「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

2、ああせいこうせい ④

2022年06月21日 08時21分51秒 | 田辺聖子・エッセー集










・二つ目は関西で起きた事件で、
大阪近郊の住宅地、
こちらは二十八歳の若いママである。

三つの男の子を殺して、
自分も死ぬつもりでウィスキーを飲み、
乗用車を運転してガードレールにぶつかって重傷を負った。

これも新聞報道だけでは、
ほんとうかどうかわからないのだが、
何とも奇妙というか、面妖というか、
いかにも現代らしい事件なのである。

まず、朝の十時四十分ごろ、
ママの実母が三つの孫の入園祝いを持ってきた。

この実母が五十四で、
これまた私とおつかつの年ごろである。

入園祝いは五十万円。
これはピアノ購入費であったという。

この辺の呼吸も私にはよくわかるのであって、
若いサラリーマン夫婦には、
ピアノを買う資金などなかろうし、
といって今どきのこと、
三つ四つからピアノを習わせたりする家が多い、
いいわよ、ピアノはおばあちゃんが買ったげます、
と実家の母はいう。

これは世間には多いであろう。

ところが、若いママとその実母の口論になった。

池田署の調べでは、
その若いママは、
「一人娘で幼いころから両親に溺愛され、
甘やかされて育った」
(朝日新聞、81、3、26付)

しかし母と娘はどちらも、
「勝気な性格から、
妥協することなく、
始終口論が絶えなかった」
そうである。

かねて母親は、
着物の着付け教室へ通うよう娘にすすめていた。

しかし孫の入園も近づき、娘にすると、
幼稚園の送迎もしないといけない、
着付け教室には通えないという。

この朝、五十万円を持ってきた実母が再び、
「着付け教室にも行きなさいよ」
といったことから口論になり、娘は、
「こんなもんいらん」
と五十万円をつき返し、
実母は十一時ごろいったん家に帰ったという。

その後、若いママはむしゃくしゃして、
三つの男の子を些細なことで叱り、
言うことをきかなかったので、
ハンカチで首をしめてしまった・・・というもの。

「実母への面当てのため短絡的に」息子を殺した、
と警察はみている、という。

三つのかわいい盛りの子を殺す、
という若いママも異常に違いないが、
実母のほうも異常といっていい。

五十四歳というと、
これからひと花、ふた花咲かせる年ごろである。

何を習ってもまだまだ身につく年ごろ、
勉強はこれから、の年ごろである。

作家の吉屋信子氏があの名作「徳川の夫人たち」を、
書かれたのは七十歳のお年だった。

そして「女人平家」を書かれたのは、
それからさらに四年たって七十四歳のお年だった。

五十歳代は自分自身のために投資していい年代、
孫に五十万円出そうと出すまいと、勝手であるが、
金を出せば、自然に「ああせいこうせい」と、
指図もしたくなるであろう。

その支配欲が娘を錯乱逆上させたのかもしれない。

といって私は、決してこの実母の押しつけがましい愛情、
うるさい支配欲、くどい干渉を責め咎め、
嗤っているのではない。

我が身とウチのお袋との関係にあてはめ、
わかりすぎるほどわかるので、
どこかでこの悪循環を断ち切らないと、
社会の風通しはますます悪くなると思うのだ。

息子殺しの若いママも、
ここで殺さなくても、いずれそのまま、
息子が大きくなってもいつまでも指図し支配し、
権力をふるい続けたことであろう。






          


(次回へ)

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