「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

38、主夫業志願

2022年04月11日 14時50分33秒 | 田辺聖子・エッセー集










・桜を見られないとこの前、書いたけど、
やっと、宝塚の桜を見てきた。

東京のお客さまを案内して、
宝塚大劇場へ行ったのだ。

あそこの前には「花の道」と称する桜のトンネルがある。
ここが東京の渋谷と違うのだわ。
桜のアーチをくぐって夢の国へ。

正面ゲートを入ると、園内は桜、桜。
陸橋を越えると、動物園や植物園があるという、パラダイス。

時間がまだあったので、
最近の、ここの動物園の呼び物になってる、
ホワイトタイガーを見ようということになった。

幸運を呼ぶ白い虎、というので、
愛称を募集していたが、
シロリンとシロタンという名が決まったらしい。

いっぺん、見んならんなあ、と思っていたのだ。

私は動物園でわりと小説の材料を拾うことがある。
人間を見ているよりは、動物を見ているほうが、
小説を思いつくことが多い。

ホワイトタイガーの愛称に、バースや掛布というのが、
たくさんきたそうであるが、宝塚は阪急資本系ですよ。
係りの人は、お腹が煮えくりかえったであろう。

ホワイトタイガーの近くにには、
白い動物がまとめてあつめられてる。

白孔雀が丁度羽を広げているところでよかった。
おかしいのは白ふくろう。
これははじめてみる。
目は黄色。

ホワイトタイガーは二頭いた。
エジプト神殿風に作ってもらった岩の上に寝そべっているのと、
下のは、いくらか茶色の縞があらわれ、
雪白とはいいかねるが、
上の方は、シーツをかぶったみたいに、
かなり白かった。白虎隊だ~~。

どっちがシロリンで、
どっちがシロタンかわからないが、
春の日差しを浴びて、
花吹雪の吹き込む檻の中で寝そべっている白い虎は、
中々珍なながめでいい。

と思うと、彼は桃色の大きな舌を出して、
持ち上げた前あしをなめる。

ついで頭をかしげて、耳の後ろをぽりぽり掻く。
巨大な猫そっくり。

それ以外は、どで~~っとして動かず、
スター気取りであった。

向こうの奥の方は、
これは黄と黒の、フツーの虎であるが、
ぐっと見物客は少なく、人影もまばらである。

ホワイトタイガーの前には人の山ができて、
うしろには、ホワイトタイガーのぬいぐるみやオモチャ、
色紙なんかも売っている。

お相撲さんの手形みたいに、
シロリンかシロタンの足型を朱肉につけて、
色紙に押してあるのだが、
「幸運を呼ぶ色紙」はいいけど、
どうやって足型を取ったのだろう。

奥のフツーの虎は、
檻の中を行ったり来たりして、
シロリンらの繁盛ぶりが、
腹にすえかねるていである。

横目で白いのを見る顔つきには嫉妬と羨望が、
ありありとあらわれ、
しまいにやけになったように吠えまくり、
(何たって、黄と黒のしましまが本家なんだからねっ!)
と身もだえして憤慨するように岩に体をこすりつけ、
と、皮肉な顔の牝虎が、
(本家なりゃいいってもんじゃないのよ、現代は。
あんた、古いわよ)
という顔で、牡の本家虎をみてる。

それで思い出したわけではないが、
ここの動物園には、女性の飼育係りが紅一点で、
一人いると新聞に載っていた。

根っからの動物好きのお嬢さんで、
男性職員にまじって、
嬉々として動物の世話にいそしんでいて、
結婚話に耳をかさず、周囲はやきもきしている、
という記事だった。

動物が好き、というより、
好きな仕事をもってる女の子には、
べつに結婚なんか、すすめなくてもいいではないか、
というのは、他人事だからいえるのであろうか。

結婚はしてもしなくても後悔するというが、
結婚の長所短所は五分五分である。

私は二十年の体験からそう思うのだが、
これも三十年四十年の人からみると、
また違うかもしれない。

しかし二十年組の感懐としては、
「どっちでも同じようなもの」
ただし女が、好きな仕事を持っていれば、
というのがつく。

ところで先日私は、
この愛すべき飼育係り嬢に打ってつけの男性をみつけた。

高校生の男の子が、
「僕は主夫業志願」と名乗りをあげたのだ。
(朝日新聞 1986・3・28 声欄)

少年の名が豪くんという男らしい名であるのも愉快だが、
「私は昔から性格上、主婦の仕事が非常に性に合っていて、
どれほど将来は主夫を望んでいるかわかりません」
といい、女性の社会進出を認めるなら、
男性の家庭進出を認めよという論旨である。

こういう若者がどんどん育ってくれれば、
女たちも後顧の憂いなく結婚して働けるかもしれないが、
しかし、それでは、やがて男のカルチャーセンターができ、
男のパートが現われ・・・
と同じ轍を踏むことになってしまわないとも限らない。

その少年も、家事好きを職業にして、
有能な家政夫として社会に出られればよいと思う。

「本家虎みたいに、
男であるというだけで安心してたら古いわけですな」

カモカのおっちゃんはいう。

宝塚の舞台はこの月、星組で、
峰さを理さんの「レビュー交響曲」
すがすがしくて清廉な舞台だった。






          



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 37、オトナの桜 | トップ | 39、京のお婆さん »
最新の画像もっと見る

田辺聖子・エッセー集」カテゴリの最新記事