を出しあって、
絹川うどんを持ち上げたそうである。

その後日談ははっきりしないのだが、
何でもいよいよ上京して皇族になるというふれこみで、
大阪を旅立った。

その頃には、皇室好きの浪花っ子にあと押しされて、
絹川うどんも羽振りよく、上京の行列には、
くるまが何百台と続いたそうだ。

ところが上京後、
ひと月たってもふた月たっても音沙汰なく、
どうなったのやらさっぱりわからない。

そうこうしているうち、
うどん屋の絹川も代変りして、
いつとなく噂は立ち消えになったという。

人の噂によると絹川うどんは、
南朝の証拠の金の茶釜を伝えていたというが、
東京で茶釜を見せてもアカンかったそうである。

「大阪もよろしいが、
いっそ、神戸あたりにおいでになるほうが、
ええかもしれまへん」

カモカのおっちゃんはいう。

「神戸はパーティ好きやし、陽気やし」

「でも伝統のない町やから、
皇室の伝統と相容れないかもしれない」

と私。

「なにいうてはりますねん、
明治維新のときも、京都から東京みたいな、
伝統のないトコへ引っ越ししはってんから、
どうということ、あらへん。
伝統持ってどこへでも行けはるのやから」
・・・というて、やっぱり、
これが岡山や信州や、というと馴染みないし、
関西がよろしいように思いますなあ。
東海村からも離れて・・・
いや、待てよ、関西の方が若狭の原発銀座に近いか」

皇室にシェルターはあるのであろうか。
もしお引っ越しとなれば、シェルターつき、となり、
これは厄介。
神戸の山はもろい。






          


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