
・私が夫と結婚していちばんびっくりしたのは、
正月のしきたりであった。
夫は奄美大島の出身で、私は大阪。
内地でも関東と関西は違うのに、
まして南方離島とは風俗習慣はまるで違う。
その上、私も夫も中年になっている。
(夫、四十一才、私、三十八才で結婚)
どちらも異質の人生観を持って、
しかもそれがいちばんと思い込んでいるのだから、
かけ離れたことが多い。
どちらも好奇心が強かったので、
それらに腹を立てないで、むしろ関心を持った。
何もかも珍しかったが、
まず、言葉がおかしかった。
関西より外へ出たことのない私は、
上方を定規にして物を計るくせが抜けないのであった。
夫は奄美生まれだが、
鹿児島で学業を卒えたので薩摩なまりになっている。
彼が正確に時間を守るのにも驚いた。
「十分待ったぞ」と言われると、
それが咎められているとは思わず、
(早く来た)とほめられたのかと思った。
私は時間にルーズで待たせても平気なところがあった。
これは、上方の気風というより、私のだらしなさかもしれない。
しかし、上方文化圏では、物事を断定することは少ない。
人をほめるにもけなすにも、直接言わず、
逃げ道の多い言い方をする。
そういう文化は夫には全く異質であったと見え、よく戸惑っていた。
奄美には特別の信仰伝承があるので、
内地のように宗派別の仏教はない。
一家が神戸へ来て、お寺さんを頼むとき、
いちばん手近なお寺の檀家になった。
そこが、たまたま浄土宗だったから、そうなったに過ぎない。
また何かのことで、家紋を要することがあった。
家紋も奄美にはない風習で、たまたま私の家が「カタバミ」なので、
それを使うことになった。
私には、宗旨や家紋のない家があろうとは思えなかったので、
外国人と結婚した気がした。
夫は宗旨や家紋など、この世に必要とは思わぬ男である。
さらに、家紋には男紋と女紋があり、娘には女紋を伝えてゆく、
などという習俗など、驚きを越して滑稽に映ったらしい。
また南方離島の人は、
嬉しいにつけ悲しいにつけ、島唄を唄うが、
夫の父が病気の時、親類縁者が集まって、
枕元で蛇皮線を弾き、哀愁をおびた島唄を唄ってなぐさめたのに、
私は感動した。
私は島唄が好きになり、夫や姑に教わろうとした。
夫の弟妹は神戸で育った年月が長いので、唄えない。
島のやさしい人情、もの悲しい島唄が私は好ましくなり、
人々の抑揚の強い言葉にも慣れ、島の方言も覚えた。
姑は島の風俗をどこかしら、卑下している様子があって、
内気で恥ずかしがり屋だった。
結婚して同居を始めたころは、
舅、姑、義弟妹たちがいたので食事は別にしていたが、
島の田舎料理を作った時は、姑が鍋ごと持ってきた。
「これは、あの子が好きだから」
と、恥ずかしそうに口ごもりつつ言うのであった。
それらは味噌で煮込んだ豚足料理や、
塩だけで煮たイカナゴである。
私は豚足などはじめて見てびっくりしたのだが、
見るからに美味しそうで、手を出し二つ三つと食べてしまう。
私は食べ物に何の先入観もなかったので、
姑が持ってくると、みんなで先を争って食べた。
夫には四人の子供がいたが、
これがみな田舎料理が好きなのだった。
夫の亡くなった先妻も離島出身の人だったので、
子供らは島特有の料理になじんでいた。
私が食べることがわかって、
姑は喜んでそれからは大なべにいっぱい豚足を煮込んで、
持ってくるようになった。
私はその作り方を教わったが、
とても姑のようにうまく出来ないので、
姑の持ってくるのを待った。
私は島の料理から夫や夫の家族になじんでいった。
しかし、私の持ち込んだ風習をこの家に定着させるのは、
難しいのであった。


