・桜を見られないとこの前、書いたけど、
やっと、宝塚の桜を見てきた。
東京のお客さまを案内して、
宝塚大劇場へ行ったのだ。
あそこの前には「花の道」と称する桜のトンネルがある。
ここが東京の渋谷と違うのだわ。
桜のアーチをくぐって夢の国へ。
正面ゲートを入ると、園内は桜、桜。
陸橋を越えると、動物園や植物園があるという、パラダイス。
時間がまだあったので、
最近の、ここの動物園の呼び物になってる、
ホワイトタイガーを見ようということになった。
幸運を呼ぶ白い虎、というので、
愛称を募集していたが、
シロリンとシロタンという名が決まったらしい。
いっぺん、見んならんなあ、と思っていたのだ。
私は動物園でわりと小説の材料を拾うことがある。
人間を見ているよりは、動物を見ているほうが、
小説を思いつくことが多い。
ホワイトタイガーの愛称に、バースや掛布というのが、
たくさんきたそうであるが、宝塚は阪急資本系ですよ。
係りの人は、お腹が煮えくりかえったであろう。
ホワイトタイガーの近くにには、
白い動物がまとめてあつめられてる。
白孔雀が丁度羽を広げているところでよかった。
おかしいのは白ふくろう。
これははじめてみる。
目は黄色。
ホワイトタイガーは二頭いた。
エジプト神殿風に作ってもらった岩の上に寝そべっているのと、
下のは、いくらか茶色の縞があらわれ、
雪白とはいいかねるが、
上の方は、シーツをかぶったみたいに、
かなり白かった。白虎隊だ~~。
どっちがシロリンで、
どっちがシロタンかわからないが、
春の日差しを浴びて、
花吹雪の吹き込む檻の中で寝そべっている白い虎は、
中々珍なながめでいい。
と思うと、彼は桃色の大きな舌を出して、
持ち上げた前あしをなめる。
ついで頭をかしげて、耳の後ろをぽりぽり掻く。
巨大な猫そっくり。
それ以外は、どで~~っとして動かず、
スター気取りであった。
向こうの奥の方は、
これは黄と黒の、フツーの虎であるが、
ぐっと見物客は少なく、人影もまばらである。
ホワイトタイガーの前には人の山ができて、
うしろには、ホワイトタイガーのぬいぐるみやオモチャ、
色紙なんかも売っている。
お相撲さんの手形みたいに、
シロリンかシロタンの足型を朱肉につけて、
色紙に押してあるのだが、
「幸運を呼ぶ色紙」はいいけど、
どうやって足型を取ったのだろう。
奥のフツーの虎は、
檻の中を行ったり来たりして、
シロリンらの繁盛ぶりが、
腹にすえかねるていである。
横目で白いのを見る顔つきには嫉妬と羨望が、
ありありとあらわれ、
しまいにやけになったように吠えまくり、
(何たって、黄と黒のしましまが本家なんだからねっ!)
と身もだえして憤慨するように岩に体をこすりつけ、
と、皮肉な顔の牝虎が、
(本家なりゃいいってもんじゃないのよ、現代は。
あんた、古いわよ)
という顔で、牡の本家虎をみてる。
それで思い出したわけではないが、
ここの動物園には、女性の飼育係りが紅一点で、
一人いると新聞に載っていた。
根っからの動物好きのお嬢さんで、
男性職員にまじって、
嬉々として動物の世話にいそしんでいて、
結婚話に耳をかさず、周囲はやきもきしている、
という記事だった。
動物が好き、というより、
好きな仕事をもってる女の子には、
べつに結婚なんか、すすめなくてもいいではないか、
というのは、他人事だからいえるのであろうか。
結婚はしてもしなくても後悔するというが、
結婚の長所短所は五分五分である。
私は二十年の体験からそう思うのだが、
これも三十年四十年の人からみると、
また違うかもしれない。
しかし二十年組の感懐としては、
「どっちでも同じようなもの」
ただし女が、好きな仕事を持っていれば、
というのがつく。
ところで先日私は、
この愛すべき飼育係り嬢に打ってつけの男性をみつけた。
高校生の男の子が、
「僕は主夫業志願」と名乗りをあげたのだ。
(朝日新聞 1986・3・28 声欄)
少年の名が豪くんという男らしい名であるのも愉快だが、
「私は昔から性格上、主婦の仕事が非常に性に合っていて、
どれほど将来は主夫を望んでいるかわかりません」
といい、女性の社会進出を認めるなら、
男性の家庭進出を認めよという論旨である。
こういう若者がどんどん育ってくれれば、
女たちも後顧の憂いなく結婚して働けるかもしれないが、
しかし、それでは、やがて男のカルチャーセンターができ、
男のパートが現われ・・・
と同じ轍を踏むことになってしまわないとも限らない。
その少年も、家事好きを職業にして、
有能な家政夫として社会に出られればよいと思う。
「本家虎みたいに、
男であるというだけで安心してたら古いわけですな」
カモカのおっちゃんはいう。
宝塚の舞台はこの月、星組で、
峰さを理さんの「レビュー交響曲」
すがすがしくて清廉な舞台だった。