・猫好き、犬好きそれぞれ世間にはあるが、
猫嫌いはともかく、猫を恐れるという人があるのをご存じかな。
犬は吠える、噛む、追う、凶暴になることがあるから、
怖じ恐れる人もあろうが、猫は・・・と思うであろう。
今は昔、
大蔵丞(おおくらのじょう 大蔵省の三等官)で、
長年つとめた功労で五位の位も賜った、
藤原清廉(きよかど)という者が居った。
大蔵大夫と人に呼ばれていたが、
一名をまた「猫怖じの大夫」ともいう。
というのは、この男、前世はネズミでもあったのか、
猫をこわがること、ひと通りではない。
それがいつのまにやら世に知れて、
いたずら好きの若い者、清廉の姿を見るや否や、
猫を抱いてきて、
「そうら、ぶちだぞ」
「ほら、こっちは黒猫だ」
「どっこい、三毛猫はどうだ、ほれほれ」
と清廉に突きつけてみせる。
清廉、震えあがって、どんなに大事な用がある時でも、
「ま、また、出直しじゃ、怖や、怖や」
と顔をさしかくし、あたふたと逃げて行き、
あとで人々の笑いを買う。
「猫怖じの大夫」というあだ名はそれによってついた。
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・ところがこの「猫怖じの大夫」、
なかなかどうしてくらえぬ奴での。
山城、大和、伊賀、この三カ国におびただしい田を持ち、
たいした金持ちであったが、年来、何やかやいい抜けて、
税金を納めたことがない。
実に老獪狡猾な男じゃ。
わし、藤原輔公(すけきみ)が大和の国在任中も、
これっぽちも租税を払わぬ。
どうかして払わせてみようと、
わしも折々に考えておった。
しかしこの男、むげの田舎者ではない。
中央官庁の役人上がりでもあり、位もある。
都でも清廉といえば顔も売れておる。
滞納を理由に検非違使庁へおいそれと付き出すわけにもいかぬ。
というて手ぬるいことをしていては、
今までそうであったように、またもや、
うまく言いぬけて頬かぶりするであろう。
あれこれとわしが考えているところへ、
たまたま、清廉がやって来た。
その時、わしは、はたと妙手を思いついた。
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・「おお、大蔵大夫が見えたか、
丁度わしの方から話があるところであった。
まずまずここへ。ちと内密にお話したいことがござる」
わしは国庁の表座敷ではなしに、
侍どもの詰める壷屋へ招じ入れた。
そこは宿直の間になっておって、
三方は壁、一方は遣戸、いうなら、戸を閉めれば密室じゃ。
「さ、さ、こちらへ。
ここなら、内々の話もできるというもの」
わしは機嫌よう、清廉を招く。
表の政務を執るところで会うように、
難しい顔はせなんだから、清廉もつられて何気なしに入ってくる。
侍がそのあとから遣戸をぴしゃりと閉める。
「さ、どうぞ楽にされよ。もっと近くへ」
とわしがいうと、清廉、
「ありがとう存じまする」
とかしこまっていざってくるが、
抜け目のない奴ゆえ、内々、警戒心を持っているのがわかる。
「ほかでもないが、わしの大和守の任期は今年で終わる。
それにつき、ぜひお手前の料簡をとくと伺いたい」
「はいはい、いったい何ごとでございましょう」
「何ごととは心得ぬ。
お手前から官物を納める沙汰がかいもくないのはどういうおつもりなのか、
わしが大和守に任じられてからずっと滞納である。
積もり積もって、おびただしい数字になっておるわ。
これをどうする料簡か、と聞いておるのだ」
清廉の顔に(なあんだ、また税金の督促かい)
という色が浮かぶ。
ところがうわべは手をすり合わせ、頭をぴょこぴょこと下げ、
「いや、そのことでございます。
私も気になっておるのでございますが、
未納はこの大和の国だけではなしに、
山城も伊賀もございましてな、
いやもう、どこも手配りがおくれて忙しさにかまけ、
ついのびのびになってしまいましてな、
恐れ入ります。
しかし今年の秋には、すっかり納めてしまう所存でおります」
「おい、おぬし、その言いぐさは聞き飽いたぞ。
何年来、そういうて口をぬぐうて素知らぬ顔ではないか、
秋になればなったで、納めるどころか、去年はどういうたか、
『稲はお天道さまの下されもの、天の分け前、地の取り分。
なんで国の取り分があろうか』とうそぶいて、
ごまかしたではないか。
税金は納める気はないくせに、この国で大きい顔をして、
暮らそうというのであれば、わしにも考えはある」
(次回へ)