「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

16、わが家の正月 ②

2022年03月03日 09時09分13秒 | 田辺聖子・エッセー集










・正月、私は鏡餅を供える三方や、
神棚のこまごましたものを探したが、無論なかった。
奄美にはお鏡餅も天照皇大神の神棚もないのだ。

私は三方や餅を入れるもろぶたを買った。
しめ飾り、門松、輪飾り、鏡餅、お屠蘇、重箱も新しく買った。

つまり、南方離島文化に上方文化を輸入しようと、
やっきになっていた。

一家の人々は私のすることが不思議でならぬようだった。
大晦日には年越しそばを食べ、床の間に松や菊を活けて、
私一人忙しがっていた。

大晦日の夜遅くまでかかってお節料理を作った。
重箱に詰めてゆく。祝い膳の箸袋に名前を書く。

私が子供のころに見聞きしたとおりの正月のしきたりを、
夫の子供たちに教えようと、私は夢中であった。

しかし、刷り込みというのは、
小さい時からされていないと無理なようで、
子供たちには通じず、姑の島の正月料理にほっとする。

島の雑煮は、大ぶりの陶器の蓋つきに山盛りに具が入っている。
煮ぬき卵はそのまま、椎茸、高野豆腐、かまぼこ、豚肉、
それらがてんこ盛りになっている。

それから昆布巻き、里芋に味噌あんをかけたもの、
タラを甘辛く煮つけたもの・・・

姿も味もひと味違うのが、大鉢に盛られている。
昆布巻きの中身はニシンではなく、サバなのであった。

のちに私は島へ行ってわかったが、
貧しい村では大盛り、山盛りに盛るのが何よりのご馳走であるのだ。

姑の手料理はみな美味しくて、
これもまた私は子供たちと口を開けて待つようになった。

姑の、ひいては島のやり方を見覚えると、
重箱にこせこせ詰めたり、めいめいの皿にきんとんやかまぼこを、
ちょんぼり飾ったりする、そんな風流げが、いかに浅はかにしたりげな、
気の小さいものに見えてきた。

次々と出される大皿や大鉢を囲み、
「おめでとう」を言い合う正月の方が、
いかにも肝っ玉太く、おおらかな正月であった。


~~~


・都会では、親類でさえも互いに遠慮して訪れ合わないが、
島の風習は、身内血筋を大事にする。

正月には人がどっと集まる。
見知らぬ一族の男が寄ったりして、見れば顔がよく似ていて、

「私はここのおじいちゃんの従兄が養子に行った先の連れ合いの甥っ子で」

などと、島名産の焼酎の一升瓶を下げて来たりする。
そういう人が正月に来ると、哀愁を帯びた島唄が出、
つつましい姑も部屋の隅で坐って喜んでいる、
といったような風潮が私には好ましくなった。

そして夫と一緒に奄美本島の果ての僻村を訪ねてからは、
その一族を理解するようになった。

その人間を知ろうとすれば、
生い立った場所の風と日光に当たらないと分からぬものである。

島の人々の心やさしさ、争いごとの嫌いな温和な性格、
真面目で律儀で勤勉な性質は、夫の一族の血にも流れているようであった。

しかし、夫の方にも変化はあった。

私の持ち込んだうるさいテーブルマナー、
箸の持ち方、坐り方、舌を鳴らして食べない・・・
そういうものにはじめは戸惑っていた夫も支持するようになって、
子供たちにも注意するようになった。

大皿、大鉢から我先に取っていたものを、
取り箸を添え、それで分けて取るというくせも私がもたらした。

全く、結婚というものは、
些細な日常のリズムをいかに合わせるかということにある。

夫の家では息子たちを大事にして息子は年下の妹をこき使っていた。
家では夫が全能の神であった。

誰も夫の言うことは顔色を変えて聞く。
私にすれば、ちゃんちゃらおかしい。

私はどんな可能性を秘めているか分からない娘たちを、
もっとのびのび育ててやらないといけないと思った。

もし、勉強が嫌いであれば、男の子だからといって、
無理に大学へやることもない。

手に職をつけて早く社会に出してやればよい、
と息子たちのことを考えている。

娘には自立の能力をつけてやること。
息子には、いいお嫁さんが当たるように魅力的な男になって欲しい、
と思っている。

夫はこれと全くあべこべの考えであったから、いつも論争になる。
論争に克つには、自分が充実しないといけない。

私は仕事もし、家事もやって、幸い健康だし、
まだ若さが残っていたから、あわただしい年月、何とか過ごせた。

この頃、夫はようやく女の底力をわかってきたようだ。
私の女友達にも多く会い、
仕事を持つ女がどんなに生き生きと生きているか見てきたから。

こうやって、まるで外国人同士のような異質な人間二人が、
お互い手探りで知り合ってゆく、というのは面白いことで、
楽しい歳月だったと思う。






          


(了)

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