「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7,姥ごよみ ⑤

2025年03月02日 07時28分43秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「嫁さんの作ってくれるもん、
食べてたらそれでええやろ
あんた今まで食べていたんやから」

「それがトシとったら、
昔、船場で食べたもん、
なつかしいなって・・・
アイツの味とどっか違うねん
何や、ここの方が美味そうな気がする
それに正月かて、
昔やってたみたいに、
親父やお祖父ちゃんが正面に坐って、
店のもんがずっと並んで坐って、
皆でおめでとうございます、
いう、ああいうしきたりを、
尊重すべきやないか、
と思うねん」

この長男、
五十を超えていやに復古調になった

私は船場はなつかしいが、
嫁としては居心地わるかったから、
ことさら昔を今にしたくない

夫や舅が上座に並んで、
なんていうのはぞっとする

嫁は女中衆と一緒になって、
働き通していたのだ

夫は結構、
お茶屋遊びもし、
舅は馴染みの芸子や仲居に、

「堅うていかんさかい、
ちと、遊びでも教えて、
融通利く人間にしたってや」

と托していたのだ

男にとっては面白かったろうけど、
嫁に来た人間には、
船場の商家は生きにくいところである

「あんさんは、
船場のお生まれやないのやさかい、
船場のしきたりを、
ご存じおまへんやろけど」

と姑にいくら嫌味を、
浴びせられたかわからない

そういう記憶が、
「本家」だの「跡取り」だの、
「仏壇」だの「暖簾」だのという言葉に、
拒否反応をおこさせてしまう

戦後、
戦災で何もかもなくなった所から、
「何くそ」と力を出して頑張ったのも、
「船場のしきたり」に反発して、
しきたりと反対のことばっかり、
やったのが成功の原因だったと、
私は思っている

昔ながらの商法では、
落伍していったに違いない

そういう同業者が多かったのだ

姑も舅も、
そのころは役に立たず、
夫はボンヤリ、
「ええ、そこ退(の)きなはれ」
と私がたまりかねて、
しゃしゃり出たのがよかった

そうやって持ちこたえ、
五階建てのビルまで作り上げた、
会社であるのに、
今になって長男はまた、
暖簾の仏壇のといっている

誰も本家に顔を出さぬ、
とむくれている

私はせせら笑い、

「あんた一人で家族集めて、
おめでとうさん、
いうてたらええやないか
兄弟かてつくもんがついたら、
他人のはじまりやから、
別に無理にしきたり通すこと、
ないやろ」

「そやけど、
ウチはそこらのウチとちゃう、
古い暖簾と格がおますねん、
そのへんのとこを、
ようわきまえてもらわな、
どんならんな、
お婆ちゃんがウチへ来たら、
みなも自然と寄りつきよんねん
昔でいうたら、
お家はんやないかいな、
えらそうにしてたらええねんさかい」

「それが、いやや、ちゅうのに
わからん子やな
一人暮らしのほうが、
なんぼか気楽やわ」

長男はむくれたまま、

「ま、好きなようにしなはれ」

と帰っていく

「黒豆の煮いたん、あげよか」

「もう、よろし、要りまへん」

「そうか
ほんならええお年を」

「明日は晩になるで」

「無理して来んでもええ」

この長男一家は、
私が長男の家へ行かないので、
あべこべに私のほうへやってくるが、
たいてい夜に入ってである

昼間は会社関係の、
年始客が多いらしい

長男がケンカ別れのように、
帰ってゆくとサナエが台所から、
やっと出てきた

「あんた、まだいたの」

「奥さま、
あたし考えましたんですが、
あれはやっぱり、
水子霊のせいですわ、
親子のあいだでいさかいごとが、
おきるのは

浮かばれない水子霊を供養しますと、
脱病、脱争、脱貧しますのよ
ま、奥さまには脱貧は、
関係ないでしょうけど」

長生きすると、
いろんなことを知るものである

サナエは裏山の水子地蔵を、
よく拝むように、
くれぐれもいって帰っていった

やれやれ

これでやっと一人になった
心静かに年が越せるというもの、
長男は紅白を一人で見て、
何が面白いというが、
私は一人で見てる感じはしない

にぎやかな劇場に、
身をおいて見ていると思っている

大晦日の夜、
することはまだある

柱や壁にかけた、
新しいカレンダーの表紙を、
めくることである

初ごよみというのは、
何年くりかえしてもいいもの

この新しいこよみの最後まで、
元気に生きているように、
しなければ

昼間煮いたお煮しめの味見をしつつ、
お酒を五勺ゆっくり飲んだところへ、
客が来る

誰かと思えば、
こんどは次男の嫁である

しかも二番目の、
高校二年の息子を連れている

息子は仏頂面で、
むりやり連れて来られたらしい

とっくりセーターの上に、
学生服を着て黒いバッグを手にしている

「お婆ちゃんにこんばんは、しなさい」

嫁は幼児にいうように、
息子にいうが、
この高校生は雲つくような大男である

息子は口をとがらせて、
挨拶もしない






          


(次回へ)

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