・「セキグチ、よそで泊まろう。ええよ、こんな勿体ぶったとこ」
「スズキ、外はじゃんじゃん降りの雨やで」
男の子の声。
山永さんはくつくつ笑っているばかり。
私はほおっておけなくて、寝間着のまま玄関へ出ると、
女将さんはセーターとスカート姿だった。
「あらまあ!お目を覚まさせてしまって」
女将さんは狼狽した。
雨にぬれて玄関に立っているカップルは、
白川通りで私にぶつかった男の子と女の子であった。
夕食を済ませて、ちょっと外へ飲みに出るつもりが、
つい午前二時になったという。
「まあまあ、こないな降りやし、
ご迷惑かけたことお詫びして、泊めて頂きなさい」
私は若者に言う。
二人の部屋は隣室。
やがて二人は廊下から「さっきはすみません」
と栗饅頭などさし入れる。
山永さんも起きてしまった。
フトンを二つ折りにして声をひそめ、
「こっちへお入り」と言うと、二人は入ってくる。
昼間のままのTシャツにジーンズ。
女の子は小柄で可愛い。
男の子は大柄で丸顔。のんびりした表情。
「どこ遊びに行ったの?」
「う~ん、と・・・清水。三年坂」
女の子が答える。
彼女は大学三年、男の子は二年。
二人共大阪の子で、京都で有名な旅館に泊まってみようと思い、
アルバイト代を貯めたらしい。
「宿屋に門限あるって、知らなかった」
よほどのカルチャーショック」だったらしい。
「風呂は狭いし、
部屋は変な臭いがするし、
客は爺さん婆さんばっかり。
それでやたら高価(たかい)んやもん、
あほみたい。
なんでこんなに有名なんですか」
山永さんが二人をからかっている。
「あんたたち、三年坂を歩いたの?
あそこ歩くと赤ちゃんが出来るわよ。
あそこは清水の子安観音へ安産祈願に行く道やから」
「もう、出来てます」
山永さんはむせた。
「赤ちゃん、どうすんの?」
「え~っと、それですが、学生結婚、てことになりますね。
学生して、子育てしまくります」
「お母さん、どうおっしゃってるの」
二人の母親同士が父親にも言えず、大ゲンカしているという。
私たちは思わず「ほ~~っ」と大きいため息が出た。
私はこんな子供がコドモを持つなんて大反対である。
されば(やめなはれ!)というはずであった。
ところが私は何思いけん、女の子がキライでなくなり、
「生みなさい!」むははは・・・
冬の蛙(寒ガエル)では人生しょうがないよ。
まずはぱ~っと行こうやないの。
「ええややこ、生みなはれ」
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・お囃子の舟はどんどこ舟という。
太鼓がドンドコひびくから。
中の島を浮かべた大川は、
日中はあんなに暑かったのに日が落ちると風が渡る。
大いかだに満載の人々。
文楽の人たちの乗る舟では、人形の三番叟が舞われる。
絶えず川面に鉦と太鼓が鳴りひびき、
花火が釣瓶落としに打ち上がる。
かがり火に火の粉がはぜ、
その向こうに照明に浮き上がる大阪城。
(お政どん、あんたまでぱ~っといてしもて)
七月は二十五日、
天神さんのお祭りをともに拝むはずだったお政どんは、
七月はじめに脳溢血で逝ってしまった。
「何を着て行きまひょ」などと弾んでいたのに。
私が病気になったら、すぐ飛んで来てくれたのに。
昔、私は、年を取ることは、
昔なじみが次々死んでいくのを見ること、と発見したが、
私より若いお政どんが先に逝こうとは思いも染めなかった。
そうか・・・モヤモヤさんの意地悪い喜びを感じる。
「ぐひゃひゃひゃ、歌子、
お前は京都で子供生ませて悦に入っとったやろが。
生まれる者もおりゃ、死ぬ者も出てくるのじゃわ」
私は拇指と人差し指をすり合わせ、
川面に粉をすりおろす仕草をした。
現実にはお政どんの遺灰は私に托されなかったけれど、
気持ちの上では、大川へ、天神さんの境内へ散骨したい気分であった。
(お政どん、酔芙蓉が咲き始めたのに・・・)
モヤモヤさんは、
「歌子、ちっとは精神的渋皮がむけたじゃろが。ぐひゃひゃひゃ」
笑い声を立てる。
(了)